伝えたいことは・・・ - 2002年03月04日(月) 10歳の時に、祖母を亡くした。 「筋萎縮性側索硬化症」通称ALSという病気で、 多くは40〜50歳代に発病し、少しずつ全身の筋肉が 萎縮していくという難病だ。最終的には呼吸筋さえ も動かなくなって死に至るのだ。 効果的な治療法は、未だに発見されていない。 自分が物心ついた頃には、祖母はすでに病魔に 侵されており、記憶に残っている祖母の姿は、 病院のベッドの上だったり、あるいは自宅での 寝たきりの姿だったり、記憶なんて全くといって いいほどない1〜2歳頃の写真の中にだけ、自分の 知っている「元気な」祖母の姿があった。 祖母はまだ首もろくに座ってない自分を抱きかかえ、 当時はまだ旧い制度が残る地元では「家を継ぐ男が 生まれた」と大喜びの様子で、写真の中に祖母がいた。 だが、自分の記憶に残っているのは、 思い通りに体が動かせないばかりか、 思ったことを口にしようにも、口の筋肉が萎縮して しまってコトバを伝えきれない祖母だった。 何が引き寄せたのか、自分は比較的祖母の近くにいる ことが多かった。当時馬鹿げたくらいに家庭内がゴタゴタ していたこと、母親が祖母の介護に一日のほぼ全てを費や していたこと、そんなことに対し、「俺も何かできない だろうか?」なあんて思ってたんだろうか? 祖母は、時折自分に向かって何かを伝えようとした。 もう殆ど動かない口で。 そのほんとうの意味を、幼い自分は理解することができなかった。 ある日曜日・・・ その日は朝から過ごしやすい陽気で、祖母は 「座敷の上で、庭を見ながら横になりたい」といったことを 母に言ったそうだ。 うすうすながら、分かっていた。 祖母は、今日、自分の人生にピリオドを打つことを。 自分は、決してそれをはっきりと確信していた訳でもないのだが、 ただなんとなく祖母のそばにいた。そう、いつの間にか。 当時は、自分は非常に内向的で、従って友人も殆どなく、ましてや、 近所に同年代の子供が妹以外いなかったということもあって、 わりと一人遊びをする方だった。その日も例に違わず、何かの ゲーム盤を一人でやりながら、祖母のそばにいた。 ふと、何かに憑かれたように、祖母を見ると、 祖母は、自分をじっと見据えたまま、動かなくなっていた。 信じがたい気持ちを抑えながら、「オバアチャンハシンダ、シンダ、シンダ」 というコトバだけが頭の中を駆けめぐる。 本来なら、急いで親にこのことを告げにいかなければならないのだが、 当時はわりと農地があった実家ではちょうど田圃の季節で、両親は 農作業に出ていったきり。 その日の昼食のカレーライスは、今までの人生で一番不味いカレーだった。 結局は、祖母の様子をたまたま見に行った母が、亡くなっていることを 知るのだが、 死に目に立ち会っていたのは、まぎれもなく自分だった。 あの時、真っ直ぐ自分を見据えていた祖母。 一体何を伝えようとしていたんだろう? 何が言いたかったんだろう? 今でも、それが分からない。 そして、それが悔しい。 それに引き替え、自分は祖母に何ができたのだろう? そもそも何かしたこと自体あったのだろうか? 何もできなかったし、何もしなかったんじゃないのか? 今でも、ありありと思い起こせる。 あの瞬間の祖母の死に顔。 自分に向けられた視線。 その度、自分はいまいましいくらいに口惜しい気分になる。 あれから20年が過ぎようとしている。 僕はまだ、分からないままでいる。 ...
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