原初

羅列 回帰



―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2006年11月01日(水)
お願い素敵なスーパーなんとか。


不安を覚えるのは、世界ではない。そんなあやふやなものではない。
自分が見聞きし感じ知る事の出来る、自己の事。誰かが自分を計る、もっとあやふやなもの。
誰かの目に映って自分と言う存在を認識されて感じられて、始めて自分が誰かにとっても
其処にいるとされるならば、自分の耳に届き認識した誰かもまた、
今の自分にとって始めて其処に存在する事になる。それまでの歴史があるのだと、認識される。
何かと交わって自分が生まれ、何かと交わって誰かが生まれ、二つが交わって二つが生まれ、
時に二つ以下にも以上にもなり、束縛されないようで流れに組み込まれて、
それでは始めて自分と言うものが認識された瞬間、誤解や間違いが多く入っていても、
過去や未来があるのだと想定され、何処のレールや枠組みに当て嵌められ、
自分に認識された誰かは、自分をそう見つめていると、感じていいのだろうか。
無性にどうしようもない事に不安を懐くたくなる。どうしようもない事はどうしようもない事で、
今更考えても仕方の無い事や一人が考えても動きようの無い事や
事実と決められた現実や現実に紛れた事実や正確なものなど何処にも無い苦しみ、
勘違いだらけで生きているのにどうしてそれを誰も正してくれないのだろうと言うもどかしさ、
叱って欲しいようで耳を閉じたいアンバランス、話していたいのに見たくも無い反逆、
こわいのに触れて、すきだからきらって、憎むから傍にいて、知りたいから目を閉じる。
わたしとは、何処だろう。どこにいて、何をしているんだろう。なにをして、私なんだろう。
それを決めるのは自分である筈なのに、自分を認識している他人からも定義付けられて、
そうしなければ生きていけなくて、評価や名誉や富にも直結していて、
それだけでは計れないと人は言うし、物差しは自分のものがあって誰かのものがあって
沢山のものがあってどれもが違っていて似ていても詳細は変わっていて、
ここにいる自分を認めたいのに認められないのが他人が認めてくれないからだとしたら、
他人に認められても自分が認めていなければ自分では無いというのが屁理屈なら、
ここはどこで、なにをしていて、なにがそこをつくり、名前を与えていくのか。
途方も無く、支離滅裂で、具体的な何かを指している訳じゃない。何、がそもそもとっても曖昧。
だけど不安になるんだ。髪を掻き乱し心を掻き立てて叫ぶ声は無音で重くても腕は動いて
此処にいる自分が其処にいると認めて何かをしていると感じた瞬間、
誰も知らなくてもそれは自分であり、自分が知らなければ自分では無く、知らなくても、自分だ。
心が遠い。躯が遠い。他人が遠い。自分が遠い。世界が遠い。此処は、何処だろう。


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