
戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰
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| 2008年04月16日(水) ■ |
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| 何かを伝える、という事。 |
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何故漫画家という職種が世間様の、なんというか、子供の頃に将来なりたい夢としては好印象で無いのかを、昔からずっと判らずにいたのですが、そのまま考え続けていたら理解というより納得する為の仮定を一つ導き出しました。 恐らくそんな取り留めの無い事ばかりでなくもっと役立つ事を考えたらなんて脳内勧告かと思われます。 すげっ、主に逆らうよ脳!! 不健全で、病んでいるような、しかしジャパニメーションと言われるくらい展開は広がっていて、であっても前述の二つが旧体制的だと言われようとも今尚付き纏うのは、一種のネガティブキャンペーンなのかなと。 一握りしかなれない特殊な業種というのならサッカーや野球に代表されるスポーツ選手だって狭き門であろうに、印象としてはアングラな、部活動なら精々文芸部とかが中学校くらいに出てくるような。 尤もこのイメージは通っていた小学校に相当するものが無かったような気がしてなんですが、あれ実際どうだろあったのか? うろ覚えでもの喋るって危険過ぎるよお前。 勿論誰も彼もがなじったりしている訳でも無いし、昨今はヲタク歓迎ブームと共に今述べているような事はまさに前時代的な考え方のようで、一昔前はサッカーだって球蹴り遊びといじめられたのだから。 で、敬遠されがちな理由は、中二病の延長線だからかな、と。要約するとそうなんですが駄目だこの一言だと誤解を振り撒き過ぎているから以下長い説明入ります。
中二病というのはそもそも、思春期における考え方の、特殊性を帯びたと評しながらも誰しもが味わう可能性のある部分を指しており、自体が俗称ですから明確な線引きは無いものの、内包する不安定さやら、所謂自己環境の変化を求めていく過程の、ちょっと突飛に思える言動や行動を揶揄するものです。 人の心を打つような台詞を捻出するなんて、幾ら頭で考えたって中々出来る事じゃない。実際に言われたり言ってみたりも、言われたいと願ったりさえ、難しいんじゃないか。 だけどそれを盛り込みその台詞が相応しい舞台を、架空に作り上げる作業、それは成長期と呼ばれる時代に多くの人が色々な形で触れながら、成長するが故に捨てていくべきだと考えるものなのじゃないかなと。 集めていた謎のスクラップだったり、寝る時に一緒だったぬいぐるみだったり、電池切れから放置していた玩具のステッキだったり、取っておきたい郷愁に駆られながらも、幼稚な過去を髣髴とさせるそれらを手元に置いておくのも躊躇われて、脱却に焦りばっさり全部を捨てていく。ような感覚。 これから生きていくのに必要か否かを早急に判断する必要があるように思えて、残しておくべき余韻ではないと脳内項目から削除していく事柄の中に、アニメや漫画やそれらから得たインスピレーションや自己世界という酷く狭い殻が含まれていて、そして大抵が削除該当としてチェックを付けるからだろうか。 全体的に漠然としつつ言葉を濁して紛らわしくしていますが、残念ながら自分はそのような彼是を感じた事が無いので全部想像でくっちゃべっている為、そうなってしまったり。断定って、こわいもの。 幾ら気に入っていてもサイズが合わなくなった服が着られないように、もう関わっていくべきものではないと、そう思い離れていくべき、に捉えられる事が多いから、大人になっても引き摺ったりそれを仕事として働く事を、大人になれていないのだという意味を込めて否定に走ったりするんじゃないかって。
誰かには当てはまるだろうし、誰かには見当違いもいいところなんでしょうが。自分はすっかり録画隊長となってしまっていますが、毎回シーズンの頭には今期は少しでも見るぞと気張る訳です。そして大抵失敗に終わる訳です。最低。そんな時にふと、上記の事を思い返してしまったりなんだったり。 なので又今回の春も、全部の全話を見切る事が出来なくたって、せめて何かくらいは見つめ続けてみたいものです。ばんがれおれ。自己エールとか送ってる時点でもう終わってるw
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