2004年07月14日(水) |
正しい自分だけを好きになるというのは、ある意味で傲慢な考え方だと思います。 |
正しい自分だけを好きになるというのは、ある意味で 傲慢な考え方だと思います。 自分の中には確かに醜い部分もある。 それもひっくるめて自分なのです。 嫌いな自分は、いらない自分ではないのだから。 どれもこれも自分なのだから。 もし私が、私が嫌っている部分を切り捨てて、 好きな私だけが残ったとしても、果たしてそれは 私らしい私なのでしょうか。
「さよなら」が知ってるたくさんのこと より 椎名 恵著
自分のいやなところを、今日もまた出してしまった… 条件反射で、そのいやなところはここが出番とばかり出てくる。 どっか、何かを刺激されると、そのいやところは出てくるのだ。 いや、もうどこを刺激されると出てくるか、わかっている…
そこまでわかっていて、後でいやな思いやら、悔しく思うのに… 全然、身にしみてはいないらしい。 何度も繰り返している。 なんてこったい。
そんないやな部分を持ったまま「これが私よ」と 開き直るほど強くはなれず、 かといって、そのいやな部分を直せるほどの意志の強さもなく、 いやな自分と共存していくほどの気持ちの大きさもまだない。 これが、今の私だ…(って開き直ってるわけではない)ふぅ。
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