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性格悪い奴ほど強いゲームやね。 - 2004年09月17日(金) ところで、今更のように書くのだが、 これは「日記」だ。ほんとうに「日記」だ。 だから「人に読まれることを前提としていない」のだ。 もともと、人に読まれるようにするための宣伝活動?もしてないし、 これがたとえば会社の女の子に読まれるとちょっとまずい部分も 多々あるし、基本的には「おれがおれ自身を晒せ!」という 路線で気付いたら2年近くこんなものを、時々(大幅に)休みつつ ほんとうに「酩酊」しながら書いてみたりごくまれに素面だったり、 その殆どがどうでもいいくだらないことであるしつまらぬ言葉の 羅列であったりもするし、そしてごく希に、極めて稀に、 「こう見えてもおれだってちょっとはマトモなことだって 考えちゃうんだもんね」 な雰囲気の日もあったりするのだ。 とにかくそういうのを全部ひっくるめて、基本的には 「追憶へと向かう記録」という路線を目指しているために、 おれの文章はいつまでたっても「モノローグ」なままで、 「ダイアローグ」とはなりえないのだ。 つまりは、ここには「他者」というものが存在しえないのだ。 他者が存在しなければ、「対話」も起こらない。 たとえば、「大富豪」という全国共通的なネーミングの トランプのゲームが(※)、地方によってルールに差異があり、 したがって大富豪を始める際には「ルール確認の儀式」が 必ず存在するのと同じように、 「他者」と向き合う時には、それぞれの価値観を (こっそり)(ちゃっかり)確認し合うという水面下での 攻防戦が繰り広げられた後、ようやく「対話」が始まるのだ。 なんらかのものとの「差異」や「ズレ」を意識すること。 それは、「あいつはおれにはないものを持っている」といった 羨望にも似た意識に近いものがあるかもしれない。 とにかく、「他者」への意識がないおれの文章は、 いつまでたってもヘタレなモノローグ止まり、ということだ。 (※)ウチの地元では、「大富豪」ではなく「大貧民」と呼んでいた。 ...
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