嫌いな食べ物「キュウリ」
ねえ私は寧ろ、弱い精神構造だと思う。強いのでは無くて、強く在りたいと思う、弱い精神構造を持った人間なのだと。だから一度味わったお菓子の味は多分忘れられないで居る。私の最近の特徴は、あの味が忘れられずに、結局のところ食べるけれども、食べる前にも食べた後にも、或いは食べた時期にも食べたいと思う時期にも、その欲望に勝てずに居る私の弱さに腹が立つという、そんなところ。決心は一分で揺らぐ。あれに手を付けないと決めた其の次の瞬間に、あれが私の口に飛び込んでくる気がする。何故このチャンスを手に入れない、と揺らぐ。そうして私は何時だって食べて仕舞うじゃない? 其れを、貴方、見ながら、未だ、私を強いと言う? 弱いんです弱いんですと、私は言いたいんじゃなくて、在りたい自分とそれを目指しきれない程の、欲求の強さに葛藤している自分が、貴方に、強いなぞと言葉を吐かれる、其れが気に食わないのよ。
目指すところと、逃げるところと、そういった部分が酷く、私には正反対過ぎて理解し切れないで居る。何故反対方向へと走っていくのか、と。積み重なれば積み重なるほど、そうだ。
さて、こうして書いたところで、ね、私はまた、お菓子を忘れられずに居るんだよ。こうして書くことで、何かの役に立つかと言えばそうでも無い。そうして其れがまた、私の居るべきところから見たら余りに情け無く、私を傷付けるんだよ、実際。
在りたい自分と、勝てない自分と、現状を見る在りたい自分の、情けなさと、が、入り乱れてるんだけど、嗚呼、分かるかなぁ。
きっと分からんね。貴方はそう言うと、また同じ言葉を繰り返すだけだ。其処まで客観的に自分を言うなんて云々〜と! 違うんだって、そりゃぁあんたの勘違いさ、全くもってね!
こう、言って、違うんだって、とか言うところがもう、私は自分が癪に障るわけよ。貴方にそう思われて居る自分が癪に障るわけよ。慰めて貰いたくも無いのに、ろくな慰め方もしない、素っ頓狂な観点での慰めをする貴方に、慰められてる自分に腹が立つわけよ。自分に、一番、そうじゃないよ、と、言って遣りたい。っていうかね、此処に居るべきじゃないし、居てはいけないし、居る程度じゃないはずなんだよ。本当に。私多分それだけは根拠無く信じられるからさ。こんな、言葉の通じない世界には私は居ちゃいけない。此処には。そして何故勝てないのかが分からずに、酷く腹が立つのよ。何故私に勝てないのか、本当に、腹が立つのよ。もう、何だか、哀しくなってきたよな、こういう実態って。抜け出せよ。
さくま