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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
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2004年12月29日(水)
傲慢も一つの欲であり道であり。

兎角間が悪い人といるのは結構いる。
それに、実は種類が多岐に渡っていると思うのですよ。
そう、例えるならば。
いつも買う同じ番号、宝くじや馬券。
偶々買い忘れていたら、その時に限って当たっている。
一度や二度ならず最早二桁は軽いんじゃなかろうか。
誰の話って、父君様なんですが。
……運無いねぇ。
ちなみに母君様は傘を持って歩くと晴れるタイプらしいんですが。
この二つって似てると思いませんか。
ちなみに私は言おうと思っていた事を先に言われるタイプです。
ギャグとかボケはいつも取られるか被りますね。
チャットの発言は…………
まぁ、私のろいんでしょうな。(纏めたっ!)


物を見る時、よく近づき過ぎだと言われます。
普段から眼鏡はしてるので見えないって事は無いんですが、もう癖か?
見えないから近寄るよりは、近寄った結果悪くなった、そっちの方が正しいような。
漫画とか見る時もついつい近づいていて、気がついたら離してみたり。
近寄って見るから視野が狭くて、読むのに時間がかかるのかなと思った訳です。

ただ、ものを見る時に、近寄り過ぎたく無いとは、思うから。
近過ぎるくらい傍にいかなきゃ、見えないものもあるだろうけれど。
離れて見てみなければ、見えないものもあるから。
出来るなら、冷静に、何て言わないけれど常に第三者の位置を好む逃げ腰だから。
何らかであれ関わったならばもう、その立場は第三者ではなくなるけれど。
本当の第三者ではないからこそ、貴重なのは第三者的な意見なのかもしれなくて。
きっと近づいて見る事は出来ない。ひどく冷めているだろうから。
当事者であろうと、その意味での発言を出来るだけの術をきっと持っていない。
ならばせめて、近づけないのならせめて、私は私だけの意見を持ちたい。
他の誰かじゃ気付けなかったような、うまく言えなかった様な。
そんな事を言える場所に立っていたい。とても難しくて。でも、そうでありたいと。
ただ、それでも自分の物差しで計る事はやめられないから。
せめて押し付けたくは無いと。
その上で”私”でありたいなんて、なんて身勝手な傲慢だろう。

偏った見方なんて常だけれど、そうでなくなるようにと。努めたくはあるから。
いや、心の眼鏡が曇らぬようとかくさい事は言いませんが(笑)。
自分にとっても、誰かにとっても、いいポジションにいたいものです。
総てにとって、と考えたらそれは絶対的に無理な事になるけれど。
誰かにとって、でいい。誰かにとって、がいい。な。とか。


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