見つめる日々

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2010年09月09日(木) 
激しい雨は一晩で止んだ。窓を開けてみると、のっぺりとまだ雨雲の残骸が空に残っているけれど、これもじきに晴れるのだろう、そんな気がする。街路樹は、久しぶりの雨を浴びたせいか、いつもより緑が濃くなって見える。まだ吹き付けている風に煽られて、葉の裏側がひらひら翻っている。まだ通りには誰もいない。車一つ通らない。そんな時間。
玄関に回ってみると、濡れた校庭が静かに横たわっている。この夏休みの終わりに砂を足したせいか、校庭には水溜りはほとんどなく。雨上がりなのに水溜りがない校庭というのも何となく不思議な光景。うちの小学校では九月になると運動会の練習が始まり、プールがなくなってしまう。子供らが集うことのなくなったプールは、なんだかがらんどうで、寂しそうに見える。校庭の周囲を彩る樹々たちも、この雨のおかげで甦ったらしい。緑がつやつやと輝いて見える。耳を澄ますと、遠く微かに蝉の声。でも、もう本当にそれは微かで。じきにこうやって耳を澄ましても聴こえなくなってしまうのだろう。
ベランダに戻り、ラヴェンダーのプランターの脇にしゃがみこむ。デージーは昨日の雨を受けて、幾つかの花が散り落ち。といっても花びらが落ちるわけじゃない。萎びるのだ。だから、これだけたくさんデージーが咲いても、花びらが落ちているところを私は殆ど見たことがない。ラヴェンダーはそんなデージーの気配を察してか、脇にそっと避けて、佇んでいる。
吸血虫にやられたパスカリは、うっすらとした新芽を少しずつ少しずつ広げてきている。ひらひらと風に揺れる新葉。透かしたら向こうが見えるんじゃないかと思うほど弱々しく。でも、新葉がこうやって出てきてくれただけでも嬉しい。また近々肥料を継ぎ足そう。私は心に小さくそうメモする。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。みっつめの蕾が現れた。まだ葉と葉の間、隠れてはいるけれど、これは間違いなく蕾。今ぽろりんとくっついているふたつの蕾に続いてみっつめ。嬉しい。
友人から貰った枝を挿したものは、沈黙しているものと、それから新芽を勢いよく芽吹かせているものと。それぞれ。新芽は紅く紅く染まっており、それが徐々に徐々に緑色になってゆく。
横に広がって伸びてきているパスカリの蕾は、すっかりクリーム色になってしまった。純白のはずのパスカリの花弁はどこに消えたのだろう。私は首を傾げる。他の枝からも、小さな紅く染まった新芽がこっそり出てきている。
ミミエデン、ふたつの蕾。そのうちのひとつが、僅かに白い花弁を見せ始めた。私はミミエデンの花を自分の家でしか見たことがないから、比べようがないが、本当にその花は小さくて。私の小指の先ほどの大きさにしかならなくて。こんなんでいいのかしらと不思議になるくらい。でも、咲くとそれは、白からピンクへのグラデーションを描く。それはそれはかわいらしい花なのだ。
ベビーロマンティカはみっつの蕾が明るい煉瓦色の花弁を見せ始めた。ぱつんぱつんに膨らんで、いつ弾けてもおかしくないくらい。昨日の雨が効いたのか、萌黄色の新葉がさらに艶やかに鮮やかに輝いている。
マリリン・モンローはふたつの蕾を抱えて立っている。最初の蕾、まだ思ったよりも大きくならない。これからなんだろうか。あちこちから新芽は吹き出している。大丈夫、肥料を足してやればきっと。今日帰り道にホームセンターに寄って買って来よう。
ホワイトクリスマスの新芽は、白緑色からだんだん緑色が濃くなってきて、そして縁が紅色に染まる。それが開いてくると、濃い緑色になる。今そのちょうど途中といった具合。
アメリカンブルーはよっつの花をつけており。風にさやさやと揺れる枝。その先に青い青い花。この鼠色の雲の下でも、その青色は輝いて見える。
部屋に戻り、お湯を沸かす。昨日空になったポットにふくぎ茶を濃い目に作る。多分一日に二リットル以上は普通に飲んでるなぁと、作りながら思う。ポットを三つ用意して、それを順繰り使っているのだが、あっという間に、本当にあっという間になくなっていく。私の体の中にそんなにも水分が入るものなんだと、ちょっと不思議になるくらい。
昨日娘の出したお弁当箱がそのまま流し場に残っている。それをちょちょちょっと洗って伏せる。そろそろ、自分の出したお弁当箱ぐらい、自分で洗えるように教えた方がいいかもしれない。そんなことをふと思う。
カップを持って、椅子に座る。寝ているときから続いている偏頭痛、どうしよう、薬を飲もうか迷っている。肩を回したり、首をゆっくり回したりしてみるが、頭の芯にとりついた痛みが、抜けてくれない。仕方ない、一錠だけ飲もう、私はくいっと一粒、飲んでみる。そうして煙草に火をつける。窓から見上げる空は、まだまだ鼠色で。でもところどころ、雲の薄いところがあり、そこから光が煌々と漏れている。街景がその色を浴びると一変する。くっきりと輪郭を持って立ち現れる。
とりあえず、朝の仕事にとりかかろう。私は椅子を引いて、キーボードを叩き始める。

父から珍しくメールが入っている。どうしたのだろうと読んでみると、おまえに電話を何度掛けても繋がらなくて心配している、とある。私が掛けてみると、いっぺんで繋がった。どうしたの、お父さん。どうしたもこうしたもあるか、電話が繋がらないから心配していたんだ。私別に、番号変えてないよ。っていうか、いつも電話繋がってたじゃない。どうしたの? 分からん。で、何? おまえがまた変なのに騙されてるんじゃないかと思って電話してみた。私は思わず吹きだしてしまった。変なのって何でしょう、お父さん、と尋ねてみたかったが、やめておいた。学校の件があってから、疑り深い父はなおさらに疑り深くなってしまった。それもまぁ仕方がない。
写真のコンテストに出したとか言ってたが、それも、後になってお金を取られるとか、そういうことはないんだろうな。なんでお金取られるの? 出品料とかいって取られるかもしれん。そんなことはないから大丈夫だよ。信用できるのか? 大丈夫だって。おまえの大丈夫は信用ならん! 私は思わず受話器を塞いで笑い出してしまった。いや、父の言うことは或る意味ごもっともで。ふと思い出す。思春期の頃、父が私に向かって言った言葉、人を信用するな、と。おまえは人を信用しすぎる、人を信用するな、と。あの時は、なんて酷いことを、しかも父が言うのだろう、と、ショックを受けたが。今はまた違って見える。私は確かに人に騙されやすい。ころりと騙される。そんな私を見ている父や母は、きっと気が気じゃないのだ。自分らが死んだ後、こいつは一体どうなってしまうのだろう、と、そう思って気が気じゃないのだ。だから、私は黙って聴いている。父の言うことを。今は、そう。昔のようにはならない。
結局、何故か父の登録していた番号が間違っていたことが判明し、父に私の番号を登録し直してもらうことで事は解決した。どうってことのないことだったのだが、携帯電話などに疎い父にとっては、とんでもない大事だったに違いない。私は電話を切ってから、今頃向こうでああだこうだと機械をいじくっている父の顔を思い、ちょっと笑った。
「冬海景」にテキストを添えようと、改めてプリントを見直す。展示したことのある作品も、したことのない作品も全部、並べてみる。そこから二十五点、改めて選び出し、プリントし直す必要があるものにチェックを入れる。そして、それをとりあえず順番に並べ、コピーをとる。そのコピーを見ながら、テキストを添えてゆく作業。時間はあっという間に過ぎてゆく。
「虚影」「緑破片」に続いて、これを発表していきたいと思っているのだが。その前にもっと煮詰めないといけない。一通り作業を終えて、気づけば四時間、ゆうに時間が過ぎていた。

ふと、目の前の薬袋が目に入る。こんもり膨らんだ薬袋。この他に漢方薬二種類も私は毎食後飲んでいる。一体それは、何処まで続いたら、終わりが見えるのだろうと思う。これでも昔に比べれば、飲む量は減った。それでも。まだまだ多い。
友人がそういえば言っていた。もし私がねぇさんと同じ量の薬を飲んだら、その副作用でひっくり返ると思うよ、と。でも私は、今これがないと、一日の生活がままならない。副作用の出方ひとつとっても、人それぞれ。薬ってほんと、怖いな、と思う。
そんな時思い出すのが、母の病のことだ。肝臓。もう壊れてスカスカになり始めた肝臓。私の肝臓は、こんなにたくさんの量の薬を長年溜め込んで、一体どうなっているのだろう。母のように壊れてからではどうしようもないのだ。それは分かっている。でもじゃぁ、どうすればいいんだろう。分からない。
そんな時、娘の寝顔を眺めながら思う。私が健康でいなければいけないのに、と。私がちゃんと元気で、この子がひとり立ちするまで生きていかなきゃならないのに、と。私の体は、本当に大丈夫なんだろうか。時折ふと、そう、こんな時ふと、不安になる。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。私は階段を駆け下り、自転車に跨る。ちょうど電気工事の人がやってきて、すれ違う。あぁそういえば今日の午前中は停電するんだった、思い出す。帰ってきてからが面倒だな、そんなことを思いながら、自転車を走らせる。
坂道を下り、信号を渡って公園へ。玄関から耳を澄まして聴いたのは多分、この公園の蝉の声のはず。弱々しくなっていく蝉の声。それは季節が変わることを教えている。蝉よ、本当にお疲れ様。私は何だかふと、そう声を掛けたくなった。池の端に立って見上げると、ぱっくり開いた茂みの向こう、空が広がっており。ぐいぐい流れ往く雲の様が、そのまま池の水面に映っている。今日、いつもの猫はいない。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。左へ折れて、真っ直ぐ走る。すれ違う人、人、人、みんな、何処か虚ろな顔をしており。私はできるだけその人波から外れたところを走る。
駐輪場で、おはようございます、と声を掛けると、おじさんが出てきてくれた。いつものように駐輪のシールを貼ってもらい、定位置に自転車を停める。
さぁ今日も一日が始まる。私は歩道橋の階段を、勢いよく駆け上がる。


遠藤みちる HOMEMAIL

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