| 2009年10月15日(木) |
■嫌なことを愛する人のために意味あるものに変えていくこともできる |
(著者が、アメリカの東海岸で修練期を過ごしていた時のこと)
ある日こと、草むしりをしている私たちのところへ 修練長がいらして、おごそかにおっしゃいました。 「草は根っこから抜くものです。 むしっただけでは、またすぐに生えます」 面倒くさそうな面持ちの私たちを見て、続けて言われました。
「1本抜く度に、この世から悪の根が一つ、 根こそぎなくなりますようにと、 祈りながら作業しなさい」
若い修練女たちが、その日の作業を終えた時、 庭はいつもと同じく、きれいになっていました。 でも何かが違っていたのです。 それは修練女たちの過ごした時間の“質”でした。 つまらない草取りの時間は、意味のある時間に変えられ、 一人ひとりの“財産”となったのです。
出典元 「目に見えないけれど大切なもの」 おすすめ度 5 著者名 渡辺和子
渡辺さんの本が好きで、学ぶところも多いので、 機会ある事に、何度も何度も読み返しているのですが、 この言葉は、つい最近気がつき…心に強く残ったのでした。
著者の渡辺さんは、キリスト教のシスターです。 キリスト教には「契約」という考え方があると言います。 そして、こんな話をされています。 (「愛することは許されること」より)
「(アメリカでの修練中に、日本にいる老いた母を想い) 神さま、この淋しさを私はじっと我慢しますから、 今日、母が淋しい思いをしないようにお願いします」 「(修練中に口にあわない料理がでてきたときに) この料理を喜んでいただきますから、どうぞ、母の食卓に、 一品でいい、母の好きな料理が出るようにしてやってください」 と、神と取引(契約)することにしたというのです。
そして、さらにこう言っています。 「この契約が母の生活に少しでも役立ったかどうかはわかりません。 確かに言えることは、私の中に愛が育ったと言うことです。(略) 嫌なことを嫌なまま受け取ることもできるけれども、 その嫌なことを愛する人のために意味あるものに 変えていくこともできる… そして救われるのは、相手方ではなくて私なんだ、 私の人生に意味ができてくる。 本当に、与えるということは、受けることなんだということを しみじみと感じました」
嫌なことをするときに、天(神)と契約し、 愛する人のために、あるいは、世の中のために、 意味あることにすること、時間にすることができる、 自分でそうすることができるのだと、思ったのでした。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「えっ、いいの?いいの?これで大丈夫?」
なんて、びっくりした出来事。 こんなこともあるんですね〜
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