samahani
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私はこの日記で日本語学校の悪口と採れる文章を2回も書いているのだが、きょうはちょっと褒めてみる。
ここには日本の学習塾と同じように、帰国予定の子が、日本の中学・高校を受験するための進学塾もあるのだが、ウチの子どもは日本語学校の方がいいと言って、塾には行っていない。私としては、みっちり仕込まれる塾に食指が動かない訳ではないけれど、日本の学校が大好きだった子どもたちにとっては、日本語学校の雰囲気は捨てがたいものであるらしい。
日本語学校には、片方の親が日本人という子どもだけでなく、両親とも外国人だけれど、ここに来る前に日本に滞在していて、日本の公立学校に通っていたという子もいる。両親とも日本人でも、生まれたときからアメリカに住んでいる子もいる。それぞれに一番得意な言語が異なるので、休憩時間に交わされている会話が英語と日本語のミックスだったりする。
先生も日本語の難しい単語が分からない子どもに英語で説明することもある。「先生、奇数・偶数って何?」「oddとevenのことだよ」みたいに。
実は、ここには日本の学校にはない、失われてしまったものがある。それは「美しい日本語」なのだ。たとえば、日本を10年前に出てずっとこちらに住んでいる人は10年前の日本語をそのまま喋っていて、肉親が久しぶりに会った時、その言葉をとても美しいと感じるということがあるのだそうだ。
日本語学校に来ている子どもの中に美しい日本語を操る子がいるのは、その親が普段、家庭で喋っている言葉が、多少時代がかった、美しい日本語だからなのだろう。初めて、そういう日本語を聞いたとき、息子は、とても関心を示した。感じるところがあったらしい。
塾や日本の学校では触れられないものが、ここにある。
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