samahani
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2002年09月02日(月) |
夏の思い出 2 「かお」 |
9月2日(月)は、Labor Dayでお休み。アメリカでは通常、レイバーディの翌日から新学期が始まるのだけれど、ここ、メリーランドのMカウンティーでは、今年は選挙のために学校が休みになるからという理由で、一週間早く、先週の8月27日から学校が始まっている。(同じ州でもカウンティー(郡)によって、学校の休みは異なる)
土曜日の日本語学校もまだ始まっていないので、3連休だった。
夫が、連休前に、「どこか行きたいところはない?」と訊いてくれたのだが、わたしったら、「日本!」とか、 「そこ以外では?」 「じゃあ、ブラジル」とか、意味のない会話しかしなかったため、結局スポーツクラブにふたりで泳ぎに行っただけで、お茶を濁したまま、休みも終ろうとしている。
ところで、きょうやっと、わたしの中に、ずっとつっかえていたものが氷解した。
(キミはいろいろなことを考えすぎるからいけないんだよと、むかし誰かに言われた気もするけれど、まあそれは仕方ない)
ワシントン・ダレス空港から日本への直行便をもっているのは唯一、全日空だけで、他の航空会社より多少料金が高いのだが、この夏は全日空便で帰った。つまり、他社の飛行機に乗った場合より、日本人乗客が多く乗っている状況だった。
わたしは、3人並びのシートの真ん中の席で、右には、英語のペーパーバックスを読んでいるハタチくらいの女子留学生、左には、やけに無愛想で、きっと日本からの出張サラリーマンに違いないと思われる30代の男性が座っていた。
スチュワーデス(←フライト・アテンダントって言わなきゃ)さんが、飲み物をくばりに来て、両端のふたりには日本語で「何にしますか?」と訊いたのに、わたしには、英語で訊ねた。
うわー、なぜだろう・・なんだか喜んでいいのか悲しむべきかさえ、よく分からないけど、うそぉーーなぜ?なぜ? みたいな カルチャーショック。
大蝦夷オフのとき、バスで隣に座ったこの方に、「いつも日本語喋って、日本食を食べているのになぁ、なぜなんだろ?」と言ったら、「そりゃー 水だよ、それとネ 空気」と、とても明快に答えてくださった。(普段、日本食や日本語の生活していても、あなたはちゃんとアメリカの空気に触れアメリカを体感しているのよ、という意味)
この方には、さとこさんは、アメリカの匂いがした。とまで言われたものだから、なんだかとても褒められてる気がして、そうだそうだ、そういうことにしておこうと、その時は、とりあえず、いい気持ちになったのであった。
ところが、帰りの便(も、もちろん全日空)で、またまた同じことが起きた。こんどは、隣に座ったのが、もしかして新婚旅行?と思われる若いカップルだったので、日本人スッチーさんは、彼らには当然 日本語で問い掛けた。
なのに、わたしには英語で話し掛けるとはナニゴト!? こうなりゃ、わたしも、英語人の振りして差し上げましょうか(ふん!)などと、ちらっと思ったのだが、すぐにボロが出るのは分かりきっているので、止めておいた。
わたしが日本語で返事をすると、スチュワーデスさんに「大変失礼しました」と言われた。 うん、やっぱり失礼なことされちゃったのか・・・。
長くこの国に住んでいると顔が同化してくるのでは?と思ったりもするが、わたしは、たかだか4年しか住んでいないし、普段、気持ちがいつも日本に向いているような、とてもここに溶け込んでいるとは言えないような生活をしている。だから、とてもアメリカ化した日本人には見えないと思うのだ。
それで、なんとなく引っ掛かって、ずーっとなぜなんだろうと思っていたワケなのだけど、きょう、ふと 英語のクラスでわたしのことを「あなたも(わたしと同じ)中国人かと思った」としつこく言っていた女の子がいたことを思い出した。
彼女があまりにしつこく言うので、「前にも聞いた」と言うと、「だってぇ・・・」と言って、ちょっぴり悲しそうだった。 そうなのか、「あなたは中国人に見える」というのは褒め言葉だったんだ。わたしは喜んでみせてあげなきゃいけなかったんだ、と気付いたのは3日くらい経ってからだった。(そうは言っても、わたしは中国人に間違われたってちっとも嬉しくなんかないけど)
こちらで出会う中国人や韓国人は、日本人よりよっぽど「自国に対する誇り」を持っているとわたしは思う。
公園ルールというのがあって、男の子か女の子か判別しかねる赤ちゃんに出会ったときは、無難に「女の子ですか?」と訊くのがよいのだそうだ。
それと同じで、もし、フライト・アテンダント・マニュアルなるものがあるとすれば、「中国人か韓国人かベトナム人か日本人か判別しかねる乗客がいた場合は、英語で話し掛ける」というのがあるのかもしれない。 もしも、乗客が日本人かどうか分かりかねるアジア人に見えたら、日本語で話し掛ける(日本人だと間違えられる)より、英語で話し掛けられる(つまり、間違えられていない)の方が、プライドの高い彼らには、より無難というわけだ。
わたしは、アメリカ化した日本人ではなくて、中国人かベトナム人に間違われていたにちがいない。それなら、なんとなく納得がいく。 うん、きっとそうだ。
よかった、よかった。 ←ホントにいいのか?
いやー、でも、こういう 半分どうでもいいことを 来る日も来る日も ぼけーっと考えているわたしって、どうよ?
てか、もう少しカラダ動かして、ウチの中の仕事しろよ<じぶん。
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