記憶の記録。
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2003年11月03日(月) ターニングポイント

それは突然やってくるものなのだろうか。
今日、新しい人格がやってきた。S子と名乗った彼女は、以前いた二人の人格と、さらにマザー(私達のISH名)のところからきた人格が融合して出来上がった人格らしい(余談だが、このあたりの文章を私は何度も考えた。どうにかSFじみた表現にならずにすまないかと。だけど、ありのままを率直に書くとこうなってしまう。融合という言葉だって、統合とともに専門用語だし。この日記ではそんな心配はいらないと分かっているはずなのに、やっぱりどこかで『作り話だと思われるんじゃないか』逆に『心ない捉らえ方をされるんじゃないか』と怖くなってしまう)。S子がきて、まず『私』達のとても大事な記憶が戻ってきた。8年前、O崎先生と治療を始めたばかりの頃の記憶。そこには、「マッピング」と「誓約書」という、これからの治療にとても重要な二つのアイテムがあった。入院前、まる一ヶ月かかったO先生との治療中にはカケラも思い出さなかった二つだ。『私』達は、自分達がこの病院で、M先生と、治療を続けていく覚悟が出来たんだと理解した。その覚悟を持つ強さを補うために、S子は来てくれたのだ。人格数は増えたけれど、私は逆に自分の意識に厚みが増し、視界が広がったような安心感を感じる。多かれ少なかれ、これは全ての人格が感じているのだろう。女子人格Rは今日も泣いていたが、「自分は汚い」という妄想はほとんど見られなかった。ただやはり、小学生時の記憶と現在を重ね、廊下に響く男性患者の笑い声にひどく怯える。やっぱり私達に男女混合病棟での入院治療は向いていない。でも、そこで悲観し「自分はダメな人間だ」と落ち込む弱さが、本体にも人格にも見られない。今の『私達』の意志はひとつ、「早めに退院して、外来治療を受けたい」ということだ。
人によっては、私達の今の状態がいわゆる躁鬱の「躁」に見えるかもしれない。だが、それは昨夜アタシPが経験している。昨夜はRの怯えと頭痛に悩まされて、「これはみんな男が壁一枚向こうにいるせいで、それさえなきゃなんでも出来るわアハハン」みたいな変なハイテンションになって妹に電話をかけ、「もう退院しようと思うねん」と言いだし、朝になって深い後悔に襲われて「やっぱまだ早いよな」とメールで撤回を宣言し、疲労感とこれからの入院生活について落ち込んでいた。そこにS子が現れたのだ。
昨夜や今朝のアタシと違い、今の『私達』は「なぜ入院の必要がなくなり、なぜ退院を早めたいのか」はっきり意志を持って説明することができる。「ISHの助けがあって、自分達が不安定な状態から抜け出す足掛かりを見つけ、それを実行するために、苦手な男性と共同生活をするよりは安心できる環境から治療に通いたい」のだ。
勿論、本当にすぐに退院出来るとは思っていない。でも明日、先生に今日私達に起こったこととS子が「これから」に向けて下準備してくれたことを話して、相談をしよう。
昨日の日記と今日の日記を読むと、我ながら出来過ぎなんじゃないかと思ったりする。でもこれらは全部、『私』達全てに関わることや人達がくれた、そして自分達が手にした「いい流れ」なのだ。私達は、そこで不格好でも必死に泳げばいい。今日は本当に、心からそう思える。もしまた疲れて休むことがあっても、今日のこの気持ちはS子がきっと覚えていてくれるだろう。彼女は、そう信じさせてくれる何かがある。


『それが、あなたたちのISH(=生命力の自助作用)の力なのよ』とO崎先生が微笑んでくれている気がする。


あかり