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| 2025年12月09日(火) ■ |
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| ウソでも笑っていろ |
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書籍「ザ・ロイヤルファミリー」 (早見和真著・新潮社刊・619頁)より。 調教師が社長に怒られたシーン、 「お前はこわい顔で仕事をしすぎだ。 馬に緊張を与える態度を見せるな。 ウソでも笑っていろ」って。 (中略) 実際にウソでも笑うようになってからは ずいぶん仕事がしやすくなりましたよ」 これは、私への忠告でもある、と感じた。 面白くなくても、ウソでも笑うこと。 今の私には、必要のことかもしれない。 知らず知らずに、難しい顔、こわい顔になってしまい、 私と接する人たちに、 不快な気持ちにさせてしまっているかもしれない。 ウソでも笑っていること、心がけてみようかな。
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| 2025年12月07日(日) ■ |
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| 夢中になっているのは、メモ書き |
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「自信のなさ」と「落ち着きのなさ」が同居して、 今、夢中になっているのは、メモ書き。(涙) YouTubeの動画から、体幹トレーニング、 目のトレーニング、老眼トレーニング、 三半規管のトレーニング、滑舌トレーニング、 声のこもりをなくすトレーニングなど、 関係しそうなトレーニングを見つけては そのやり方をメモしている。 自分でも、それでどう変わるかはわからないけれど、 メモすることで、満足し達成感を味わっている。 そんな感じだ。 ただメモが溢れていて、どれから実行すればいいのか、 わからなくなっている現状がある。 そんなに早く効果が現れないことも知っている。 それをこうして「気になる一言」として書いているが、 これもいいのかどうか、わからないんだよなぁ。(汗)
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| 2025年12月05日(金) ■ |
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| 馬に掛けるのではなく、人に掛ける |
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書籍「ザ・ロイヤルファミリー」 (早見和真著・新潮社刊・619頁)より。 主人公が秘書を務める社長が常々、公言している考え方である。 「馬に掛けるのではなく、人に掛ける」 競走馬を買う時、どんなところを見て買うのか。 「だからいつも言ってるだろう。 馬を見る力のない俺は、人間に賭けるしかないんだよ」と。 血統を大切にする競走馬、もちろん、それも大切だけれど、 どんな人とたちがこの馬に関わっているのか、 を判断基準にして馬を買っているのが、 もう一人の主人公とも言える、山王耕造社長である。 この考え方は、とても参考になる。 どんなものでも、どんな人が関わっているのか、を 判断基準にするのは悪くない。 この視点で、もう一度いろいろなことを見直してみようかな。 新しい発見があるに違いない。
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| 2025年12月03日(水) ■ |
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| 子供は、大人が思っている以上に大人で |
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書籍「しずく」(西加奈子著・光文社刊・210頁)から。 文中に、こんな文章があって、私のアンテナに引っかかった。 「『子供にはわからない』なんてこと、大人しか思っていない。 子供は、大人が思っている以上に大人で、 そして、大人が思っている以上に幼く、弱いのだ」 子供を幾つまで、子供扱いして接するか・・が問われている。 「子供にはわからない」なんてこと、大人しか思っていない。 子供は、大人が思っている以上に大人で・・」 確かにそうだ、と思う。 実は、大人にならなければわからないことなんてことは少ない。 我が家は、幾つまで「子供を子供扱い」しただろうか? はっきりとは思い出せない。(汗) 「そして、大人が思っている以上に幼く、弱いのだ」 逆に、子供を子供扱いするのではなく、大人と変わらず接すると、 それはまた、ケースバイケースであり、 子供は「幼く、弱いもの」だと言う視点が必要だと思う。 子供の接し方って難しいと思うのは、私だけだろうか。
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| 2025年12月01日(月) ■ |
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| 「である調」ではなく「ですます調」 |
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書籍「ザ・ロイヤルファミリー」 (早見和真著・新潮社刊・619頁)より。 日曜日夜のドラマ化された原作でありますが、 619頁の長編作品をたった2日で読み終えました。 その理由が、私を主人公にした作品で、文章が、 「である調」ではなく「ですます調」であったからです。 小説のほとんどが「である調」であるのに対して、 この作品は「ですます調」でした。 だからスッと入ってきたのかもしれません。 文章が丁寧になると思うのは私だけでしょうか。 「記憶に残っている」が「記憶に残っています」 「学生時代のままだった」が「学生時代のままでした」 「食べている」が「食べています」・・・ 全編、こんな調子でした。 この「気になる一言」も「である調」で書いてきた 私にとっては、とても新鮮な文体であったことを 記録に残しておきたいと思いました。 この作品、一度、読んでみたいと思いませんか? 是非、ご一読をお勧めします。
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| 2025年11月29日(土) ■ |
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| 本のあるページに髪の毛が・・ |
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先日、図書館で借りてきた本のあるぺージに 髪の毛が1本、挟まっていた。 たぶん、女性の髪の毛だと思うけれど、 私の前にこの本を読んだ人の足跡を見つけて、 なぜか、気持ち悪いのではなく、嬉しくなった。 どんな人がこの本を手に取り、どんな気持ちで読み、 どんな感想を持ち、読み終えだのだろうか、と。 私は、まだ読みかけだけれど、 図書館で借りた本ならではの出来事に、 気になる一言で紹介したくなった。 そんな些細なことも、気にかかる私は、 少し変わっているかもしれないが、 とにかく、嬉しかったことを記しておきたい。 一つの出来事から、発想が膨らんでいく快感、 最近ではなかったからだろうか・・。
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| 2025年11月27日(木) ■ |
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| 貯まるのは、ゴミばっかだね |
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今日は可燃ごみ、明日はビニールのゴミ回収する日。 「おはようございます」挨拶をした後で、一言。 「寒いですね」とか「昼間は暖かいですね」など。 そんな会話をしていたら、可燃ごみを持ってきた人が、 独り言のように、私に話しかけてきた。 「貯まるのは、ゴミばっかだね」と。(笑) きっとこの後に「お金は貯まらないけれどね」が続くはず。 何気ない会話だったけれど、私のアンテナに引っかかった。 このなんともいえないフレーズだったけれど、 続く会話が予想される一言って面白い。 その他にも、何かあるだろうか。 数少ない読者の皆さん。あったら教えてくださいな。
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| 2025年11月25日(火) ■ |
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| It's time to let go. |
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映画「トップガン マーヴェリック」 (ジョセフ・コシンスキー監督)から。 作品序盤、パソコンで打ち込んだフレーズで 会話をするシーンがある。 何度も流れたから、メモをした。 「It's time to let go.」 字幕の訳は「過去は水に流せ」 作品が進むと、そうか、ここに繋がっているんだ、 と納得したフレーズだった。 短い英語のフレーズで、訳が洒落ていると、 ついつい、メモをしてしまう癖がついている。 「It's time to let go.」の英語を、 「過去は水に流せ」と訳せる、翻訳者に脱帽である。 トップガンらしいアクションが流石だったな。
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| 2025年11月23日(日) ■ |
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| 第373回 泉のまち音楽会 |
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私が社会教育課に配属された時に始めたコンサート。 当時は、月に一度、地元の音楽家に演奏してもらって 町民に手軽にコンサートへ足を運んでもらうのを目的に、 草野球のようなコンサートを開催していた。 (講演会は、泉のまち講演会として、これも地元の人を 講師に招いて、月に一度の講演会を開催していた) 久しぶりに足を運んだ「泉のまち音楽会」、 な、な、なんと「第373回」と回を重ねていた。 これは、正直嬉しかった。 今は、年に1〜2度度くらいに減ってしまったけれど、 自分が立ち上げた事業が、何十年たっても、 繋がっていたことが嬉しかった。 こんなに長く続いてる事業は、他にないだろうから。 場所は、古い公民館時代から、 新しい地域交流センターに移ったけれど、 続けてくれた職員に感謝したい。
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| 2025年11月21日(金) ■ |
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| 声がこもるのは、ガイドにとって致命的欠陥 |
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人と話さないと、どんどん滑舌が悪くなることを 以前書いた。 それに伴って、呂律が回らなくなることも・・(汗) 今度の発見は「声がこもる」と言うこと。 普段、小さい声でしか話さないので、気がつかないが、 知らず知らずに、声が小さくなり、 声が「こもって」しまっている。 声がこもる原因は、口の開きが小さい、姿勢が悪い、 喉や舌の筋肉の衰え、浅い呼吸などが考えられるらしい。 これは、ポランティアガイドにとって致命的なこと。 もう少し、声に張りがないと、相手は聞きにくい。 昔から、声がこもっていて、 何度も聞き直されることがあったのだが・・。 改善方法は、いろいろあるらしい。 これって、普通の生活をしていると、なかなか難しい。 やっぱり、いろいろな人と話さないといけないのかな?
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