2004年03月30日(火) |
人間は謎に突き当たるとたいてい、なんとかそれを解決しようと躍起になる |
謎は人間をいらだたせ、解決を求めさせる。 おそらくそれは、 何事にも白黒をつけたがり灰色の部分の存在を許さない、 曖昧さに対して不寛容な人間一般の性質のためだろう。
人間は謎に突き当たるとたいてい、 なんとかそれを解決しようと躍起になる(略)
善人は病気にならないという誰もが信じたがる理論を守るためなら、 人はどんな謎にもまことしやかな解決をこじつけてしまうのだ。
だが、癒しにおける祈りの働き、 そして精神と肉体との関係を真に理解したければ、 曖昧さや謎を許容する心の教育を育まねばならない。 すすんで未知のなかに立つ心をもたねばならないのだ。
「癒しのことば」より ラリー・ドッシー著
とてもいい人が早々と病気になったり、 とても勝手な人が、長生きだったり、 いつも不摂生なのにもかかわらず、健康だったり、 お酒が一滴も飲めない人が、早死にしたりする。
健康に関することばかりでなくて、多くの出来事に どうして?と疑問を持つことが多い。 世の中、理不尽がなことが多いように思える。 なんの脈絡もないように見える。
恐らく、なんの脈絡もないのだろう… その脈絡のなさに、謎めいたものを感じたり、 ため息をついたりする。
時々、その理不尽さや、脈絡のなさに、 意味や、理由をむりやり見つけたくなるが、 意味や理由など、何もみつからない… そして、ただ、複雑な気持ちを心に残したまま、 これが人生なのだと自分に言い聞かせるしかない。 心のすわりが悪いが、こういうものらしい…
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