samahani
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2001年12月01日(土) |
アメリカ、どろぼー事情 |
まだときどき夏の暑さがぶり返す秋の初めのことだった。住宅街の中にある小さなスーパーで、駐車場に車をとめて5分くらいのつもりで買い物をしてきたら、運転席と助手席にお揃いで置いてあった座布団のひとつがなくなっていた。ロックはしてあったけれど、暑かったから窓を全開にしていたので簡単に盗むことができたのだ。一枚千円で日本から買ってきたものだから、めずらしかったのかもしれない。(こちらでは車にカバーを掛けたり、クッションを置いたりすることはあまりない) でも、誰が使ったか分からない、お尻の下に敷かれている物、新品ならまだしも1年以上も使ったクッションなんて欲しいと思う人がいるんだろうか。ああここはアメリカなのねと妙に納得してしまったできごとだった。
来てすぐの頃は、車の中の見えるところに、物を置いたままにしておいてはいけない等の安全のルールをきちんと守っていたのに、油断していたなと思う。ひとつだけしか盗られなかったのは、どろぼーさんの良心の呵責だったのだろうか、必要なだけ盗む主義でもあったのだろうか。
先日プールに行った時、シャワーのところに洗顔石鹸を忘れてきた。一週間後、またプールに行ったのだが、「そんなもの出てくるわけないじゃない」という夫の言葉に 「あるかもしれない」 と応えたのは、私だったらそんな誰が使ったか分からないようなものを使いたくないという気持ちがあったからだと思う。日本語で「素肌さらさら・すっきり」とか書かれていたチューブ入りの洗顔石鹸、いま頃だれかの家でちゃんと使われているのだろうか。
日本にも泥棒はいるけれど、使いかけの、他人にとってはゴミみたいなものを盗る人はあまりいないだろう。しかし、それはアメリカのほうが貧しいからという理由ではなくて、アメリカでは古いものでもまだ価値があるという考えによるのではないかと私は思う。庭先で不要品を売るガレージ・セールを覗くと、「えっ、こんな物みんなまとめてゴミじゃない」と思うようなものでも、けっこうな値段がつけられて売られている。
もう一つ考えられる理由は、学校で、他人のものと自分のものを区別する教育がきちんと成されていないからではないかと思う。子どもが、学校で拾ったと言ってコインを持って帰ってきたので、どうして先生に渡さなかったのかと問うと、「先生も机の上にある瓶に入れるだけで、誰が落としたのって訊かないんだよ」と言う。じゃあしょうがないねと私も言いたくなる。(実際は、先生はそこにお金をプールしておいて、ランチを忘れた子どもにそのお金で買ってあげたりするようだ) お金が落ちていることはよくあるけれど、みんな拾っても自分のものにしてしまうよと子どもは言う。ふむ。私は「日本では、それは止めなさいね」としか言えなかった。
アバウトで、他人のものでも、自分のものでも、古いものでも適当に使っているように見えるこの国の人たち。盗られたくなかったら自衛するしかない。(当たり前だけど) けれど、それもおおらかでいいじゃない?と思えるようになったのは、単に、まだ大物は盗まれたことがないというに過ぎないからである。
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