
戯 言ノ源
―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰
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| 2007年03月14日(水) ■ |
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| 広がったと思ったものは、狭められた夢。 |
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心許無い時に、何かの台詞を反芻してしまうと、もっと心許無く感じたり。それでもそれが支えであったり考えの一つであったり手助けにも、時にはなるから侮れなくって又考え込んだり。 某フルバの天然姫オヤジの台詞や某満月のうさぎさんなんかの台詞が現在対象です。 どの部分を反芻しているのかというのを示そうとすれば途端に甘ったれ自分がいやになるんですがまぁ恥は掻き捨て、いつか見ていやになったら消せばいいんだ。後ろ向きな前向きの姿勢で。
自分をすきになる事は難しくて、誰かに好きだって云って貰えて、初めて自分の事をすきになれる。 みたいな事を某天然以下略の反芻している台詞。自分も又、そのタイプなんだろうと。 きらっている訳じゃない。認める部分はちゃんと自覚もある。それでもまだまだ未熟ですから許容出来なかったり反発したがったり。自分を愛するなんて、とても、とても。そんな自らに好意を向ける存在なんて信じられなくて露骨に疑ってかかりますがお前は一体何処の野生動物だ。 それでもその意を感じた時、感じなかった時や感じない人よりも、特別な何かを、懐くのかもしれない。言葉を信じられはしないけれど、頭に残る響きを頼りに、こんな自分を好いているその人を通して誰かに好いて貰える自分を、ようやく許せる気になるんじゃないかと。そうして他に甘え頼ってしまうのが、どれだけ自身の方程式にそぐわず相反していたとしても、きっと端っこだけは握っているんだ。 某うさぎさんは、いつになったら好いて貰えるのか。どうしたら誰か来てくれるのか。 まぁなんて甘ったれな、いえいえ批判では無くそれを反芻する自分の脳みそ自体が如何わしいなと。 何かをして、好いて貰う為に何かをして、それで好きになるというのは、それで好きになって貰っても、その為の行動を今後も伴わなければ得られない愛情ならば、本当のところ御免です。 けれど人は変わっていくし変わっていかなければならないし否応無しに変わるのならば、誰かの何かを惹きたくてという不純っぽい動機も、生あればこそのように思える。それとも、誰かの気を惹く為に変わりたい、行動したいと思えた時こそそれを愛情と呼ぶのだろうか。幼稚でも独占欲でも何でも、始まりは、そんなものかもしれない。案外、事の始まりは笑っちゃうぐらい単純ですから。 自分に帰るものの、というより自分の為ではありますが元々、誰かの為に自らを変えるなんて戯れ言だしそうした自分が認められても癪だし、けれど何処かしらで認めて貰えなくっちゃいつまで経っても自分を愛せないと。いうのならどうなんだろうというループの一つの完成です。ループの、一つ。 又この二つの漫画では前者はキャラクタが変わりますが愛情の欲しがり方に違いがあります。 どちらが正しいというのでも無くどちらも一理あるんですが、全てを無理に愛してくれなくても、というのと一つくれるなら全部くれなくちゃいやだ、全部好きになりたいなって貰いたいと。 言わせりゃどっちも我儘ではあるんですが、果たして己がどちらに属するのかといえば、未知数。どちらに転んでも、今の自分は嘲るのだろう。未来から見たら、どうなんだろう? 今にとっては未来、考える未来にとっては過去、計り知れない事だけが同じで、形振り構わず動ける時が来たのなら、そんな時が巡ってくるというのなら、是非頭の片隅に第三者視点の冷静な自分が残ってくれる事を願いたい。観測して、記録して、別の何かに役立てられるように。
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