|
|
■■■
■■
■ 大概にしておけよ
えーとね。 最近、ほらあのー大きな大会やってたじゃないですか。 おぎそん、どーでもいいってスタンスなんですけど、これにはまいりました。
「感動をありがとう!」
えーと、彼らは何もあなたたちを感動させるために何かをしたわけではなくてー。 なんというか、”消費”ですよね。 以前ならば、よかったね、すごかったね、と共有できたものがいつの間にやら「感動した」ですよ。 小泉さんの影響ですか(多分、違う)。
うちの職場の近くにバーがあるんですけどそこも当日は中継を流してたらしく、「感動をありがとう!」看板が店頭に今でも掛かっていて目にするたびに不愉快でたまりません。
別に、がんばった彼らを揶揄するつもりは全くなくて、むしろそれに便乗する人々が嫌いなだけです。 大会前はあんだけたたいておいて、勝ったら官軍状態で、PKではずしたら戦犯扱い。 もう、どんだけキチガイなんだ、と。
そりゃ、いろんなもんに心を動かされて、感じ取るほうがいいとはいえ、なんかある種の方向付けにはめられているように思えてイライラします。 枡野浩一がいつだったか、「野茂がもし世界のNOMOになろうとも君や私の手柄ではない」と歌いましたが、もうそんな気持ちでいっぱいです。 大概にしとけよ、と。
そんなおぎそんは今日もひれくれています。
2010年07月04日(日)
|
|
|