samahani
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ある奥様グループの送別会があった。
日本人だけのポトラック・パーティーは実はとっても楽しみな催しのひとつである。各自一品ずつ持ち寄る手の込んだ家庭料理が、20人も集まれば20種類にもなって、お皿がいっぱいになる。お赤飯、ちらし寿司、ローストビーフ、お芋の煮ころがし、魚介のチリソース、蕪のサラダ、などなど。それから、デザート。 どれも食べ慣れた味付けなのも嬉しいし、これはどうやって作るのと訊くこともできて、レパートリーが増えるのも嬉しい。
今日の主賓の彼女の一家は、年末には引越しをするそうだ。「次はどこに行くの?日本に帰るの?」と訊いたら、「実は、まだ分からない。日本でもアメリカの別の場所でもないことだけは分かっているのだけど・・」と言われて、驚く。どこに移動になるのか分からないのに、せっせと荷造りを進めなければ間に合わない。「・・たぶん、アフリカのどこかになると思う」と聞いて、アフリカかぁ・・、(そんなふうに転校を続けていれば)子どもはたくましくなるだろうなぁと思った。
子どもたちは、アメリカの学校に転校してきたとき、英語なんて片言も分からなかったのに、特に問題もなく、いつのまにかすんなり溶け込むことができた。はじめの一年間、私は、週に一回、息子2のクラスのお手伝いに行っていたので、様子が分かるのだけれど、学校の先生がとても大げさに褒めてくれるのだ。
当時小学校2年生の息子が分かるのはアルファベットくらいだったけれど、「これは何?」と先生に聞かれて、「ジー(G)」と言えた息子のことを「すごい!すばらしい!」と、聞いているこっちが恥ずかしいくらい褒めてくれた。けれど、子どもは、そうやって認められている実感があったので、嫌がることもなく学校に通えたのだなあと私は思っている。
そういうアメリカ式の教育でも、学校になじめなくて、毎日、行きたくないと泣いて嫌がる子もいたし、お母さんと子どもだけで日本に帰ってしまった例もいくつもある。 アメリカで慣れることのできなかった子は、たぶん、どこに行っても慣れることはできないだろうと思う。
アフリカかぁ・・・。 急に引越しすることが決まって、あわただしく、さよならをして、また次の場所で、子どもも、おかあさんも、(もちろんそこで仕事をしていくおとうさんも、)たくましく生きてゆくのだよなぁと、お別れのさびしさを感じつつ思ったのだった。
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