愛より淡く
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2002年10月06日(日) ノイローゼな日々 その3 「男性恐怖症な日々」 

☆その3 「男性恐怖症な日々」

高校生の頃、電車通学をしていた。朝のラッシュアワーは、半端でなくスゴイものだった。ほんとうにギュウギュウ詰め、一番最後に乗りこんだ人なんて、出入り口の窓にへばりついた状態で、身動きできなかった。

ん?今の、もしかして痴漢?それとも、偶然ぶつかっただけ? というような、どっちかよくわからない目にもよく遭った。一瞬の接触なので判断にも困った。

困っているうちに、降りる駅に着いてしまったりした。

そうそう、ドアが開いて、降りようとする一瞬のすきをついて、触ってくる人もいた。

きゃ、と思った時には、もうドアが閉まっていた。

でも、慣れてくると感覚が麻痺したようになり、そのうちに、ちょっとくらい触られても、さほど、どうってことなくなってしまっていた。


そんなある朝のこと。

いつものように電車を降りて、エスカレーターを上がっている時、うしろからポンと肩を叩かれたので、え?と振り向くと、トレンチコート姿のサラリーマン風の男の人が、私を見て、ニヤリと笑っていた。

それから、その男の人は、手で下の方を指し示し、私の視線をそちらに誘導しようとした。つられて、そちらを向くと、な、なんと!!


私は、完全にフリーズしてしまった。

このような場合、リアクションには、2通りあると思う。

ひとつは、ぎゃあと大声を張り上げる。もうひとつは、驚きのあまり声も出なくなる。

私の、場合は後者だった。

しばらく、固まってしまい、それから、吐き気を催した。

ショック症状のようなものを起こしてしまったようだ。

いっしょに通学していた友人に抱えられるようにして、やっとこさ学校に到着して、そのまま保健室に直行した。

そして、その日は、ほとんど保健室のベッドの上にいた。

それからしばらく、トレンチコート姿のサラリーマン風の男の人を見ると過剰反応してしまい、条件反射的に、オェーッとなり、目を隠した。

日ごとに、よくなっていったようだけれど、後遺症のようなものは、しばらく残ってしまったようだ。





☆その2 「団地ノイローゼな日々」


今振り返れば、団地に住んでいた時も、やはり相当へんだったと思う。

いわゆるいっしゅの強迫神経症っていうのかしら?(←こんなのばっか^^)

はっきりしたことはわからないけれど。

家事のことも、完璧にできないくせに、完璧にしていないと気持ちが落ち着かなかった。ゆえにいっつも落ちつかなかった。あは。

できなくても誰も責めたりしないのに、誰かに責められるような気がして怖かった。

今では考えられないことだけど、あの頃は寝る前に部屋の中をキチンと片付けてからでないと眠れなかった。

明日ゴミ出しの日だと思うとどきどきして眠れなかった。もし寝過ごしでもして、ゴミの車が行ってしまったらどないしようなんて思うと心配で落ち着けなかったのだ。

たかがゴミ出しごときで、そこまで神経をすり減らせてしまっていたのだ。

お天気のよい日は、団地中のベランダに布団が並ぶ。うちだけ布団を干していないとなんとなく後ろめたくなって干さないではいられなかった。

まわりの目が異常に気になっていた。主体性が著しく欠如してしまっていた。

団地から1歩外に出ると、団地中のあらゆる窓という窓からの視線を感じずにはいられなかった。もちろん、単なる思い過ごしだと思うけれど、そういう感覚から逃れられなかった。

なんでそうなってしまったのかよくわからない。

気がつけばそうなっていた。





その1 「受験ノイローゼな日々」


中学時代、勉強のしすぎ?で、おかしくなってしまったことがある。

あの頃は、何かにとりつかれたように、夜遅くまで勉強をしていた。なんであんなにヤッキになって勉強したのか、今となってはよくわからない。

いっしゅの強迫観念のようなものなのだろか?一日に予定していた分量の問題をこなさないと気持ち悪くて、眠れなかった。



そんな夏休みのある日、異変が起こった。

それは、そろそろ寝ようかと寝床に入って、眠ろうとした時のこと。


突然、「このまま眠ると、もう二度と目が覚めなくなるのではないか?」

というとんでもない妄想?に、とりつかれてしまったのだ。

眠りに落ちて行くという感覚が、ただ、ただ、恐ろしかった。

眠ると呼吸が止まってしまうような気がした。


そういうことがしばらく続いて、完全におかしくなってしまった。


ある夜、「私は、もう今夜あたり危ないのではないか?」

と思いこんでしまって


「それやったら、せめて、両親に最後のあいさつくらいしておかんと」

と思い、部屋を出て、両親の寝床に行った。


そして両親の枕元とに正座して、

「お父さん、お母さん、今まで育ててくれて、ほんまにありがとう」

とお礼を言って、たたみに両手をついて頭を下げた。


父も母も、真夜中に、いきなり現れた私に、そんなけったいなこと言われたものだから、

なにがなにやらわけがもわからず、パニック状態に陥ってしまったようだった。


「どないしたん!!なに寝ぼけてんのん、しっかりしい云々」

と両親は、私を落ちつかせようとした。


「せやけど、息が、息が、苦しくて、心臓が止まりそうなんや、はぁはぁはぁ

もうあかんわ、私にはわかるねん」


とかなんとか言いながら、私は胸を抑えて苦しみ出した。


そのあとはもう、てんやわんやの大騒ぎだった。


母が、かかりつけの医者に電話して、私の症状を伝え、応急処置の方法を聞いた。


それで私は心臓を氷で冷やされて、両親に抱えられるようにして、自室に戻され。その夜は、どうにかこうにか落ち着いたのだった。


翌朝私は、近くの市民病院のなぜか小児科に連れて行かれた。両親は、私をまだ子供だと思っていたし。まあ、たしかに子供ですがね。

14歳というのは、微妙な年齢で、小児科でもOKだった。
ただ看護婦さんには、怪訝な顔をされた。


軽い受験イローゼでしょうね。と診断されて、薬をもらって帰ってきた。


でもね。その時、診察してくれた先生に、こともあろうに、一目ボレしてしまったのだった。白衣とメガネがとてもよく似合って、理知的で素敵な先生だった。ぶらぼーー小児科にしてもらって、よかった。

といっても、その感情は、1週間ほどで冷めましたがね^^。

薬が効いたのかどうかはわからないけれど、夏休みが終わった頃には、すっかり治っていた。

全くもって人騒がせな出来事だった。反省。


そんな感じで、私は、何度かノイローゼになっている。

軽症なのから重症なのまで、それなりにバラエティに富んでいるかもしれない。







よろしかったら、またのぞいてくださいね。ではでは。


アイコンはATNETさんからお借りしています


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