samahani
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2002年10月23日(水) |
緊張の中でも日常は非日常ではない |
きょうは、日本人の奥さん達が30人も集まって「幕の内な」お弁当を食べましょう・・という集まりに行ってきた。
久しぶりにお化粧して、よそゆきの服を着てお出かけしたので、たまには旦那さんにこんな私を見せてあげようと、帰ってきてもお化粧も落とさず、着替えもせず、疲れてたので、そのままお昼寝してみた。旦那さんの出張中に無差別狙撃事件があって以来、ちかごろの私はなんだかかわいい。(と、自分で言ってみたけど、寝起きに見た鏡の中の自分に驚いて「だれ?このケバイおばさんは?」と思ったことは内緒)
きょうの会でも無差別殺人犯の話が出て、「ウチのとなりのオジサンは、相変わらず外を走っているけど、ジグザグに走っているんだって言ってた」(そんなことして効果があるんだろうか)とか「こんなに犯人が捕まらないのは警察の人なんじゃないか」(そんな訳ないでしょ)とか「ウチは毎日ブラインドを下ろして外から見えないようにしている」とか、そんな話題でもちきりだった。
夫のように必要以上に過剰反応している人もいれば、夫の同僚のように心配しても仕方がないと言って何もしない人もいる。いつもどおり外をジョギングしている人も何人も見かける。少しでも危険を防ぐため、買い物した後の駐車場で、車まで走っているも多い。みな多少の緊張感を持ちながら、それでも、それぞれの日常生活は変わらない。
そんな中、きょうの話の中で一番印象に残ったのは、「私たちはここで、いつ自分が殺されるかもしれないという(多分10万分の1くらいの)危険にさらされて暮らしているけど、イスラエルやパレスチナでは(自爆テロによって)この100倍も1000倍もの死の危険と隣り合わせで日常の生活を送っているんだよね。そんなことをふと思った」という一言だった。
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