戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
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2007年10月23日(火) ■ |
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少しわからなくなったのなら。 |
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相変わらず某所によって得た情報ですが、俗に言うBL、BoysLoveは英語圏ではSyounen-nai、即ち少年愛と日本語呼びされるそうです。そんでBLは和製英語と。 ちょっと面白くありませんか? 別にですか。そうですか。
つまらない、些細な、普通の一言は、簡単に人を傷付ける。 語句に罵倒が入っていなくとも、本人が含んだ例えば心遣いであるとか、そういうものを踏み躙られた、と思う時、悲しんだり、怒ったりする。 だけどそれって結局は、そういう自分の気持ちも知らずと腹を立てている時点で、その誰かを思って言葉を発しているのではないんだなと。その限りとは言いませんが。 何日も同じような事を聞いてきて、そんな気になるなら好きにすればいいじゃないと言い放ったら、お前がどうにかしたいんじゃないかと、まるで自分が悪いかのようにぷりぷり語気が荒くなる。 なんて言い方は自分が少しも悪くないようですが、台詞自体に悪気は無いのと、馴れ馴れしくする事で付け込み易いと勘違いさせるなら距離を置こう、初めから大した二人でもないのだからと警戒しての両方の面がありますが、その辺りを詳しくでは無くとも何かしら怒っているのではないかと感じ取ってか最近気に掛けてきます。 勿論、自分にしてみても、身に覚えのない事ある事どちらでも己の何かで相手が気分を害していたりするならば理由を聞いてみたりそれを除いたりしたいですし、それもまぁ全てが全てそうな訳じゃないですが。敢てそう銘打たないと続きの書けない天邪鬼っていうのもまっこと面倒臭いですね。 ただもう、そうしようと、決めた、それまでの歴然たる事実、作ってきた歴史、覆る覆らないではなく、そうあるべきものなのだと、嗚呼でもこれも子供じみた決めつけみたい。書いていると感じます。 到るまでの過程で、あちらが自分を気に掛ける理由も、汲めるものではあります。その時にそうしてやろうと言う魂胆が無くとも、心構え自体が似たようなものなので此方が相手に懐かせてしまう感情も、まぁ。 それでも、御機嫌取りだと明白に表す意思が無いならば、例え自分の気遣いが無碍に否定されて傷付いても、不機嫌そうな声で当り散らして此方に怒っているのだなと気付かせる必要はないと思うんですよ。 それではまるで、折角こっちが気を遣ってやったのにと、恩着せがましい台詞そのものに聞こえてくるから。
核心にまるで触れないからワケワカメな話。内容自体はくだらないんです。いつだって、纏わるは人の心。
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