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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2008年03月05日(水)
生でツッコむには惜し過ぎる。


既に何度かお食事をしている父君様の知り合いの方。
たまにではありますが頻繁にでは無いので何年か経っている気もするのですが、回数から考えたら妥当でもあるような、ようやく普通に話が出来ている感じです。
尤もお酒が出る場なのでその辺饒舌具合が増しているなら余計になんでそれまで口数が少ないのかとか、色々彼是疑問は思い当たる訳ですが。
その方は又場面が違いますが、それでも必要以上に人と話が出来ないのは、どうでもいいかきらわれたくないかじゃないかと思うんですよ。逆に不用意にいつもの通りうっかり暴言吐いたとしてもいいと思えるのはどうでもいいかきらわれてもいいか或いは物凄く気の置けない仲なのか。
おいおいパターン提示に大きな開きがあるじゃないか。しかし対極にあるものが同じ対応になるというのも得てして、という面がありませんか?
どうでもいいというのが実は一番かわいそうな(というより失礼)対象だと思うんですが、きらわれていいなら何を言ったっていい訳じゃないですか。逆に啖呵切ってやりたくもなる訳ですよ。
反面、それなりに付き合いを続けていたいだとか考えると余計な事は言えず、かといって地を出せないのならなんの為の付き合いなのかとも思うし、嗚呼しかし自分の地なんか十中八九受け入れられたものではない。
それでもだらしなくてなぁなぁで図々しくていけしゃあしゃあな自分を出してもオーケイを貰えたら感涙もので、だが長い時間を共有する家人にまでいちいち気を配っていられないというのも事実。但し気に入られる入られない以前の問題でもある気がするけれど、一番難しい繋がりでもあると思うんだ。
結局何が言いたいのやらぐだぐだですが。慎み無く喋っている場合は好まれたいかきらわれたいかで、杓子定規なのは猫被ってるかきらわれたくないからで、微妙なぶっちゃけ具合だとどれでもあって? 嗚呼しかしそれでもどうでもいい可能性なんて含まれている。
自分の態度がはっきりしないんです、そもそも他人にどんな思いを懐いているのかさえはっきりもしていないから。ややこしやー、ややこしや。モトヤかと思っていたらマンサイだとつっこまれましたがその辺どうなんですか? 知るかよ!


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