2010年02月10日(水) |
■答えが用意されている話合いのことは「対話」とは呼ばない |
なぜ対話が成立していないかをよく観察してみると、 その人は対話をしたいと主観的には思っているのだが、 結局、いつも自分で答えを用意して対話の席に のぞんでしまっているからである。 答えを一緒につくっていく自信がないから、 答えを用意してしまうのだ。
はじめから答えが用意されていると、対話というものは、 形の上では成立しているようでも、内容としては成立していない。 双方向で話合っているかのように見えても、 答えを一緒につくっていこうとしていないのだから、 それは見せかけだけの話合いである。
答えが用意されている話合いのことは「対話」とは呼ばない。 それは「説得」なのである。
出典元 「なぜ社員はやる気をなくしているのか」 おすすめ度 5 著者名 柴田 昌治
対話、話合いと称して、 「これをわかってもらおう」 「このことをのんでもらおう」 「こう結論を持っていこう」 「こう決めなければならない(イヤだ)」 などと決めてのぞむと…それは話合いでも対話でもなく、 「説得」あるいは、「強制、言い含め」に近い。
話合いとか、対話は、相手の話にも耳を傾け、 その相手の話によって、結論が違ったり、 まったく違う方向が見えたり、自分の意見を変えたり、 気づきがあったり、そんなことが起っていくことで、 相手と一緒によりよい結論を、答えを見いだしていく、 つくり出していくことではないかと思う。
もちろん、説得することがあっていいし、 ときに強制も、言い含めもあっていいと思うが、 対話する、話合いをする、という場合は、 自分の考えは持っていても、それにこだわったり、 執着しない方がいいと私も思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「「わっしょい鍋」って、どんなかなあ?」
どんな鍋だと思いますか?
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