samahani
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2002年07月08日(月) hayseed いなかもん

わたしが2歳から18歳まで過ごした場所は、山と海と畑と田んぼに囲まれて、のどかな田園風景といえば聞こえはいいが、要するになぁ〜んにもない、人口1万人弱の小さな田舎の町である。東京ではごく自然に電車と言っている乗り物が、そこでは汽車と呼ばれ(正確にはディーゼル機関車なのだが)、朝夕の通勤時には1時間に1本、その他の時間帯は2時間に1本ほどの割合で運行されていた。

映画館も ゲームセンターも 大型ショッピングセンターもなく、そこに住んでいればグレるだの不良だのというものには成りようもなかった。ホンのちょっとマジメから外れた高校生が行きつけにしていた いまは潰れた喫茶店があって、その店の落書き帳に 「ぼくは○○ちゃんを好いとる、今度デートに誘わーかと思っとる、軽トラだけど乗ってごすだらぁか?(乗ってくれるかな)」という書き込みを見たとき、なごむような、ほろ苦いような気持ちになった。

田舎を出てからのほうが長くなった今でも、わたしは父や母と電話で話すと方言丸出しで喋っている(・・らしい、無意識なので指摘されるまで気付かなったが)。18年かけて作られた人格はそうそう変わるワケもなく、わたしは根っからの田舎もんだと自分で思っている。

hayseed(直訳すれば、干草の種。草むらに入ると洋服にくっついてくるイガイガのついた実のことで、田舎者を揶揄して言うこともある)という単語を学校で習った。先生が、生徒の一人ずつに出身はどこか、そこの人口は何人かと訊いた。8人居たクラスメートは、見事に国がバラバラで、中国、韓国、ベトナム、ロシア、ウクライナ、コロンビア、ブラジルだったけれど、どの人も大都市の出身で、ヘイシードだと言ったのは わたしだけだった。

インドネシアやブラジルなど貧富の差が激しい国では、アメリカに来ることができるのは、本当にお金持ちの一握りの人なのだそうだ。ボストンにいた時に仲良くしていたインドネシア人の友人は、自国では、政府の要人の娘で、使用人が何人もいたから、それまで料理もした事がないと言っていたが、そこでは、ウチが(日本円にして)25万ほどで買ったボロ車さえも買えなくて、買い物などで不便な暮らしをしていた。

そういう国では、貧乏な家に生まれれば一生貧乏なままだ。そして、中国みたいな国では、田舎者は一生、田舎者のままで生きていくのではないのだろうか。そんなことを思い出し、そういう国と比べると、わたしみたいな田舎の人間がアメリカの首都に住めてしまう日本という国は、いい国なんじゃないだろうかと思った。

高校生の頃、わたしは なんにも刺激のない田舎が嫌で、東京やニューヨークに憧れていた。卒業後、田舎を出てから、毎年 実家に帰って夏を過ごすけれど、行くたび、もうこんな田舎では暮らせないなあと思っていた。それが、去年の夏初めて、田舎の暮らしもまんざらではないと思えて、わたしは自分の心境の変化に驚いた。

夏祭りがあって、小さなイベントもある。地元の人はそんな生活を楽しんでいるように見える。時間も東京より、ゆっくり流れている感じがする。小鳥のさえずりや緑の木々が、わたしを豊かな気持ちにさせてくれる。生活空間に余裕があれば、人はそんなにギスギスしなくても暮らしていける。ここでずっと暮らすのも悪くないかもしれない・・・なんて。

そんな気持ちになったこと自体が、歳を取ったということなのだろうなと思えて、それはそれで寂しいことなのだけれど。


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