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re-invention



 義母の葬儀式で

義母の葬送式へ。
昨夜の前夜の祈りもそうだが,
故人名の入ったプログラムが用意されることも,
仏式とは大きく違う。
式次第はもちろんのこと,
賛美歌や,説教のキーとなる聖書の一節が印刷されるのはいい。
仏教を多小かじった自分でも,知っているお経は限られている。
意味がわからないままに教典を聞いても,
残された家族にとって,どこまで供養になるのか。
心の整理を付ける場になるのか。
10年前,父が他界した通夜の席で和尚様に
白隠禅師坐禅和讃を読んでいただいたことを思い出した。
とはいえ,それを自分が知っていたわけではない。
 衆生本来仏なり、水と氷の如くにて、
 水を離れて氷なく、衆生のほかに仏なり

という一説があまりに印象的であったが故に,
後でお聞きし,調べることができたもの。
そうでなければ何の印象もない読経を聞き,
ただただ時間のみが流れたことだろう。
この一説だけでも,印刷・配布されていたのなら,
仏教に関心を持つ方もずいぶん増えるのではないか。
お若い牧師様から,
「昨日は,眠れましたか?」
と声を掛けていただけたの新鮮。
「死ねばみな仏」という日本的な曖昧さとは違い,
遺影や遺体には手を合わせない教義(?)には違和感を覚えるが,
人を大事にすることに関しては,学ぶべき点が多い。
こういう交流を,仏教徒こそすべきかもしれない。

忙しい中,今日も職場の方々に参列いただき有り難い限り。
姉弟にも,ずいぶん助けていただいた。

2004年12月26日(日) 富士山を見に
2003年12月26日(金) 出来るようになりたいと強く思う事


2005年12月26日(月)



 恵みの中で

23日のGC活用研究会での情報が流れ,
これまで以上に刺激的な会になったとの情報が,
MLや玉置先生の日記飯島先生のブログから続々と流れてくる。
ここを起点に次が始まるだろうと思うと
何とも残念だが,仕方がない。
静岡のメンバーを誘っていなかったのは,
良かったのか悪かったのか。

自宅出棺,教会での前夜の集い。
お忙しい中,たくさんの方々にお集まりいただく。
賛美歌と説教。
キリスト教と,念仏の絶対他力の世界は
かなり通ずるものがあると感じた。
それにしても,こうやって本当の信者でない方にも
真心を込めて送って下さるように感じられるのは,
一人一人ときちんと向き合っているからか。
結局は人。
イスラエルとは,単に国の名前ではないことも知る。

自分は本当にいい方々に恵まれていると感謝。


2004年12月25日(土) GC活用研究会in小牧
2003年12月25日(木) 思いを形にする難しさ


2005年12月25日(日)



 区別できないものか

今日も朝から登校し,昨日できなかった書類の作成。
昨年度よりも大幅に軽減された報告書とはいえ,
こういうことを手でまとめる虚しさ。
人でなければできない業務と,
機械に任せればいい部分との区別ができないものなのか。
委員会こそ,新たな発想が必要な時代なのに。

11時前になんとか終了し,帰宅。

妻の実家へ。
親戚が次々に集う。
ホッとしている間もなく,義父の体調も心配。
義母と共に過ごす最後のクリスマス。



2004年12月24日(金) 失敗の発想の幅
2003年12月24日(水) リフレッシュ


2005年12月24日(土)
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