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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
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2005年05月21日(土)
鯨の肉を食うな。


という台詞を、聞いた事がありません。
が、某究極のメニュー漫画を読み返すと、その話があった事を思い出す。
私は食べた事無いのでどれほどいいものなのか分かりませんが、
昔日本は普通にそれを食し、また今でもそれを食べる為に大金を払う方もいるとかなんとか。
で、疑問に思うのは。
何故外国の方々は、日本で鯨肉を食べる事を駄目だと言ったのだろう?
過去形なのは、今でもそう言われているか知らないからなんですが。所詮鞭です。いや無知です。
そんな誤字爆発はいりません(セルフツッコミ)。

取り敢えず、可哀相だからと言うのをよく聞きます。
しかしその了見が解せない。
生きるものが生きる為に他の生きるものを食らうのは仕方が無い事なのでは。
他には、他にも食べるものがあるじゃないか、というのとか。
まぁそりゃそうだ。しかしその意見から言うと牛や豚は食べても可哀相でないと言いたいのかしら?
後は、頭がいい動物だからとか。
頭が悪ければ何でも食べていいだなんてそれこそ聞いた事も無いんですが。
それならばバカな人間ならば食っていいんでしょうか。
だとしたら真っ先に食われるリストに私は載るなぁ(笑)。
他の食文化では、某国では犬を食べる、虫を食べる、
宗教上の信仰か何かで人を食べるとも聞きます。
基本的に所謂ゲテモノと呼ばれるものは平気だし、
虫は嫌と言うのも個人的にその存在がどうしても好きになれないからであって
それを食す人をどうこうとは思いませんし、
宗教にはその人なりの信心があるのだからこれまたつっこむべき事ではなく。
よって、何故鯨に着眼点が当てられたのか分からない。

生物が生きる為に何かを食べるのは当然で、植物だって水や栄養分を食べて生きている。
生き物を食べるのが可哀相だという菜食主義者だって、
かつて生きていた植物を食べて今日を生き延びている。
何かの生命を奪って生き延びると言うのは、生きる為に必要な事であり、
仏教だかでは業と説くそうな。
そんな基本的な事を、受け入れられなければ後は死が待ち受けるのみ。
その理念を受け入れられなければ水や酸素だって摂取は出来ないと思う。
生きているのかと聞かれれば首を傾げるけれど、
例えどんなものもやはり生か死の名は付くと思うので。つけようと思えばそれこそなんにだって。
その観点からいくとその漫画、あれがうまいの不味いのとおかしな事言ってる離しになりますが。
生きる為の義務を楽しみに変換する事を悪いとは思わないし。
ただ、まずいと切り捨てられたものこそは可哀相な気はするけど。
それが不味くなったのは大抵の場合人間の手が加わったからだったりするし、
元々不味いなら食べなければいいだけの事。

好き嫌いは勿論あるし、不手際で腐らせてしまったものは捨ててしまう。
そこに罪の観念を抱かないのはそれが当たり前の事であるからだけれど。
いちいちそんな小難しい事気にしてられませんって。
んだけど、鯨を獲り食べる事が残酷だというなら、
初めから食べられる為だけに生まれ育てられ機械的にその生を落とす、
所謂家畜と呼ばれるもの達の命を弄んでいるのは果たして残酷ではないのだろうか。
その話を読む度、思うのです。

でもそんなくどい事を考えてみても誰かに説法する気はさらさら。
言ってどうする、って話です。
や、実家に行くとおいしんぼが揃っているもので、
丁度読んだから気になったというか、思い出した、というだけなんですが(笑)。


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