戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰
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2008年02月15日(金) ■ |
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煙の花がよう似合う。 |
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販促って根性がすきになれません。勿論売買の上で宣伝は必要でしょう。そういう自分も宣伝文句に因って見方が変わったりもします。 しかしだ、購入意欲をそそる為と考えてはみても、自由に何を買ってもいい筈なのに無理矢理に目を向けさせようなんて選択肢を奪ってるんじゃないだろうか。 少なくとも、自身で何かを、純粋にすきだとか薦めたいとかでは無く仕事として褒め称えなくてはいけないなんて、随分耐え難いらしい。この間気付きました。 端的に言えばパンを売らなくちゃいけないんですが、色々考え過ぎてNo pan、No life。とかまで煮詰まってみたり。ノーパンがなくちゃ生きれないってどんだけ〜。そも英文にするならブレッドですがw その仕事をする為に必要な責務が、意に背いてでも行なわなくてはならないなら喜んで辞退する。我儘だと言われても、それを曲げたらただの人以下に成り下がるのではと。 なんて、常に大に飼い殺されるのが小の定めであるのにね。 いや、そもそもからそこまで真剣に考えなければならないものでもないんでしょうがね。くだらない事を大袈裟に真面目に考えるのはすきです。 嗚呼しかし。それらを割り切ってこそ世は生きれるものであり、やっぱり主張だけするのは単なる我儘なんだろうなぁ。
某日の某テレビ、声真似特集だったのに、声が似ていようと姿を似せていないと言ってみたり、はたまた似ていないとあくまで個人的にですが感じた人は仕草で好評を博し、評価基準が外見で絶望した。 あまりモノマネを面白いと思えないんですよね。似ているとしてだから何? とか。いっそ馬鹿にしているのだろうかとか感じてしまうようです。 これをモノマネと括るのは反対されますが、曲のカバーもまるで意味が判らなかったりします。確かに好きな歌を唄いたいという気持ちはカラオケが普及するくらいですから判りますが、何、本人の歌じゃ不満なの? なんて。
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