2010年05月13日(木) |
■幸せの絶頂期に、それを手放す効果的な方法 |
「ぼくはこの人を愛しているんだろうか」 という疑いをもてば、 「違うかもしれない」 という結論にたどりつくに決まっているじゃない!
「いまの自分でいいんだろうか」 という疑いをもてば、 必ず「よくない」 という結論にたどりつくに決まってるよ。
幸せの絶頂期に、それを手放す効果的な方法があります。 それは、 「これでいいのかな?」「いつまで続くのかな?」 と疑うこと。
出典元 「今日が新しくなる小さな辞典」 おすすめ度 4 著者名 伊藤 守
自分にでも、相手にでも、誰にでも、なんにでも、 疑いを持てば、その疑いを打ち消すのは難しくなる。
そして、ああでもない、こうでもないと考えに考えた その疑いに対する自分の答えは、たいてい、 気持ちのすっきりする答えではなく… 「きっと(たぶん)そうに違いない」(断定) 「もしかしたら、こうなのではないだろうか…」(さらなる疑い) 「でも、本当に、そうだろうか…」(迷い) 「やっぱりわからないなあ」(あきらめ) などなど、かえって自分を、不安にさせたり、 落ち込ませてしまう答えになることが多いように思う。
もちろん、その疑いをはらすことができる答えを すっきりと見つけられる人もいるとは思うが、 たいていの人は、気持ちが暗くなるのではないだろうか。
だからといって、「疑うな」というわけではなく、 (疑うのは、自分を守るための本能でもあるので) その疑いに対する、自分が見つけた答えは、 あくまで自分が考えたものであり、その答えが 当っているかどうかはわからないものなのだから、 「こうに違いない!」などと、決めつけない方がいいこと、 そして、たいていその答えは、暗く落ち込むものになりがちだ、 ということを、しっかりと認識しておいたほうがいいと思う。 疑いとは、そうしたものだと。
もし、疑いを前向きに活かすなら、 「……かもしれない、でも、それならそれでいい、 そのときは、そのとき」 と腹をくくり、その疑いをすべてを飲み込み、 気にしないようにすることかもしれない。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「やるだけ、やってみろ。どうなるんだがな〜」
と、言われた野菜。 確かに…頼りないね〜
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