2010年07月29日(木) |
起き上がり、半分開けておいた窓から外へ出る。見上げると、もくもくとした濃鼠色の雲が空一面を覆っている。それはもう見事なほどのうねり具合で。雲が生きていることを、実によく語っていた。あぁこれは雨が降るんだな、と思いながら私はしゃがみこむ。ラヴェンダーとデージーの、絡み合った枝を解いてゆく。そろそろデージーの花も終わりになるのかなと思いきや、その勢いは全く衰えることなく。いまだに花盛りといった感じだ。ラヴェンダーの二本の、長く長く伸びた枝を昨日切ってみた。それでもここまで絡まり合うのだから、もしかしたら、この二種類は、犬猿の仲なのかもしれない、なんて思ったりする。 アメリカンブルー、今朝は二つの花が咲いてくれた。真っ青のその花。この濃鼠色の空の下でも、その青の透明さは変わらない。それが嬉しい。 桃色の、ぼんぼりのような花。三つの花が、ぽろん、ぽろんとついている。その隣で、パスカリが白い花芽を揺らしている。下の方から伸びてきた新芽が、ぐいぐいと首をもたげている。 もう一本のパスカリの、根元から出てきた枝葉も、赤い縁取りを伴いながら、くいくい伸びてきている。結構太い枝だなと、私はそれを指でそっと撫でてみる。ぷるん、と、先端の葉が揺れた。私は慌てて手を離す。邪魔しちゃいけない。 ベビーロマンティカは、幾つもの蕾を伴って、それでも飽きずに新芽を伸ばしてくる。この元気さ加減は何処からくるんだろう。こんなに暑い日が続いているのに、そのエネルギーが滞る気配は何処にもない。 ミミエデンはミミエデンで、紅色だった葉がすっかり緑色になった。これがもう少し明るい葉の色になるはず、と思う。昨日折れてしまった花芽、テーブルの上で今水に挿してある。本当にもったいないことをした。カーテンの仕打ちが恨めしい。でもそんなことを言ってももう元には戻らないのだから仕方がない。また花芽を出してくれるのを待つばかり。 マリリン・モンローとホワイトクリスマス。それぞれに新芽をぶわっと噴き出させて来た。私はしゃがみこんで、下の方からその芽を見上げる。空に向かって真っ直ぐ伸びるその新芽。どんどん伸びろ。私は心の中、声を掛ける。 昨日、死刑が執行されたというニュースが流れた。その途端、批判の声明があちこちから挙がっていた。それを見ながら、私は私で考えていた。 私は一被害者として、死刑執行に反対しない。 自分が、あの被害に遭ってからの日々を省みれば、とても死刑なんかで償えるものじゃないと、私は思う。いくら加害者が死刑になっても、私の時間は戻らない。私の体験はなかったことにはできない。私が経てきた苦しみは、決して消えてなくなるものではない。 でもじゃぁ、たとえば私の加害者たちが、死刑になったとして。それで私の苦しみが消えるかといったら、それも否なのだ。 私は、生きながらずっと、あの出来事を抱え、背負ってゆく。それならば、加害者たちも、そうであってほしい、と、私は考えてしまう。 だから、死刑よりも、終身刑を作って欲しい。そう思う。 友人の何人かには、終身刑だって足りないという人たちもいる。それはそうだ、いくら閉じ込められているとはいえ、飯はちゃんと出る、眠る場所もある、それだけで贅沢だと、その意見も分かる。 でも。 死刑にしたからって私の苦しみは拭われない。そのことも、歴然としている。ならば私は何を選ぶか。終身刑を作って欲しい、終身刑で一生、その人がそこで、罪を償ってほしい、そう、願う。そう、生きながらでしか味わえない苦しみがあると、私は考えるからだ。 何度死のうと思ったか知れない。何度それを実際試みたか知れない。それでも死ねなかった。私は生き延びてしまった。その生き延びてくる中で、味わった苦しみ悲しみは、生きながらでしか味わえない代物だった。 日本に終身刑が存在しない限り、私は死刑執行に反対はしない。でも、終身刑を作ってくれるなら、死刑なんていらない、と、私はそう思っている。 同じ被害者同士でも意見が分かれるこのこと。私が軽はずみに何か言っていいとは思わないけれど。 私がもし、あの加害者たちに望むことがあるとすれば。それは、一生涯その罪を背負って、独房で一人寂しく死んでいってくれること、だ。私がここに在ながら、様々な人との緒を失って、堕ちて堕ちて、這いずり回った地の底を、味わえなくともせめて、想像くらいはしてほしい。 でも同時に。こうも思っている。いくら想像したって届かないのなら。いっそのこと地の果てで、ひとり朽ちていってほしい、と。 そう、たったひとりで、朽ちていってほしい、と。
娘と二人、猫探しの日々が続いている。動物病院やペットショップへ行って里親募集の貼り紙がないか探してみたり、思いつく人に連絡をとってみたり。こういうことは多分、タイミングなんだろうなと思う。私たちが行くところ行くところ、つい最近まで募集があったけれど決まっちゃったよ、というところばかりで。また募集があったら連絡ください、と、連絡先を告げてとぼとぼ帰宅することばかり。それでも、諦めたら終わりだと、二人で言い合いながら、あちこち回る。 そう、諦めたら、終わりだから。
ねぇママ、ママは私くらいのとき、勉強こんなにいっぱいしたの? んー、そうだね、同じくらいしてたな。嫌じゃなかった? ママ、実は勉強するの好きなの。ええーー! 信じらんない、勉強が好きなの?! うん、だからこの歳になってまで、また勉強始めたりしてるのよ。うぅぅ、私、無理。ははは。まぁ普通はそうだよねぇ。あなたは何の科目が一番好きなの? 最近はね、国語。でも、物語文じゃなきゃだめ。へぇ、詩とかはだめなの? うん、全然ちんぷんかんぷんだもん。何が言いたいのか、全然分からない。そうかぁ、ママは詩とか大好きで、自分でも書いてたんだけどなぁ。そうなの? うん、日記の他に、詩もよく書いてたよ。そういうノート、残ってる? 残ってるけど、見せないよっ。えー、見せてよぉ。だめだめ、そういうのは秘密なの。私、作文はいくらでも書けるようになったんだけどなぁ、詩ってわけわかんないよ。そっかぁ。他に何が好き? うーん、理科だけど、覚えるのはやっぱり、だめ。そうだね、あなた、暗記が苦手だよね。でも、理科とか社会って暗記しないとどうしようもないからなぁ。実験とか大好きなんだけどな、私。うーん、テストでは実験しないもんねぇ。まぁ、やれること、一個ずつやっていくしかないよ。ね? 分かってるけどさー。あー、しんどー。
ママ、死刑になんで大勢の人が反対するの? ん? どうして死刑はいけないの? だって悪いことしたんでしょ、それで死刑になるのは当たり前でしょ? ん…。なんで死刑反対とか言う人がいるの? 信じられないんだけど。ん、ママにもよくは分からないけれども。人間が人間を殺すって、それ自体がよろしくないってこともあるんじゃないかなぁ。ママ、でも、よく分かんない。私、死刑って、在って当然だと思う。悪いことをしたら死刑になるのは当然だって思う。そうか。ママはね、終身刑っていうのがあればいいなぁって思うんだよね。シュウシンケイ? うん、そう、死ぬまでずっと刑務所に入って、罪を償うの。でもさ、その人のご飯とか何だとか、そういうのって、全部用意されてるんでしょ、なんかずるくない? …。だってさ、うちなんか貧乏だから、ご飯どうしようかっていうときだってあるじゃん。あるねぇ。でもその人たちは、そこにいるだけでちゃんとご飯もらえちゃったりするんでしょ、寝ちゃったりするんでしょ、ずるいじゃん。…。私だったら、さっさと死ねって思う。死ね、か…。ママは、死ぬより苦しいことがある、と思うんだよね。死ぬより苦しいこと? うん、死ぬのなんてある意味、簡単かもしれないじゃない。だって、誰かに死刑執行してもらうんだから、一瞬苦しみはあるかもしれないけど、あっけなく死んじゃえるんだよ。でもね、生きているからこその苦しみっていうのが、ママはあると思うんだよ。それをね、犯罪を犯した人には、ちゃんと味わってほしいと、ママは思うの。ふぅん。私、さっさと死んでくれってやっぱり思う。そうか。うん、そうか。
じゃあね、じゃぁね、昼前には一度戻るから。そしたらお昼一緒に食べよう。うんうん。それまでにやることやっといてね。分かったー! いつも返事だけはいいんだからなぁ、と、私は心の中思いながら、苦笑する。手を振って別れる。 さっきあれほど強く降っていた雨が少し止んでいる。まぁ濡れてもいい格好をしているから、このまま自転車で行ってしまおう。私は自転車に跨る。 娘の言葉をあれこれ思い出しながら、公園の前へ。今朝、さすがに蝉の声は殆どしない。蝉も、あの激しい雨を避けて、どこかに避難しているのかもしれない。 耳に突き刺したイヤフォンからは、Secret GardenのElegieが流れ始める。 大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。と、また雨が降り出した。でも今更引き返すのもどうか。私はそのまま走ることにする。 こんな時。胸が苦しくなる。頭がふらふらしてくる。それでも。 私は生きることを選んだのだから、と、私は自分で自分を叱咤する。しっかりせねばと叱咤する。
さぁ、今日も一日が始まる。上を向いて、歩いていこう。そう思う。 |
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