| 2009年07月10日(金) |
■結論より、どのようにしてその見解に達しているかが問題 |
人間の書いた書物は、その内容を頭から信じるための 金科玉条として存在しているのではない。 そこからさらに考えていくためのヒントとしてあるのだ。 正しいかどうかということではなくて、 一つの見解として存在している。
結論として見解がどうあるかではなく、 どのようにしてその見解に達しているかが問題なのだ。 そこを見極めるのがもっとも肝心なのだ。 そこを見ようとするときに、わたしたちの頭脳は、 ようやく動きだして、「考える」ことを始める。 ここに知性の始まりがある。
出典元 「勉学術」 おすすめ度 4 著者名 白取 春彦
何でもそうだと思うが、結論や結果だけをみて、 「ああ、こういうことなのね、 こんなことを言いたいのね」 で、終わってしまっては、 考えることをせずに終わってしまう。
なぜ、この人は、 こう言っているのか、こう考えるのか、 どのような経過をたどって、このような結論に達したのか、 そして、さらに、自分だったら、 どう言うか、どう考えるか、どうするか… そんなことを、自分の頭で、自分の心で、 「考えてみること」が大切ではないかと思う。
誰かに考えを押しつけられることもあるし、 新しい考え方を見つけることもある。 そしてそれが、すべてではないし、正しいわけでもない。 だからこそ、自分の頭で考えることが大切だと思う。 また、自分で考えてみなければ、その考えは身に付かない。 生きた知恵、知性、生きるための智慧を身に付けるためにも、 これからの自分の成長のためにも、 自分の頭で、心で考え、それを行動に表していきたいと思う。
■「ぼちぼち、お散歩日記」↓ 「見た目でちょっと損していると思う花」
なんて、勝手に思った花。 でも、そんな人間の思惑なんて関係ないね、この花は。
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