記憶の記録。
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2003年11月09日(日) 外泊終了

今日は本屋までお散歩にひとりで行ったほかは、おうちでゴロゴロ。とても気分がよく、楽しく過ごせた。何気ない普通の、貴重な一日。
お散歩には一人で出掛けた。徒歩15分くらいのところにある本屋さんまでだが、途中には踏切&橋&幹線道路という、入院前の私達には危険すぎたスポットがある。今だからこんなに軽く書けるが、本当に、何回妹や相方に心配と迷惑をかけたことか。何度思い返しても、自分達のしていた行動にぞっとする。でも、今は、それらのことを反省しこそすれ、繰り返そうとは思わない。入院の価値はあったのだ、と嬉しく思いながら道を辿った。帰りは相方Sが途中まで迎えにきてくれた。
と、その顔を見た途端、足が止まってガクガク震えた。Sの顔を見て安心したらしい。自分達でも気付かないうちに相当緊張していたのだと知る。一瞬情けなくなりかけるが、「焦らない、焦らない」と、どこかの小坊主のように呪文を繰り返す。
今日のお昼は、チリの大親友Nちゃんが遊びに来て、パスタとオーブン料理を手づくりでごちそうしてくれた。すっごーく美味しかった。彼女も『私達』を知り、懸命に理解しようとしてくれる大事な友達だ。私達は、誰かに自分達のことを知ってもらうとき、とても申し訳なさと後ろめたさを感じる。この病気を告げることで、何と言って否定されるのか、また、受け入れてもらったらもらったで、相手にどれほどの負担をかけてしまうのか。想像するだけで恐ろしい。冗談で「多重人格みたいに雰囲気変わるでしょ」と言うだけならどんなに楽だろう。でも、実際にそうした場合、自分達に残るのはいつも苦い後悔と痛みだけだった。二十何年を一緒に過ごした病気を、そんな軽口でごまかしきれる訳も痛みを伴わない訳もないのだ。だから、NちゃんやGちゃん、りるかちゃんといった「最近告白した友人達」への感謝は、本当に深く深く感じている。もちろん、ネットというあやふやな世界で、『私達』をまっすぐ信じてくれた人達にも同じだけ。
いつか、私達は感謝の分だけ自分達を許せる日が来るのだろうか。ガチガチに凝り固まった、本体Mちゃんの「私さえ生まれてこなければよかった」という心を解放出来るのだろうか。


アタシは、「YES」と答えることができる。今はまだ、小さい声しか出ないけれど。いつか他の人格達みんなと、大きな声で答えられる日がくると信じている。そう思えた3日間だった。
私達は生きている。
『私』は生きている。みんな、ありがとう。


病院に帰ってきて真っ先に、レンさんからもらった象さんを枕元に置いた。ありがとう。頑張るね。


あかり