初日 最新 目次 MAIL HOME


しもさんの「気になる一言」
しもさん
MAIL
HOME

My追加

2016年06月23日(木)
人が集まってくると、いいことがいっぱい起こるんです

以前紹介した「地方創生実践塾in静岡県三島市」の開講式、
豊岡三島市長挨拶のワンフレーズ。
話始めは「ガーデンシティ」とか「ウェルネス・・」など、
耳触りの良い、カタカナ言葉が並んだが、一言で言うと
「美しく品格のある街」を目指していることが挨拶で理解できた。
この、誰にもわかりやすい短いフレーズは、
住民と一緒にまちづくりをしていくうえで、大切なことである。
「総合計画の将来都市像」とは違った親しみがある言葉は、
全国の観光客を呼び寄せる大きなキーワードであろう。
(この街に住んでみたい、と思わせる言葉ともいえる)
さらに「そうだ京都、行こう」などに代表される
観光のキャッチコピーがあれば、申し分ない。
毎週のように三島市内のどこかで開催されるイベントの根底には
市長が最後に語った一言に尽きる気がした。
「人が集まってくると、いいことがいっぱい起こるんです」
ディズニー・シーのバレードは、集り過ぎたようだけど・・(汗)
官民を問わず、とにかく人が集まってくる仕掛けが大切ってこと。
その雰囲気づくりの大切さを、首長が理解しているって、
なかなか簡単そうで難しいんだよ、本当は。



2016年06月22日(水)
私の知る全てのことは、愛によって知りえたこと

映画「終着駅 トルストイ最後の旅」(マイケル・ホフマン監督)から。
ロシアの文豪・トルストイの晩年を映画化した作品であるが、
ハッピィエンドとは言えない最後に、心は重たくなった。
困ったのは、主人公が誰なのか、わからないところ。
タイトルどおり「トルストイ」なのか、妻・ソフィアなのか、
それとも、トルストイを崇拝する青年ワレンチン。
誰の視点で、物語が語られているのか、微妙なところ。(汗)
気になる一言は、レイ・トルストイ「戦争と平和」の一節。
「私の知る全てのことは、愛によって知りえたこと」
しかし、ラストでは「弱い心や愚かさは、愛を台無しにする」と
メッセージが発せられる。
また「農民は貧乏だから純粋とでも?」と問う妻に
「そうとも、富は人間を腐らせる」と言い返し、
突然、爵位や財産を捨て、菜食主義の独り身になると宣言する展開は、
富に対する人間の卑しさに疲れた感じがよく表現されていた。
献身的な妻として50年近くトルストイに寄り添ってきた彼女が、
「世界3大悪妻」として名を残すことには、ちょっと意外な気がする。
夫の考えとは、まったく反対の生き方をした妻が「悪妻」と言うのなら、
50年間連れ添ったことはどう評価されるのだろうか。
私は、彼女の生き方に「悪妻」という評価はしないと思うから。

P.S.(参考に・・「世界3大悪妻)
ギリシャの哲学者ソクラテスの妻「クサンティッペ」
偉大なる作曲家モーツァルトの妻「コンスタンツェ」
ロシアの小説家トルストイの妻「ソフィア」



2016年06月21日(火)
増えすぎてしまったら、群れごと焼き払うしかないんです

映画「グラスホッパー」(瀧本智行監督)から。
大好きな作家「伊坂幸太郎さん作品」の映画化とあって、
とても楽しみに鑑賞し、期待を裏切ることなく観終わった。
もちろん原作を読んでいるが、書籍でメモした台詞と、
映画でメモした台詞の違いもまた、私の楽しみとなっている。
今回は「ジャック・クリスビー」の台詞を取り上げたかったが、
やはり「クラスホッパー」(バッタ)について、の描写。
「殿様バッタは何色か、御存じですか?」「緑じゃないですか」
「普通はそうなんですが、密集したところで育つと
『群集相』と呼ばれる変種になります。色が黒くなり、
羽根が伸び、凶暴になるんです。足りなくなった餌を得るために。
人間も同じです。過剰なまで情報が密集する今の世の中では、
人間も欲望を満たすために変種になる。
群集相のバッタのように、凶暴になるんです」
今の殺伐とした世の中を、この例えでスパッと表現するところが、
やはり唸るポイントだった。
しかし、後半にその解決策が、作品の核になってくる。
「群集相のバッタの話ですが・・」と切り出して
「増えすぎてしまったら、群れごと焼き払うしかないんです」
う〜ん、さすが、としか表現できないなぁ。



2016年06月20日(月)
「真田丸」「スター・ウォーズ」の共通点は、あらすじ紹介

ほとんど観ているNHK大河ドラマ「真田丸」も、
もう既に半分を過ぎようしてるが、面白いことに気がついた。
先日、映画「スター・ウォーズ フォースの覚醒」を観ていて、
「遠い昔、はるかなる銀河系で・・」で始まるプロローグに、
なぜか「真田丸」を思い出した。
いや「真田丸」を観て「スター・ウォーズ」が浮かんだ。
どちらも、毎回、簡単な物語の筋書きが説明されるからだ。
今回の映画ならば「エピソード7 『フォースの覚醒』
ルーク・スカイウォークが消えた。その間に帝国軍の残党から、
ファースト・オーダーが生まれた。彼らは最後のジェダイ、
ルークの抹殺を狙っていた。レイア・オーガナ将軍は・・」と続く
物語の設定と、最初のシーンに繋げる仕掛けである。
これで面倒くさい説明もいらないし、今回の「予習」さえ出来る。
実は、この「起承転結」のもう一つ前「序」の部分は、
視聴者にとって、とてもありがたい説明となっている気がする。
だからこそ、敢えて、こうメモして残すことにした。
「「真田丸」「スター・ウォーズ」の共通点は、あらすじ紹介」
逆に勘弁して欲しいのは「これは真実に基づいた物語」という説明。
フィクションであり、ノンフィクションであれ、
映画作品として、どう感じるかが大切なことだからなぁ。
でも、このフレーズ、本当に多い。製作のルールでもあるかのように。



2016年06月19日(日)
わが町に過ぎたるものが二つある。柿田の川に沼商の音

わが町唯一の高校(静岡県立沼津商業高等学校)の吹奏楽部、
「第15回フレッシュコンサート」に足を運んだ。
毎年、楽しみにしているコンサートだけに、
2時間半を超える「3部構成」も苦にならなかった。
学年が上がるにつれ、音の角がとれて丸みを帯びてくるなぁ、
なんて感じながらも、いつもながら彼らから元気をいただいた。
3ケ月前まで中学生だった、新人1年生の30人も、
自分たち学年を主役にも脇役にもなれる「オムライス」と名付け、
緊張しながらも、精一杯の姿を観客の私たちに見せてくれたし、
これまた恒例のように、私の涙腺を緩ませる「情熱大陸」から
「あの鐘を鳴らすのはあなた」まで、ラストは一気に感動した。
彼ら吹奏楽部との繋がりは、私が生涯学習課長の頃(5年前)に遡る。
近隣の文化センターと違い、音響も良くないし、舞台も狭い、
それでもよければ、子どもたちのために使ってください、と
地域交流センターの多目的ホールを提供した頃が懐かしい。
そんな意味もあり、私の沼商びいきは、止まらない。(笑)
NHK大河ドラマ「真田丸」が舞台、戦国の時代には、
こんな言葉が残されているのを知っているだろうか。
「三成に過ぎたるものが二つある。島の左近に佐和山の城」
「家康に過ぎたるものが二つある。唐の兜に本多平八」
どちらも、他から眺めて「羨ましい」という意味だろう。
だからこそ敢えて、このフレーズを考えてみた。
「わが町に過ぎたるものが二つある。柿田の川に沼商の音」
う〜ん、わかる人にはわかるかな?



2016年06月18日(土)
人が人にできることは、そういうことだけなんじゃと

映画「ホタル」(降旗康男監督)から。
近くの川で数匹の「ホタル」を発見し、喜んで帰宅したあとに
この作品を観たので、胸が詰まされる想いがした。
昨年は特に、身近な人たちが突然のように他界したので、
あっ、さっき近くに寄ってきたのは、あの人だったかも・・と
妙に感情移入してまった私がいる。
知覧からの飛び立った特攻隊の1人が、ホタルとなって戻ってきた、
そんなストーリーとは別に、昭和天皇が崩御したのを機に、
雪山の中で自殺をする特攻隊員の生き残りの1人(藤枝)は、
死ぬ前に、戦時中の先輩を訪ねるが、留守で会えず、
結局は、そのまま東北に戻り、自殺してしまう。
悔やむに悔やみ切れないのは、高倉健さん演じる先輩の山岡。
「あん時、俺がここまで来て、話聞いてやったら、
一緒飲んで一緒に泣いてやったら・・。人が人にできることは、
そういうことだけなんじゃと、今になって気がついた」という台詞は、
自殺した人たちや、病気で若くして他界した人たちを思い出すには、
充分なフレーズであった。
「忙しいから・・」を理由に、自分の予定を優先してしまうが、
「頼られた」と感じたならば、どんな用事よりも優先し、
話を聴いたり、一緒に飲んだり、一緒に泣いてやる、
そんな些細なことを実践する気持ちを持ちたい。
人の「温かさ」や「思いやり」こそ、失望した人たちの心を癒し、
自殺を思い留める方法に違いなのだから。



2016年06月17日(金)
必要になれば、話すしかないみたいだね

先週末、妻と「忍野八海」(山梨県)にドライブに出かけた。
今までにも何度か訪れたことがあるスポットであるが、
最近「柿田川」と比較されることが多いので気になっていた。
(そういう意味では「水」を活かしたまちづくりの先進視察?)
私の目の前には、多くの外国人(ほとんど中国人)の群れ。
「インバウントを活かした観光客誘客」という視点からみれば
これはこれで、大成功だったというしかない。
しかし、肝心の湧き間より、富士山をバックに、
写真を撮りまくっているか、土産物を買い漁っている光景に、
どうしてもここでなければ・・というものを感じなかった。
当然、飲食店も外国人で溢れていたが、驚いた会話を耳にした。
失礼な言い方をすると、こんなおじさん、おばさんが、
片言の英語を駆使して、注文を取り、会計まで済ませている。
必要最低限の単語なんだろうけれど、気後れすることなく、
堂々と「英語らしき単語」を並べ、会話している。(笑)
英語が上手い下手なんて関係なく、堂々と話している光景は、
以前、京都で感じた「露天商の若者でも英会話」と同じで、
しゃべれない、では済まされない状況こそ、上達の秘訣だな、
そんなことを感じて、妻に話しかけた。
「必要になれば、話すしかないみたいだね」