記憶の記録。
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2003年11月13日(木) ご報告します

まず始めに、どうしてもお礼を言いたい。
支えてくれて有難う。
勇気をくれて有難う。
元気をくれて有難う。
このサイトに来てくれる皆さんの力をもらったからこそ、今日の先生の言葉を聞けたのだと思う。

「中の皆の力を信じて、よく頑張ったね。うちの閉鎖病棟に要保護状態で入院してきて、こんなに早く退院出来るようになったのはあかりさん達が初めてですよ」

涙が出るほど嬉しかった。
人よりも早く退院できたのが嬉しいのではなく、自分達が自分達のことをまだ信じることが出来ていて、それが目に見える形で現われてくれたのが嬉しかったのだ。
入院した時には、もう絶望しか見えないと思っていた。
自分達はO崎先生の下でしか入院などしないと思っていた。
そのO崎先生のもとから離れてからは、精神科で入院なんてありえない、むしろしてはいけないと思っていた。
それまでの自分達の頑張ってきたものが、全て否定されてしまう気がして。
実際、入院した時に、今までの頑張りは全て否定されてしまったのだ。
他の誰でもない、自分達に。
正直、もう駄目だと思った。
怖かった。怖かった。
自分達の未来が何も見えなくて分からなくて、不安で不安で、本当に怖くて。
でも、それすらも、間違いだった。
駄目じゃなかった。
DIDという病は、確かに今回も私達の生命を脅かすほどの脅威を与えた。
しかし同時に、そのシステムが私達を救ってもくれたのだ。
私達とDIDは、やはりもっともっと時間をかけて分かり合っていかなければならないのだ。
8年間付き合ったくらいで「もう理解した、制した」なんて思ってはいけないのだ。
発症から数えれば20数年間、一緒にいたのだから。
確かにO崎先生と歩むつもりだった未来は、様々な理由で立ち消えた。
それでも、私達は、「これから」を生きていくのだから。
私達を、『私』を愛し、心配し、「生きろ」と願ってくれる人たちに支えてもらいながら生きていけるのだから。
だから、もう新しい地図を描き始めよう。
入院の初日に、友達が言ってくれた言葉がある。
「始まるんだ、ここから」
入院がもう人生の終わりのように感じていた私達の心を、温かくしてくれた言葉だ。
8年間頑張ったけど、もう終わりだと思っていた。
でもそれは、違ったのだ。
今からまた、ここから始めてもいいんだ。
退院が決まった今日、本当に、ここからまた始めようと思う。

私達は、『私』は、生きている。
生きていく。
解離性同一性障害との人生は、まだ続く。
私を支えてくれる人たちとともに。



いつもサイトに来てくれて有難う。
退院、出来ました。



あかり