原初

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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2007年07月02日(月)
きますか、きませんか。


兄上様の彼女が家にいらした時、というか帰る際、以前挨拶しろと言われてから、それまでもしなかった訳じゃないけれど取り立てて言葉が浮かばずなぁなぁだったんですが、もう何ヶ月前に言われたそれから付け足しているのはお疲れ様、だったりします。
レパートリーが無いんだよ! 疲れたに決まってんじゃねぇかあんなのと付き合って!(あんなの呼ばわり) 後たまにまたどうぞとか言いますがこれもおかしいかもしれない。
他に何て言えと言うんだろうか(聞かれても)。別にどう思われたって構わないという点ではいいんですが、一定の挨拶や微妙なものが続いて彼女が気に病んだら可哀想だなぁと。小姑は鬼千匹なんて恐れられたらたまらない。
基本どうでもいい位置が保ちたいんだ。適度に仲良く、適度に流し、適度な適度な。
しかしこれは弱腰ってものじゃないだろうか。根本的に人付き合いを行なってこなかったが為のツケが回ってきているんだろう。

最近頓にバックパック片手に世界一周の旅に出たいと考えています。毎週のアニメが一応気になるところだけれど最近ちーとも見てないからそろそろいいかなとか投げ遣りになってきているし。
尤もその際には腕に覚えのある人とバイリンガルを連れて行きたいですが自分の役割が無いので置いていかれそうです。
でなければ普通に夜遊びがしたい、若者としての。無闇に毎日飲み歩いてみたり、ドリンクバーで粘ってみたり、些細な日常、苛立ちや哀しみ喜び恋愛、語り合ってみたい。尤も一番最後は難題です。
つまり、誰かと触れ合っていたい。当たり障り無いお付き合いとか、いうのは結局がっつり出来る人がいないからだ。電話一本で駆けつけたり駆けつけてくれたりするだけの信頼なんて誰とも築いてこなかった。兄上様の彼女にそれを求めている訳ではなく、気付くきっかけというのか。
一方的に縋り頼るばかりで、相手にもお願いされたらしたいと思う程度で何も自分からの行動なんて起こしてこなかった。だってきっと、そんな事をしたってかわされるだけ。
そうやって決め付けて傷付きたくなくて逃げ回って落ち着いた今の立場に、不満は無いけど、時折どうしても、馬鹿騒ぎしたい、馬鹿みたいに泣いたりもしたい、出来ないだろうけどモチベーションの問題で、それぐらい、出来る友達とか、仲間とか。
友達と呼んでいいのかなんて微妙な呼び方をするのはいざそうじゃないと言われた時の為の防衛線で、自己防衛の為にそんな呼ばわりされる人の気持ちなんて考えない。一応一方的な押し付けもな、そんな気遣いらしきものがない訳じゃないけれど、そんなもの考えてたら友達じゃないんじゃないのか。ある程度の境界線が必要だとしても最初っからそんな遠慮の姿勢で誰が近付いてこれるというんだろう。
距離が離れているとか、それは確かに理由になるかも知れない。でも新しい場所だからと言ったって、もう五年は経つのに相変わらず変わらない。
自分からじゃ何も出来ないんだ。こわくてたまらないから。間違えたら誰も責任取ってくれないから。失敗を恐れて何もしないでいたら、だから今がやってくるんだ。
今も学校はきらいですし義務教育という言葉もきらい、学びたくもない事で縛り付けられるのは真っ平で、でも自らの学びたい事の為なら夜間でも通おうかなと考える事はあるけれど、学生生活を営む上で必須とも言える交友関係を、自分はどうにかする事が出来るんだろうか。
求めている風な事を言っておいて、不安だからやっぱり何もしたくなくて、行動起こして駄目だったらただの引き篭もりを起こしそうだし(弱いな)、それはなくてもただただ勉学だけの日々なら、成長が無い。
蹴っ飛ばしておいて友達という言葉が帰るところに、帰るところが忌嫌った学び舎しかないのなら、純粋な学習意欲も、不純なのか友好を求めるのも、同じ場所であるにも拘らず、何を躊躇うのだろう。
そりゃ金銭的問題第一ですが(爆)。いや自分だけの為に使うならばとっくに貯まっておりますが。漫画と煙草だけなら浪費はしないですよ。生活費を入れていても一人暮らしのそれとは全然違うだろう。
路線としては、勉学と人間関係に対する姿勢の構築し直しを兼ねるという意味では、世界一周も変わらないのだけど。
だけど、職場だって何処だっていい筈だ。若者が苦手特に男性は若くなくとも苦手とかバリア張って寄せ付け無いようにして当たり障り無い関係を熟知している主婦に逃げ込んで、幼少の頃から主婦の方々とお付き合いしていたからという逃げでもあるけれど、結局は自分が及び腰なだけなんだよ。
勇者にも魔王にもなれないし、特殊能力も無いので世界を跨ぐ大活劇、活動にも参加出来ない。でも頭の中でそういう世界ばかり考えるのは欲求の裏返し、答えそのままなのだろう。

くだらない拘りなんですが、自分は創作をする際現実、今のこの世の中、は書かないと決めている。地味に地球に似ていようと日本のように見えようと屁理屈みたいに、似ているだけで別の世界と定義づける。
それは自分なんかには今生きている世界を書き表せないという卑屈が一つ、そこがすきではないから創作をするんじゃないかという疑問が一つ、そして馴染めていないという情けない現実一つ。

でも、なんでもない時、なんでもないからこそ本音染みた、思いがふっと湧いて出る。
それは今まで抑制していたものか、見て見ぬ振りしていたものか、恰好悪いとは思わなかったけれど出来ない事と目を伏せていた当たり前の。
メールも電話もうざったいとか言うくせに、自分の気が向いた時だけ呼び出したり出来る都合のいい代物じゃないと理解しているのに、個々人別々だから反目しあったり傷付けあったりすると、知っているけど。
友達、欲しいなぁ。
ただの、友達。
取り扱いの難しい人間という存在。人間にすらなれない自分。
日常の象徴にしてエッセンス。何故この関係が始まったのかふと鑑みてしまう程側にいて、くれなくってもいいんだ。
傷付け合っててもいいんだ。軽んじていてもいいんだ。大切さなんて気付いていなくっても、だけど若しかしたら弱音吐いたり吐かれてみたり。
人間に期待出来なかったからこそ。自分という人という存在を虚無に感じるからこそ。それらを造り上げた世界を疎んでいたからこそ。
そういう友達、きっと、欲しかったんだ。多分ずっと、昔から。


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