2010年05月27日(木) |
■「してあげたこと」は、すべて忘れることです |
「私はあの人に、これだけのことをしてあげたのに」 人は、してあげたことは、細かいことまでよく覚えています。 そのかわり、人にしてもらったことは簡単に忘れてしまいます。
夫婦や恋人同士のいさかいの多くは、 「してあげたこと」と「してもらったこと」の 不釣り合いへの不満から生まれます。 誰でも、自分が人にしてあげたことは重大なことに感じますが、 人にしてもらったことは軽くみてしまいがちですので、 釣り合いがとれるはずがないのです。
「こうしてほしい」という要求には、きりがありません。 「こうしてくれてありがとう」という感謝こそ、 愛の喜びがあります。 「してあげたこと」は、すべて忘れることです。
出典元 「3分間で気持ちの整理をするリラックスブック」 おすすめ度 4 著者名 たかた まさひろ
自分の「してあげたこと」は、よく覚えているし、 重大で、たいそうなことだと思える… たとえそれが、ささいなことでも。 それだけ、自分が「してあげた」と思うことがらは、 自分の思いや心や何か犠牲が入っているのだと思う。 だからこそ、その「してあげた」ことに対して、 それ相応の感謝、お返しをしてもらいたいと願ってしまう…
しかし、それは、相手もまたそうなのだともいえる。 仮にそれが、こちらにとっては、ささいなことに見えても。 だから、相手がしてくれたことを軽くみてはいけない。 それは、相手の思いや心を軽く扱っていることになってしまうから。
けれども、中には、「してあげた」と言わない人もいて、 そういう人は、とてもありがたい何かをしてくれても、 その後のお返しや感謝も求めず、さらりとしている。 なぜなら、それは「自分がしてあげたいと思ったからした」 のであって、誰かから、強制されてしたのではないし、 誰かに感謝されたり、お返しをもらうために、 したからではない、とわかっているからだ。 少なくても、そう考えて、してあげたことは、 忘れるようにしているのだと思う。
どちらにしても… 「○○をしてあげた、△△をしてあげた」と、 自分が「してあげた」ことを数えるなら、 「してもらったこと」も、数えてバランスをとっていこう。 また、同じ「してあげる」なら、楽しくしていこう。 その方が、不満も小さくてすみ、精神衛生上もいいように思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「忘れ去られた、過去の道」
のような道を見つけたので、歩いてみると… やっぱり過去の道でした…
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