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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2007年06月27日(水)
夢を夢のまま忘れてはくれないか。


エヴァの11巻。を読みました。
漫画版シンジは露骨な愛情表現は一切しないしそれどころかずっと渚と呼んでいて、苗字での呼びは普通の筈なのになんだか冷たく感じて、これでシンジが下の名前で呼び捨てるのはアスカだけなのかと思うといっそう寂しくて、さみしくて。
おかしな話ですが、当たり前の話。自分はカヲル君がすきです。しょうがないのでこれは認める。認めないと話が進まないので認めます。なんだそのいやいや。
彼は死にます。ゼーレによって始めから定められていたように、彼が知っていたように、アニメでそうだったように、シンジとの接し方や性格に違いのある彼も又カヲルであるが故、死にます。
つまり読めば現れた次に死がある事をわかっている上で、読みます。初めて読む、漫画だけのカヲルも又、死ぬとわかっているのに、普通に。
別の漫画を読んだ際死の続きを生者が考えられない事は、事が、一般的には辛いのかもしれないと言ったけれど、だからってかなしい訳でも無くて、言葉通りの絶対的な死だから諸手を挙げて受け入れる訳でもなくて、それが用意された筋書きだと知っていながら、読んでいく。
いやでもわるいでもなく、不思議だなって。すきな人が死ぬ事を何故受け入れるのだろう。普通はもっと喚くもんなんじゃなかろうか。自分でも、それとも自分が変だからその程度なんだろうか。
アニメのように思い切り言い寄ってはいなかったけれど、アニメのようにシンジに、シンジから、好意を寄せられている描写はあまり無かったけれど、アニメよりも不器用に無邪気に残酷なまでに率直な、渚カヲルは、矢張り死んだ。
裏切ったと咆哮する事も無く、一度もすきだという事は無く、けれどきらいだともいう事も無く、選ばされる形は同じだけれどタイミングを異なって碇シンジは渚カヲルをその掌に熱く焼き付けた。
あの世界での存命を望んでも、なんだかそれはカヲル君ではないのかもしれない。
足掻くのがみっともない訳では無いしみっともなかったらカヲルで無いという事ではないし、愛し愛されなければカヲルで無い訳ではない。
子猫を殺すだけが優しさではないし、殺す事が優しさで無いのかと言ったらそれも違う。
でも、初号機の手で握殺されなければ渚カヲルで無いのかと問えば、少し、考えてしまう。
訪れる死は当然の事であり、若い内である事だけが悲嘆に暮れる理由ならば、あまりに、なんてくだらない。生物である以上、避けられないそれを、彼も又享受しただけの事。
きらいじゃないって。よかったね。興味を持った、碇シンジが。


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