LEICOCO DIARY
れおと暮らす日々雑感。

2005年06月13日(月) クラーラのこと

れおが幼稚園に行く時には、おやつを入れる小さなバッグと、着替えやタオルやオムツなどを入れる大きいバッグ、合計2個を持っていきます。

今日は昼寝をしてからの登園だったのでおやつの時間には間に合わず、持って行ったのは大きいバッグ一つだけ。

帰りに幼稚園の敷地内でポップコーンを買ってカバンにしまおうと思った時に、大きいバックの中に小さいおやつバッグが入っているのを見つけました。れおは今日持ってきてないのに。

で、取り出して確認すると「CLARA」と名前が書かれている。同じバッグだから間違えられたんだ。たしか2歳年上のクラスに同じ柄のバッグを使ってた子がいたな。急いで返しに教室に戻った。

戻る途中、れおと同じ柄のバッグを持ったお母さんと、泣いている女の子と遭遇。もしかして、と思い「この子はクラーラ?」と聞いてみた。
私が差し出したバッグを見て、母親は一瞬怪訝な顔をした。
(この辺り、ブラジル人は一瞬の感情をもろに顔に出す。ホントに不快だったのかどうかはわからないけど)
その怪訝な顔にちょっぴりムッとしつつ私は母親にあわてて説明した。
「先生が間違えて入れてしまったみたい。大きいバッグに入っていて気がつかなかったの。」
母親は私に一応お礼を言い、泣いているクラーラに、同じバッグだから間違えられてしまったのだと、説明していた。

それで、家に帰って、ふと、思い出した。

私、クラーラになんの説明もしてないや。

クラーラとは全然面識はない。多分、彼女も私を「知らないおばちゃん」としか思ってないだろう。
でも、きっと、自分のバッグがなくって悲しい思いをして泣いていたのに、悲しかったのは母親じゃなくってクラーラだったのに、理由はどうあれ、彼女のバッグを私が持っていってしまって行ったのは事実なのに。
ブラジル人的に謝る習慣はあまりないし、別に私が悪いとは思わないから謝る必要はないにしても「バッグはちゃんとここにあるよ」って、声だけでもかけてあげればよかった。

そのあたり、ブラジル人は自然に出来ていると思う。
知らない子供にも、優しく声をかけてあげることが出来る。
現に、その後、泣いていたれおを抱いて、廊下でそのクラーラ親子をすれ違った時、母親はれおに声をかけてきた。
面識がない彼女が、たくさん人がすれ違う廊下であえて私達に声をかけてきた。それは多分、クラーラに返したバッグが原因かも知れないと、思ったからだろう。そして、声をかけてきたのは、私にではなくて、れおに。
(結局、もう一個ポップコーンを買いたいという理由だけで泣いていたことを説明すると、さっさと行ってしまったけどね)

大人はどうしても大人同士で話を片付けてしまいがち。その方が話が早いし簡単だから。
例えば、混雑した電車にベビーカーをひいて乗ってきた親子を見て、親に不満を抱く人はたくさんいると思うけど、みんなの足元で半ば横たわらせられてる子供を実際に助けてあげようとする人はあまりいないよね。(ぶつからないように足元踏ん張る人はいるだろうけど、子供はそれだけじゃ安心出来ない)
本当に傷ついていたり悩んでいたり嫌な思いしてるのは子供なわけで、それなのに親の方に常識や責任や子供のケアを求めたりして、当の子供の気持ちは素通りしている。それってやっぱり、よくないよな。

というのは私の考えで、ま、本当にそれがいいのかどうか、出来るのかどうかは別だけど。
でも、知らない子でも、その親の存在を無視してでも、自分の子と同等に、大切に思えるように、私はなりたいな。


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れいこっこ

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