語り
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2001年11月19日(月) 星降る夜に

日本全国のオトメのみなさま(ボヤッキー風)、見れましたか?
まるで星矢が降らせてくれるような、流星群。
月も隠れて、空も澄み、素晴らしい夜でしたね。

前日夜、仕事から帰ってきて、心も体も疲れていた私。
友人の美里の天文台へのお誘いも断ったほどだった。
なのでなおさら和歌山市内から車でぶっ飛ばしても2時間はかかる龍神村に行く気力と体力がないので、諦めようとしていたら

父:「おとうさん、運転しちゃるから」
母:「そうそう、龍神のおっちゃん、おばちゃんも純子来るの待ってるで」となぜか父と母、気合はいりまくり。
33年後に再び流星群が来るコロ、己たちはもうろくしていて、二度と見れないかもしれんという焦燥と悲哀が二人を突き動かしているようだった。

ひきづられるように自分の車の助手席にぐったりと乗ったわたし。
父、運転し、母、後部座席でおにぎりとお茶をわたしにふるまってくれる。
ひとが気に入ってかけているBGM(なんとなく天文観測には、TMネットワークが相応しいとおもって、聴いていた)に、難くせをつける父。

父:「なんじゃ、この、ずんちゃかずんちゃか、意味のわからん歌は」

父の耳には、初期・小室哲哉の魂のこもった渾身の曲も所詮「ずんちゃかずんちゃか」なのかとおもうと悲哀を感じた。ちなみに、父は以前、荒井由実の「ルージュの伝言」も、「ずんちゃかずんちゃか」と形容している。

山道を時速80km(しかも、わたしの軽で)で駆け抜ける父。
山あいに入ると、真っ暗な山の景色のせいで一層で星空が明るい。
「オエッ」というぐらい、星がある。
天の川が白く走っている。

それをみると、だんだん元気になってきた。
いつもの妄想力も取り戻せそうだわ、と、銀河にむけて氷河紫龍のオトメの妄想にひたろうと思ったら、

父:「どこに獅子座あるんや、あれか?」
母:「おかあさんあれやと思う、ほら、あの山の上」

父よ、母よ。
これだけの星に、アレドレで会話が通用するものか。
エッ?通じてんの?なんでうなづきあっているの、父、母。
アホな両親につっこんでいると、氷河と紫龍の笑顔が遠のいてゆく。
んも〜、これだから親と来ると・・・
っていうか、あれは、北斗七星ではないかと、娘は思う。
つい、死兆星を探し、見つからないことにほっとする。
氷河紫龍の妄想する予定が、なぜか南斗水鳥拳レイの死に様に思いを馳せている純子。
でも、ここで、彼の、華麗に舞う拳と、水鳥つながりで再び氷河に思いを馳せる。

馳せたところで

父:「純子、おにぎりもっと食べんか?」

んも〜〜〜〜〜!!▼▽ω▽▼(でも、食べた)

そんなこんなでイギリスの天文学者が出現を予測した、月の無い夜、午前2時。
奈良と和歌山の県境、紀伊半島の屋根といわれる、護摩壇山の頂上。
他府県からも沢山の見物客がやってきていた。
寒い。真冬の防寒着でいったけど、それでも寒い澄んだ山の冷気。

輝く流星群。まさに群れだった。
しゃっしゃっと、あちらこちらが一瞬明るくなっては消える。
二個いっしょに同じ方向に流れたり、火の玉のように輝いたり。
長くしっぽをひいたり、それがしばらくそのまま残って輝いていたり。
ものすごい量。
見るたびに驚きの連続なのだった。

午前4時すぎ、帰るときも、真っ暗な山道を走る私の車の、前の空に突然まぶしく光る流星がしばしば現れた。
父が「うわっっ」とハンドルとられそうになるほど(谷底に落ちんでほんまによかった)。

あー。今回の日記は挫折。(氷河紫龍バナじゃない日記になった。。。。)

でも、がんばっていってよかった。▼^ω^▼



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