記憶の記録。
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2003年11月10日(月) 目指すところ

一日本を読んだり、携帯ゲームをしたりしておおむねノンビリ過ごした。外泊の後だから、どんなにじれったい気持ちになるか内心怖れていたのだが、予想したほどのイライラはなかった。ただいつもと同じくらいに「暇だな、チリやSに会いたいなあ」と思うのみ。ほっとした。
最近は人格交代時の揺れもほとんどなく、穏やかだ。特定の、負の感情を持っている人格の場合は別だが。
このまま、誰が出ていてもそう変わりなく感情や記憶を伝えられたり、特定の感情ばかりが肥大してしまったりすることが少なくなってしまうといいのに、と強く願う。
こんなことを考えるのは、今日は穏やかながらも何度か人格KRの気配を感じたからだろう。
最も古い部類の人格である彼女は、常に本体Mちゃんの「死にたい」「いなくなりたい」という感情に敏感に反応する。幼いMちゃんの「汚い自分が嫌い」という意識が凝り固まって生まれてしまったKRをどうやって楽にしてあげればいいか、まだ分からない。今日も彼女は、「死のイメージ」を伝えてきた。それが『私』自身のものでなくKRのイメージだということは、その妄想の中に現れる『私』の姿が幼いままなので分かるのだ。保育園だか幼稚園だかの制服を着ていて、悲しくなる。他のしんどい子たちも、いつかきっと優しく溶けあえるからね。安心してね。


『私』は完全な統合は望んでいない。ただ、『一人の人間』として無理のない範囲で生きていけるように、各人格の記憶や意識の調整をしたいだけだ。それは、O崎先生との治療のときからずっと変わらない。そのためには、重すぎる荷物を持つ人格は肩からそれを下ろしたり、「一人で持たなくても、もう皆で分け合って持てるくらいに時間が流れて大きくなったんだ」と気付かせてあげたりしなければいけない。それをどう伝えるか、また一緒に持つには確実に強くなっておかなければいけないから、自分達がそれぞれ「生きて」いきながらどう強くなるか。考えても、まだまだ時間がかかるなということしか分からない。でも、目指すところはこれからも変わらないし、また、変えなくてもいいんだろうなと今は思える。


あかり