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2022年04月29日(金) ■ |
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幸運にも、私は恵まれた道を選び、走り続けたから |
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映画「スノー・ロワイヤル」(ハンス・ペテル・モランド監督)から。 息子を殺され、その組織のリーダーに対して、じわりじわりと、 除雪車を使って復讐をしていく父親の物語。 冒頭、画面に流れるテロッブは、 「あるものはどこに行っても人を幸せにする。 あるものは去ることで人を幸せにする。オスカーワイルド」 この意味が最後まで理解できず、消化不良だった。 今回メモしたのは、復讐していくシーンではなく、 彼が、長い間コツコツと除雪作業を続け、 模範市民として表彰されたときの受賞スピーチが良かった。 「私は雪に閉ざされた街から 文明につながる道路を除雪しているだけです。 人は、毎日同じ道を車で走ってると 違う道はどうだったかと思うようになる」と話し、 さらに続けて「私はそう思わないように努めている。 幸運にも、私は恵まれた道を選び、走り続けたから」と纏めた。 こう言い切った彼のスピーチが伏線となって、 殺された息子の復讐劇へと物語は展開していく。 人生、わからないものだなぁ・・と考えさせられた。
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2022年04月28日(木) ■ |
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人間はエネルギー資源を求めて戦争する |
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映画「映画 太陽の子」(黒崎博監督)から。 わざわざ、邦題に「映画・・」とつける違和感はあったが、 2020年8月にNHKで放送されたドラマ「太陽の子」とは違うよ、と 言いたかったんだろうな・・と理解した。 戦争兵器としてではなく、単なる科学として「核分裂」を追求、 そして、その目的は、戦争をなくすことだった。 この理論に、なるほど・・とメモをした。 「この戦争は何で始まったんやろ。エネルギーや。 土地も鉱物も人間はエネルギー資源を求めて戦争する。 先の戦争もそうやった。我々が核分裂をコントロールして、 そのエネルギーを自由に使うことができるようになったら、 人間のエネルギー問題は永久に解決するはずじゃ、 そしたら戦争はなくなる」 しかし、この理論の大きな間違いは、 「人間が核分裂をコントロールできなかった」ことにある。 逆に、自分達がコントロールできないものを野放しにしておくと、 大きな代償を払うことになることを私たちは、3.11で思い知った。 これから、ますますエネルギー資源を求めて、戦いが続く。 世界の人々が争わずにすむエネルギーは、やっぱり太陽光かな。
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2022年04月27日(水) ■ |
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人生に迷った時は「道をひらく」(松下幸之助著) |
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どんな人でも、誰もが一度は経験すると思われる、 「自分が生きている人生」の意味探し。 約1ヶ月をかけて、模索していたが、そのまとめは、 書籍「道をひらく」(松下幸之助著)に書かれていた。 特に「道」という文に、私は救ってもらった気がする。 表紙にも抜粋として書かれている名文の一節。 「自分には、自分に与えられた道がある。 広い時もある、せまい時もある。 のぼりもあれば、くだりもある。思案にあまる時もあろう。 しかし、心を定め、希望をもって歩むならば、 必ず道はひらけてくる。深い喜びも、そこから生まれてくる」 「『最良』の敵は『良』」というフレーズ。 一番やりたいことを邪魔しているのは、ちょっとやりたいこと。 そんな意味で多くの人に伝えてきたはずだけど、 今、そのフレーズが自分に一番響いている。 残り少ない時間を、どう使うか・・ 「自分に与えられた道」のために、使わなければ・・・と 心に誓った。
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2022年04月26日(火) ■ |
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約1ヶ月の「行方不明体験」 |
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この年齢になって、自分の人生を見つめるために、約1ヶ月を費やした。 この期間、不安と怒りと焦りと・・もろもろの感情が脳裏に浮かび、 未だ解決に至ったかどうかわからないけれど、少し落ち着いた。 他国では「徴兵制度」があり、世間と一定期間隔離されることにより、 自分を見つめる機会、祖国を考える機会としていることを、 以前、何かの本で読んで、この一言でも取り上げた。 今回は、知識だけで理解しようとしたのと違い、 心の痛みや不安を伴いながら、リアルに体験できた気がする。 「毎日が日曜日」なんて、一週間もすれば、あっという間に飽きる。 そして、テレビが友達になってしまうと、ほとんど外に出ない。 足腰が弱る、気力が出ない・・の症状が出る前に、 残りの人生の時間を有意義にするための、何かを見つけたい。 そのためには「1ヶ月」の「行方不明体験」は、意味があったと思う。 ただ、今度は、なかなかエンジンがかからない。 いや、エンジンの掛け方を忘れてしまったのかもしれない。 そのために、数週間は、暖気運転が必要かもなぁ。
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2022年04月25日(月) ■ |
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卵って・・大切に守る形をしているの |
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映画「天使の卵」(冨樫森監督)から。 直木賞作家・村山由佳さんのベストセラー小説と知って、 楽しみに観始めた。 ただ、あまり大きな事件や、アクシデントが起きない ラブストーリーだけでは、やや物足りなさを感じる。 タイトルに近い会話はメモした。 本物の卵に似せた、ニセの卵、偽卵を見せてこう言う。 「本物は人間が孵化させて、その間、 親鳥を安心させるために与えるんだって、ニセの卵でも、 春妃(ハルキ)が温めてたら、何かが生まれそうだ」 「なんだろ?」「天使!!」・・ この会話、なんだかくすぐったいな、と思った。 その後、こう続ける。「卵って、天からの手紙でね。 この命をよろしくお願いしますって、 大切に守る形をしているの」と。 恋愛とは関係ないかもしれないけれど、 「卵って、大切に守る形」という視点は頷ける。 どこも尖っていない丸い形は、そういう意味かもな、と。 丸形って力が分散して一番強いのだから。
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2022年04月24日(日) ■ |
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どこに行けば会えるんだ? |
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3月末までは、ほぼ365日、時間は未定だけど、1日は一度、 観光案内所に顔を出していたので、高い確率で、 私に会うには「清水町観光案内所」で待ち合わせればよかった。 4月からは、その「いつもいる場所」がなくなったので、 まずは、どこで会うか、を決めるところから連絡が入る。(笑) 「無職」になるって、そういうことなんだな、と苦笑い。 この1ヶ月、一番多かった問い合わせは なんと「どこに行けば会えるんだ?」だったから、面白い。 そう、打ち合わせをしなければならない場合の対策、 言い換えれば、これからの「待合せ場所」づくりが急務。 まぁ、堅く考えず、多くの人が立ち寄ってくれる「居場所」、 そんなものが欲しくなったのは、事実である。 なかなかないんだよなぁ、考えてみたら、そういう場所が。
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2022年04月23日(土) ■ |
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柿田川にはアマガエルルがいない? |
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ほぼ一年中、柿田川公園を定点観測のように、 写真・動画・音・・と撮り続けているが、 田植えの季節に、耳に付くカエルの鳴き声だけば、 なぜか、あまり録音した記憶がない。 「柿田川にはアマガエルがいない?」をメモに残した。 録音しながら耳にするのは、季節によって変わる鳥たちと、 いくつかの種類のセミや、秋にピッタリの昆虫の鳴き声。 そう言えば、アメンボやサワガニ、カタツムリも、 嫌ってほど見るのに、オタマジャクシもあまり見ない。 こんな水辺だから、いないってことはないだろうけれど、 目にすることも稀だし、鳴き声を耳にすることもない。 住民が生活している住宅街では目にするのだから、 250〜500メートル範囲内に住んでいるはず、と推察するが、 不思議なことだなぁ・・と思う。 この好奇心が続く限り、柿田川の定点観測はやめられない。 だって、どんどんわからないことが増えていくんだもの。
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2022年04月22日(金) ■ |
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あの女は、私に対して少しの罪悪感も持っていな |
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映画「マスカレード・ナイト」(鈴木雅之監督)から。 今までに何度も「東野圭吾さん」原作の作品を観てきた。 冒頭にしばらく流れる「タンゴ」の必要性がわからず、 ちょっと戸惑ったことを記しておく。 気になるフレーズは、 「ホテルにはホテルマンにしか見えないものがある」 「ホテルに来られるお客様は皆仮面をかぶっています。 その仮面を守って差し上げるのが、我々ホテルマンの仕事なんです」 「きっとラヴ・アフェアだと思います」 「ラヴ・アフェア?」「不倫の隠語です」 「駆け引きでは気持ちは伝わりませんよね」 「人は不思議なもんでルールの中で生きていると、 いつしかルールを守ることが目的になってしまうことがあります」 「あの女は、私に対して少しの罪悪感も持っていない。 私は怒りで体が震えました」 こうした犯罪事件は、日本国内でも日常茶飯事に起きているから、 悲しいことに驚くことは少なくなってしまったが、 私の好奇心は、常に犯人の「犯行理由」から始まるから、 この台詞を選んだ。 「体が震えるほどの怒り」は「罪悪感」の有無だったのか。
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2022年04月21日(木) ■ |
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命懸けの抵抗を、ナチスに見せつけてやります |
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映画「1941 モスクワ攻防戦80年目の真実」 (バディム・シメリェフ監督)から。 確かに「ナチスドイツの侵攻からモスクワを防衛し、 第2次世界大戦の流れを変えたとも言われる 『モスクワ攻防戦』を描いたロシア製戦争大作」であるが、 あまりにタイミングがいいので、もしかしたら プロパガンダの作品かな・・と疑いたくなった。 それは、立場変われば・・と言うしかないほど、似ている。 私が気になってメモした台詞は、 当時のナチスドイツ兵、ソ連兵、どちらの台詞なのか、 今のロシア兵、ウクライナ兵、どちらの台詞なのか。 以下・・単語、地名を入れ替えるだけで、別の作品ができる。 「大佐、モスクワが占領されたら元も子もないだろう。 ナチスがモスクワに進軍してる。どんな攻撃を受け、 どんな相手に遭遇しようと我々は決して屈しない。 たとえ死を迎えようとも、我々は英雄として死ぬ」 「我々の辞書に『降伏』という文字はない」 「パパ戦争に行くの?」「いや違う、訓練に行くだけだ」 「英雄になれ」 「俺たちの身を守るのではなくモスクワも守りに来た。 母国の心臓を守れ、モスクワのために戦え」 「みんな生きたまま焼かれました。 若者はモスクワと母国を守るために戦っている」 「でもなぜ母国は彼らをほっとくの。 せめて生き残っている者を助けるべきよ」 「命懸けの抵抗を、ナチスに見せつけてやります」・・ 気になるのは、私たちに何を伝えたかったのか、だろうな。
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2022年04月20日(水) ■ |
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映画みたいな「戦争画像」よりも「爆音」 |
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マリウポリ攻防戦、アゾフ大隊「公式YouTubeより」と書かれた 画像をテレビで見ていると、まるで映画を見ているようだ。 驚くほどのアングルの下に、字幕でも表示されれば、 まちがいなく、映画と勘違いするほどの出来だと思う。 この映像で、私たちは何を感じて、どうすればいいのか・・ この戦いを毎日のように、テレビ画面を通じて眺めていると、 恐怖感を感じることは、ほとんどない。 目から入る情報は、もう麻痺していると言うしかない。 実はこんな「爆音」の中で生活しています、という耳から入る情報、 もちろん、嗅覚とか味覚とか触覚とかも含め、 視覚以外の五感から得られる刺激が必要だと、と思う。 「どか〜ん、バリバリバリ・・」みたいな爆音に耐えている ウクライナ国民の現状を、知らせるべきなんじゃないのかな。
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