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しもさんの「気になる一言」
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2021年05月16日(日)
優勝より地位を掴んだ方がいいよ

大相撲5月場所の8日目、テレビ解説は元横綱「鶴竜」。
幕内最高優勝2回を経験し、三賞受賞も、
殊勲賞6回・敢闘賞1回・技能賞2回の小結・御嶽海関に
横綱「鶴竜」は、こう助言した、という話が紹介された。
それが「優勝より地位を掴んだ方がいいよ」
自分より地位が上の横綱・大関・関脇に対しては、
めっぽう強い御嶽海は、なぜか下位の力士に負けて、
大関を地位が掴めず、周りの期待を裏切ってきたが、
そのことは、同じ力士の「鶴竜」も感じていたのか、
いいアドバイスだと思ったので、メモをした。
幕内優勝は、何度もできることではないのに、
2回も経験している御嶽海が、
まだ大関に昇格しないことに、違和感を感じたのかも。
それは、心の在り方を伝えている気がした。
優勝を何回しようが、それはその時だけの成果、
やはり、成績に相応しい地位こそ、力士には大切だ、
そう伝えたかったのかな・・と思った。
「地位が人を育てる」というフレーズも思い出した。
今場所の御嶽海関が、どれくらいの成績を残し、
一つ上の地位を、がむしゃらに求めていくのか、
あと7日間を見守っていきたい、と思う。
「鶴竜」の言葉が、彼の心に響いてくれればいいなぁ。



2021年05月15日(土)
傲慢は「見下して失礼な態度をとること」

先日、ジェーン・オースティンの「高慢と偏見」を原作とした
映画「プライドと偏見」(ジョー・ライト監督)を観ながら、
あれっ、これって「高慢」?「傲慢」?と思うシーンがあり、
映画レビューを書いた後、気になっていた。
辞書で調べると、違いははっきりしていたのでスッキリした。
「傲慢」とは「自分が他人よりも優れていると思い、
見下して失礼な態度をとること」
「高慢」とは「他人よりも自分の才能や容姿が優れていると思い、
得意になること」
作品を思い出してみると、あの人の態度は「傲慢」だったし、
あの人の行い、振る舞いは「高慢」だな、と区別ができた。
ただ映画のタイトルは「プライド」となっていて、
その違いは、比較できない。
「プライド」は、人にとって時には必要なものであるし、
「矜持」「尊厳」みたいな感覚で、私は悪いイメージはない。
だから原作の「高慢」を、映画化して「プライド」と直された時、
少しだけ違和感があった。
単語の持つイメージが同じなら、あまり気にならないけれど、
真逆だと、なんとなく「?」マーマが付くんだよなぁ、私の場合。

P.S
あっ「自負と偏見」ってタイトルの書籍も見つけてしまった。(汗)
中国版は「傲慢与偏见(漢英双語)」・・「傲慢」かぁ。(笑)



2021年05月14日(金)
(方針を)変えたのは、みっともないし、不適切

国会中継をテレビで観ていたら、
立憲民主党の議員が、国会でこう発言した。
「(方針を)変えたのは、みっともないし、不適切」
一度諮問した内容を変え、再度諮問し直したのはおかしいという論理だ。
「朝令暮改」も甚だしい・・と言いたいのだろうが、
「みっともない」という表現に、なぜか違和感を感じた。
国会の討論で使う言葉かどうか、とても気になっている。
調べてみると、類語として
「見苦しい」「みっともない」「はしたない」の違いがあり、
「見苦しい」は、人の動作や様子が相手に不快感を与えたり、
いらいらさせたりするさまにいう。
「みっともない」は、人の動作や恰好が、
普通人前では恥ずかしくてできないようなさまにいう。
「はしたない」は、人の動作が世間一般の作法からはずれ、
下品であるさまにいう。女性の動作について用いられることが多い。
「見苦しい」「みっともない」が外見上からの評価を主とするのに対し、
「はしたない」は言説や動作に対する評価が中心となる、とあった。
私は、政府と専門家が意見討論された緊張感を感じたし、
大切なことだから、前日の意見と変わっても、朝の意見と変わっても、
「みっともない」「不適切」と思うことはない。
コロコロ変わるのを指摘したいなら「はしたない」だけど、
そんな言葉、議事録が残る国会の場で使うことが「みっともない」な。



2021年05月13日(木)
会話は誠実でなければならない

映画「プライドと偏見」(ジョー・ライト監督)から。
原作は、ジェーン・オースティンの同名小説「高慢と偏見」
原作がしっかりしていると、安心して観ていられる、と
何度か映画レビューでも書いた。
最近のラブストーリーは、キスシーンやSEXシーンまで、
とにかく触れ合うことで、愛しあっていることを表現するが、
この作品は、そういったシーンは皆無だけれど、
2人が少しずつ惹かれ合うことが感じられる作品とも言える。
主人公の名は、女性が「エリザベス」、男性が「ダーシー」。
最終的には、ハッピィエンドとなる2人であるが、
冒頭、詩、愛情について意見を交わす場面がある。
女「詩には愛を遠ざける力があるんですね」
男「詩は愛の糧かと・・」
女「詩は強い愛には糧ですが、弱い愛には毒です」
男「愛情を育てるには?」
女「相手にそそられなくても踊ることです」
この会話の前に、ダーシーがエリザベスの印象を
「悪くないが、そそられはしないな」と語ったことを知り、
こんな会話へと続く。
イギリス田舎町の素敵な景色と重なり、作品全体が美しいし、
「彼はとても誠実です」「会話は誠実でなければならない」など、
「誠実」という言葉が浮かび上がったラブストーリー。
そう言えば、最近「誠実」という言葉、聴かなくなったなぁ。



2021年05月12日(水)
クローゼット/オンライン試写会のご案内

昨年の秋頃、映画「クローゼット」のオンライン試写会の
ご案内メールが、私の自己紹介HPを経由して、届いた。
観た映画作品のほとんどは、レビューを書いている
「映画.com」で私を知り、お誘いのメールが届いた、という訳だ。
ホラー以外は、ジャンルを問わずに書いているが、
コツコツ書き溜めた1300作品以上のレビューが、
少しは役に立ったようだ。
ただし、映画評論家でもないので、気張らず、いつものように
映画の中の「気になる台詞」を紹介した。
ただ自分の生きた証として、老後の楽しみとして書いていることが、
誰かの役に立つことになるなんて、こんな嬉しいことはない。
ずっと書き続けている「気になる一言」から端を発した、
書籍「働く人の夢」(いろは出版刊)にも「公務員の夢」として、
書かせていただいたこともある。
(今でも本屋で見つけると、そっと覗いてみたりする・・(笑))
もうあまり多くのことを望まず、自分が信じて積み上げてきたものを
読み返しながら、隠居生活を送りたいな。
この生活の楽しさ、コロナウィルスが教えてくれた気がする。(汗)



2021年05月11日(火)
コロナ感染者の累計数っているの?

GWを終え、また感染者が増え出した、ってテレビが叫んでいる。
全国で、東京が何人、大阪が何人・・と、毎日、その数字を聞かされる。
県内ニュースに変わっても、県名が市町名に変わるだけで、
一日、何度、コロナ感染者数を耳にするだろうか?と数えたくなる。
それだけ逼迫している状況なんだよ、と伝えたいのかもしれないが、
人間の心理としては、もう完全に麻痺してしまって、
感染者数の数字では驚かなくなってしまったのが現状であろう。
しかし、その数字よりもまだ理解できないのが、感染者の累計数。
ずっと感染者数の累計を発表する「狙い」がわからない。
統計としてカウントすることに意味を感じないわけではないが、
「累計」なんてのは、10日に一度、1ヶ月に一度だっていい。
今私たちが知りたいのは、今までに感染した人の数ではなく、
今、感染している人の数だし、今、重篤化している人の数。
PCR検査の数が違うのに、出口の数字だけ公表して比べる意味、
誰か教えて欲しい。
分母が違うものを一堂に並べて、傾向がわかるのだろうか?
さらに不思議なのは、感染者の住所で累計を示していることかな。



2021年05月10日(月)
高齢者の1人世帯は、不安がいっぱい

我が家は母と同居だけど、巷は1人世帯の高齢者が増えている昨今、
普段でも、体調崩したり、インフルエンザにかかった時、
炊事・洗濯などの家事は、誰がするんだろうか?と気になっていたが、
今回のコロナワクチン接種後、特に2回目のあと、
予想以上の熱が出たらどうするんだろう・・と心配が積み重なる。
高齢者の気持ちになった時、ワクチンの接種予約に際して、
なかなかつながらない電話でストレスを感じ、
家族に手伝ってもらってPC予約できた人にもストレスを感じ、
どうにかワクチン注射したあとも、副作用などの不安が襲いかかる。
それほど「高齢者の1人世帯は、不安がいっぱい」・・と言える。
高齢者になればなるほど、何かしらの持病は抱えているし、
夜が来るのが怖いし、朝が来てホッとするのよ、と話してくれた、
高齢者もいた。
周りは、あなたの不安はわかるよ・・というかもしれないが、
こればかりは、ひとりぼっちの高齢者にならなければ、
わからない心境なのかもしれない。
私、もう長生きしたから、これで人生十分。
コロナに感染して死んでもいいから、ワクチン打たない・・と
涙目の1人世帯の高齢者の呟きが、耳に残っている。
少なくとも、コロナワクチンを注射した時だけでも、
誰かが側にいてあげられる環境は整わないものだろうか?
コロナの不安がストレスになるなんて、あまりにもかわいそうだから。



2021年05月09日(日)
良いか悪いかは、後(のち)のものが決めればいい

何かのテレビ番組のメモだったと思うが、
情報源不明で申し訳ない。(汗)
メモが残っていると言うことは、何かで悩んでいるときに、
これは何かのヒントになるな、と感じてメモしたに違いない。
たぶん私ごとでいえば「柿田川の魅力」を世界に伝えていきたいし、
この価値を次世代に残していきたい、と24時間考えている。
(あっ、飲んでる時は忘れています。すみません(笑))
ただ、あまりに志が大きく、自分一代では実現できないな、と
考えていた時に、このフレーズに出会ったのだろう。
「良いか悪いかは、後(のち)のものが決めればいい」
「志は受け継いでいかねばならぬ」・・と。
以前は、行動すれば誹謗中傷を受け、もうや〜めた、と思ったことも
何度かあったけれど、最近、気にならなくなった。
これでもかって、言葉の暴力を言われ続けたから、
すっかり麻痺したんじゃないの?と、自己分析したけれど、
実は、この言葉で、けっこう単純に吹っ切れた気がする。
「自分は自分の名で自分の仕事をすればいい」
「これが自分に与えられたミッションだ。良いも悪いもない」
そう思えるようになって、とても気持ちが楽になったなぁ。

P.S
父親の命日(45回忌)にこんなことを考えるなんて・・ちょっと嬉しい。



2021年05月08日(土)
雨の音。うーん、良い音を拾ってきました

映画「蜜蜂と遠雷」(石川慶監督)から。
「ピアノコンクール」自体、私の知らない世界なので、
どこまで、興味を持って観続けられるだろうか、
そんな心配をしたが要らぬ心配だった。
この音楽の世界って、いくらフィクションとはいえ、
これに近い感覚で、葛藤があり、競い合うことだと理解できた。
だからこそ私の関心は、映画を離れ、ノンフィクションとして
どうしたらこんな感覚を持った子どもを育てることができるのか、だった。
もちろん、本人の資質・努力もあるだろうし、指導する先生方、
その他、いろいろな生活環境が、彼ら、彼女らを刺激していた。
いや、もっとその前に、初めてピアノに触れた頃の接し方が気になった。
それを教えてくれたのは、ピアノの楽しさを教えてくれて母の死をきっかけに、
ピアノが弾けなくなったかつての天才少女・栄伝亜夜さんの幼少時期の様子。
耳を澄まし、生活の中で感じたことを音に変えていくシーン。
「雨の音。うーん、良い音を拾ってきました」と我が子に伝える母、
何度となく登場する「世界は音楽で溢れている」よりも、印象的だった。
そして「あなたが世界を鳴らすのよ」の台詞がダメ押し。
自然の音(雨の音)をピアノの音階で表現するなんて、
考えたこともなかった私は、絶対音感ってこんなことなんだな、と
少しだけ、音楽の楽しさを教えていただいた気がする。
この原作って、文字でどう記されているのだろう・・・
う〜ん早速、図書館・本屋で探さなくちゃ。

P.S.
エンドロールで見つけたフレーズ
「この映画の制作に際し、動物に危害は加えられていません」
この表現って、本当にいるのかなぁ。(汗)



2021年05月07日(金)
構想は少人数で、事業のアップデートは、多くの人の手で

先日「まちづくり」を地域文化として残すためには、
「みんなでやりましょう、は続かない」と書いたら、
さっそく何通かの感想メールをいただいた。
私の言葉足らずもあり、誤解を招いたかもしれないが、
多くの人でまちづくりをしてはダメ、という意味ではない。
逆に、最終的には「多くの住民」が関わることが一番いい。
たたき台というか、基本的な部分は少人数で決めて、
それを多くの人の手、意見が入ることにより、
ブラッシュアップされた「まちづくり」となり「地域文化」になる、
そんなことを言いたかったのだが・・(汗)。
「参加」ではなく、事業スタートの段階から「参画」したい、と
意気込む人たちもいるが、「改善」と「改革」の違いくらい、
その関わり方、責任は大きな差がある。
本当に「まちづくり」に参画したいのであれば、
24時間、365日、そのことを考え動いている、という行動力と、
どんな批判にも耐える、という覚悟、
そして、それを自分たちの手柄とせず、
多くの人たちが「参加」しやすいシステムを作ることが、
究極の「まちづくり」だと私は思う。
「構想は少人数で、事業のアップデートは、多くの人の手で」
これに尽きるなぁ。