2010年04月14日(水) |
■自分のことは分かってくれ、それから自分はものすごくつらい… |
「誰もわかってくれない病」、以前は女性の専売特許 みたいなものだったけど、最近は男性でもいますね。(略) これは、ミーイズムとしかいいようがない。
自分のことは分かってくれ、 それから自分はものすごくつらい。 それから生きていくのが面白くない。 それから何のために生きているんですか。 それから学校なんて行きたくない。 それから、でも、恋愛だけはしたい (これは、男女ともそうです) それから不愉快なことについては我慢したくない。 それから今はまだ分からないけど、 輝かしい自分がどこかに存在している。 それから生き甲斐がみつからない。 生き甲斐のある仕事をください。
それから親と同じような生き方をしたくありません。 それから会社の利益より自分の個性みたいなものを 大切にしたいです。 それから子どもは面倒くさいのでいりません。 それからいろんな煩わしいことをするんだったら、 パソコンでチャットしている方がずっと自分にとっては楽しい。 それから生身の人間はうざい。
出典元 「人生にはいらない人間関係がいっぱいある」 おすすめ度 3 著者名 高橋 龍太郎
この本の著者は精神科医ですが、このようなことを、 「わかってくれ」という患者さんが、増えていて、 その「わかってくれ」という中身はつかみ所がなく、 しかも、勝手なもの(ミーイズム的)なものが多いという。
なるほど…これでは、いったい何を 「わかってほしい」のか、わからないだけでなくて、 正直なところ、あれもこれもありすぎて、 「勝手にして。わかりたくもない」という気持ちにもなる。 そして、これをわかってあげたら、どうなるというのか… そんな疑問もわいてくる。
しかし…自分が、誰かに「わかってほしい」というとき、 自分のいったい何を「わかってほしい」のか、 気持ちなのか、行動なのか、環境なのか、 そして、だから、どうしてほしいのか、 自分でもわかっていないことが多いか、 かなり曖昧にことばを濁すことが多いように思う。 それでいて…「わかってほしい」といっているような気がする。
自分でも、よくわからないのに、 誰かに「わかってほしい」というのは、無理があるし、 まず、自分が自分のことをわかることが先ではないか。 「わかってほしい」というとき、自分が何を本当に、 「わかってほしい」のか、よく考えてからにしたいと思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「これって…たじろぎませんか?」
私は、かなりたじろぎました〜 誰がつくったのでしょうね〜
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