おぎそんの日記
おぎそん



 ジュブナイル

つーわけで、勉強もせず小野不由美「十二国記」シリーズを延々と読み続けて、やっと区切りがついたのですが、こんだけ思春期に読んでおきたい本はないですね。
そりゃ、最初にライトノベル(と言っていいのかな?)として出ただけの事はある。
とはいえ、今巷にあふれる、お手軽ライトノベルとは大違いですけど。

そんなわけで、無責任な読者としてはただただ無事に完結させて欲しいと願うばかりです。つーか、この物語って泣かされるわー。
先日の篠原美也子ライブでも泣かされたけど。

そんなこんなで、時間もあんまりないのに、現実逃避してみまたの。

2010年11月10日(水)



 まいっちゃうね

また、いつものごとく更新が途切れていたわけですが、これはPCがですね、勝手に初期化されちゃって。
ずーっと、パスワードとか記録させちゃっていたので面倒になっちゃって放置だったんですよ。
てなわけで、弁明おしまい。

真面目な話は後日にしましょう。
2つほどネタがあるんですけど。

先日、久ぶりに某大手古本屋チェーンに行ったのですよ。
時間がちょっとあったし、手元になんの本もなかったし(>勉強の参考書は持ってたくせに)。
で、100円コーナーをじっくり見ること30分。
アタシの右手にはなぜか11冊の単行本&文庫本が。

古本屋って恐ろしいっ!
いやね? 前から読みたいなーと思っていたけど100円にはなってなかった、十二国記が講談社X文庫版がそろってるから大人買い(でも、一冊100円)して、夏石鈴子嬢の「今日もやっぱり処女でした」の第2作目である、「きのうと同じに見えるけど」の単行本が発売からまだ1年くらいしか経ってないのに100円だし、「非・バランス」が素敵だった魚住直子嬢の2年前に出た「ピンクの神様」の単行本も100円だし、芥川賞を受賞した赤染晶子嬢の「乙女の密告」が掲載されてる文藝春秋が100円だし。

もうね、とりあえず未読本を中心に読んで入るのですけど(ホントだよ)、こうやって読みたい本もあるから、大変です。

つーかー、勉強しろよーってのが一番あるんですけど・・・。
しかもー、今月の原稿の締め切りがなぜか一週間早まってるんですけどー。ネタをまだ仕込んでないんですけどー。
とりあえず、ネタの映画か舞台を今度の休みに見に行こうかな、と。ネタがあるならまだ感想文書いとけばいいんですけどね(>なんていい加減な)。

2010年11月04日(木)



 組立 II

つーわけで、8月から放置してたデスクの組み立てもやりましたのよ。
もうね、電動ドライバーが欲しいと心の底から思った。
右手が大変なことに!

しかし、組み立てれば組み立てたでまぁ達成感はあるわけでして。
そういや、180センチタワー本棚を組み立てたときもこんな感じだったような・・・。

というわけで、今月は室内清掃月間を心がけます。まずは、洗濯物はちゃんとハンガーからはずして畳む。面倒だからって、干したそばからとって着ない。お惣菜もお皿に移して食べる。
・・・当たり前だと言われればそれまでなんですけどね。

2010年10月15日(金)



 組立

先日、自転車を通販で買ってみたとアナウンスしたわけですが、およそ2ヶ月かけてやってきましたよ。国産なのになんでそんなにかかっているんだい、ジョージ。
てなわけで、ブレーキの調整すらあやふやなのに組み立て開始。というのも、今の自転車が前輪やバイんですよ。多分、あと一週間くらいでパンクの予感(>空気入れろよ)。

まぁ、せっかくだし新しいのに乗りたいじゃないですか。
というわけで、説明書をなんとなく読みながらさくさくと組み立て、前輪の取り付けにやや手間取りましたが(結局ひっくり返して-自転車屋でよくやる、サドルを下にする、アレです-)なんなく終了。
なーんだ。

これでちゃんと機能すればいいんですけど。


で。
8月に同時に買った3点デスクの組み立てがまだ途中なのは気のせいですか。

2010年10月13日(水)



 永遠を見ていた

またね、と言えたあのときの気持ちに偽りはないのだろう
でも、その”また”はいつなんだろうか

忘れたくないと願ったあの日々
でも、いつの間にか記憶は遠くになってしまう

誰がとかではなくそういうものだとしても

あの風景を
あの会話を
あの気持ちを

そう思った気持ちこそが永遠なんだ

2010年10月10日(日)



 写真

写真というのがどーにもこーにも苦手でして。
何かを残す、というのは嫌いではないのですが(>大体、この零細日記を10年続けているのもどうかと思うが)なんかねーって感じです。
小学生の頃の写真がひょんなことから発掘され、母親から渡されたのですがいやはや”まんまる”って感じで。
あー、おぼえてるー。これは遠足のときのだ。この”まんまる”が嫌いだったなぁと。
まっ、その後はよくある成長期ってこともあり、体型は一時改善されたんですけどね。

で、学生時代になるととたんにプライベートでの写真がなくなる。
もともとが写真を残す、ということにあまり価値をおいてなかったということでもあるし、それよりも写真を撮ることで「覚えておきたいこと」をそのよすがにするのがなんか潔くないなーとも思っていた節がある。
だから、せっかく旅行に出かけてもほとんど写真を撮ってない。それが風景であっても、だ。

いわんや、自分がどこかにいる、という写真などあるわけもない。

自分が抱えることの出来るものには限りがあって、それをあふれてしまったら手放すしかないよね、と思ってた。
自分の覚えておきたいことだけを覚えておきたいから、写真なんかいらないと思ってた。

しかし、今振り返ってみるとそれが時々とても惜しいことをした気がする。
巡検の時の自分がどんな顔をしていたのだろうか。そんなことをもうボクは覚えていてない。
そう、学生のあの、「青春」を謳歌していた時代こそが写真というものが一番似合っていたのに。それはプリクラのようにそのときを凝縮したもので、そのときにしか撮れない。
プリクラなんて、結局は数を集めることで寂しさを紛らわしているだけじゃないか。と当時は思っていた。
でも、それだって今思えば、「あり」だったんだなぁと思う。

学生時代を振り返ればどうして”あの時は”と少しほろ苦さが漂う。

今を未来から振り返ればきっと同じことを思うのだろう。でも、誰かと何かを共有するということは、自分だけではどうにもできないことをshareすることでもある。
だから、誰かと何かを分かち合うには写真というよすががあったほうがいいのかもしれない。そんなことを最近思ったのだ。

学生時代の友人の写真をほとんど持っていない。
その時に仲のよかった人も、つきあっていた人も、後輩も、先輩も、先生も。全部ボクの記憶にだけにしかない。

時々、そのことが喉もとに引っかかったトゲのように。

2010年10月06日(水)



 cartoon

Amazonでなぜかポイント10倍だったので、カートに入れてしまった「ガラスの仮面 45」。でも、これだけじゃ送料がかかるのでほかになんかないかな。
あ、「ベルセルク 35」もいつの間に。
あら「とめはねっ! 7」「ムショ医 3」も出てるじゃない。

と、なぜか漫画だらけで構成してみました、みたなダンボールが先日届きましてやっと読みました。

いやはや、漫画ばっかり読んじゃうってのもわからなくはないんですよ。確かに面白いし楽だもん。
そんなわけで、代償として(なんのために?)ずっと前に挫折してた学術書を手に取ったわけで・・・。

明日また頑張るよ・・・。

2010年10月05日(火)



 デジャ部

嫌な部だよね、デジャ部って。類似品にデ部とかありそう。

そんな前フリはともかく。
先日、どっかであったことがあるような・・・という方にお会いしまして。
名前は・・・まぁよくある名前だし。
でも顔は拝見したことあるしな・・・。

後ほど確認したら、実は7年ほど前にあるところでお会いしている方でした。ああやっぱり。
ほら、おぎそんアスペだから(>そんな強調はいらない)。



問題は、それをその方に言うか言わまいかなんだよな。
どうしようかなー。

こういう時って、どうしたほうが良いんでしょうね。
マニュアルなんてないと知っているけど、でもやっぱなんかの因果ならば大事にしたいような。まぁ、出会うべく人は出会うのでしょうけど。

次回会うときにまでに考えておきますかね(>問題の先送り)。

2010年10月04日(月)



 bird alone

aloneって、「one」が入っているんですね。
今まで気づかなかったけど。

そんなわけで、篠原美也子のインストアライブ行ってきましたよ。
うん、悪くなかったです。
というのも、ちょっとアルバムとしてのバランスというか、曲の強弱にやや疑問があって。

良くも悪くもライブがあって成立する曲なんだな、と感じたのですよ。
とくに「wind with wing」が初聞のときにメロディが気になって(悪い意味で)歌詞もなんだかなーと思ってたんですけど、今日聞いたらすんなりと入ってきたわけで。
お直ししたのかな?

Bメロの歌詞がすっと入ってきたんですよ。
小谷美紗子の曲タイトルを忘れたけど(最近、買ってるけど聞いてないことがほとんど 汗「adore」収録の”雨音呟く”だったかな)、”今日も学校や会社で負けてきたよ でも明日も行って来るよ”を思い出しながら聞いてた。器用な真似を、じゃなく。なんかオーバーラップしたんですよ。

ああそうか。彼女は負けたんだなってしみじみと。
メジャーというところで、6年間あがいて、負けて。
でも、それでも歌い続けるということ。メジャー在籍期間よりも長く歌い続けるということ。
勝ち負けとかどうでもいいと、人は奇麗事をいう。
でも、やっぱり負けるよりは勝ちたいと思う。

蹴落とすなんて、とも思う。
でも、自分が蹴落とされることを考えたら人のことなんて考えられない。

そんなことを繰り返して、いつの間にか負けてた。勝つために何かをするわけではない。でも、負けるために何をするわけでもない。

もはや、そういうところからフィールドを移したんだって。

一度、駄目になったからこそその価値がわかる。その一方で、それがたいしたことじゃないということもわかる。
敗者の遠吠えだ、というなら言えばよいと心から思う。

だって、何のために歌うのかが、その徹底的な敗北によってわかったんだから。

挫折、と言う人もいる。
そうじゃない。これはそこへ(昔の時点で言うのならば、未来の今いる位置へ)たどり着く当然のプロセスなのだ。

No.1にならなくてもいい only1になればいい

死ぬ気でNo.1を目指したから。とどかないと知っていても手を伸ばしたかった。only1になんかなりたいなんて思ったことなかった。

彼女はそんな風に思って曲をつむぎ続けたのだと思う。
それがその思いは決して曲の表面には出てこないけど、その裏にあるような気がする。だから、聞き返したときに気づかされるような気がする。

not me but us

だから、負けても明日もいこう。
どうせいつかは死ねるんだからね。

2010年10月03日(日)



 リストラなう

いや、おぎそんではなく。

先日のオープニングぱーちーで話してた方(大学職員・派遣で司書)が「来年の三月で契約切られちゃうって今日言われて困っちゃって」と話してました。いやー、おぎそんに言われてもね・・・。
うちの兄貴も司書資格取得のために大学行きましたけど(専攻が図書館学)結局、なれなかったしねぇ。

ちなみに、おぎそん、まだ国家公務員試験(二種)で図書館学枠があったときに、一次試験をちゃんと通過してるんですよ、えっへん。
・・・真相は、行政職よりボーダーが低かったからというオチですけど(かつ、採用はほとんどされねーだろくらいの勢い)。

なんでねー、どこもかしこも大変ですよね。まじで。

最近、自覚したのですけど、おぎそんってあんまり社会福祉的な考えじゃないのかもしれません。とゆーのも、確かに生活保護とかあってほしいし、自分がいつどうなるかなんてわかんねーという考えには変わりがないのですけど。
ただ、自分が支援をしたいと思うのって、結局は能力があるのになんらかの事情で飛び立てなかったりする人を応援したい、自分のできることで彼/彼女を援助したいということなんですよね。
つまり、今の「夢」も元をたどるとそうなるんですよ。
大勢の人にいい顔は出来ないことはわかってる。だから、できることならばせめて、焼け石に水でもいいから少しだけでも助けたい(エラソーだけど)。そんなことを思うのですよ。

強くあら「ねば」ならない社会は苦しい。いつも緊張を強いられる。
それでバランスを崩してしまった友人後輩。
彼らのことを思うととても悲しい。彼らに起きたことがいつ自分に起きたかわからないから。これから起きるかもしれないから。
だから、せめてだけれども、自分の周囲だけは。
手を伸ばせる範囲は解決していきたい。そんなふうに思ってるんです。

なんで、もう三十路を超えちゃってるわけですから、無駄な時間ってないんですよね。
ぼちぼちやっていかないとね。

2010年09月30日(木)
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