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しもさんの「気になる一言」
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2020年01月16日(木) ■
ボランティアでお願いします

阪神淡路大震災の頃から「災害ボランティア」が注目され、
災害が起きるたびに、ボランティアが活躍しているが、
最近、観光の仕事をしていても、同じ単語に出会うことが多い。
「ボランティアでお願いします」
読者の皆さんは、どう感じるだろうか?
「無報酬でお願いします」と認識していないだろうか。
しかし、観光の研修などで耳にする「ボランティア」は、
「有償であるべき」と主張している人たちが多い。
外国では「ボランティア」といえば「有償」が常識であり、
「無償ボランティア」という言葉自体、理解に苦しむという。
今後、こうした認識の違いで、実際の現場でのトラブルが増える。
特に、外国人に「ボランティア」をお願いした時には、
依頼する側と依頼された側の言葉の解釈により、
お互いが自分に都合のいいように理解するので注意が必要だ。
そもそも「ボランティア」って言葉は、
自ら進んで、自ら選んで・・という意味があるのだから、
「ボランティア」を依頼すること自体、おかしなことかもなぁ。



2020年01月15日(水) ■
「話した」ことは「忘れられる」と覚悟する

ある研修で「伝えるということ」について学んだ。
「体験・発見」の大切さを伝えるために、こんなことを目にする。
聞いたことは「忘れる」。見たことは「思い出す」。
やったことは「わかる」。発見したことは「できる」。
しかし、逆の立場(伝える側)から考えると、
話したことは「忘れられる」。見せたことは「思い出してもらえる」
やらせたことは「わかってもらえる」
発見してもらったことは「その人の身につく」と覚えたい。
だから講師の人は「話した」ことは「忘れられる」と覚悟する、
その感覚を忘れると、いくら面白い話をして、
その場ではウケたとしても、大概は「忘れられる」ということ。
インパクトのあるものを見せたり、
ワークショップなどを企画して、やってもらう。
さらには、他人に教えてもらったのではなく、
自分が見つけたものなら、一生忘れないことになる。
自分の活動に落とし込んでみると、
柿田川の素晴らしさを伝えるには「話す」だけではダメ、
写真を見せたり、体験させたり、自分で見つけさせないと・・
なるほど、ちょっと嬉しいヒントだったな。



2020年01月14日(火) ■
最近考えが変わりました。

映画「蝶の眠り」(チョン・ジェウン監督)から。
作品の冒頭「小説家の心変わり」を表現する場面がある。
中山美穂さんが演ずる「女流小説家、松村涼子」さんが、
自身が遺伝性のアルツハイマーに侵されていることを知り、
今まで、小説を書くことで自分自身を隠していたことを認め、
大学生たちの前で、こう講義する。
「最近考えが変わりました。
小説よりも大切なのは自分自身だということです。
皆さんに自分自身を見せたいのです。
これからは小説の後ろに隠れません」と。
ありのままの自分を表現するから、これからの私を見て・・
とばかり、大学講師を始めたり、新作に取り掛かるのだが、
残り少ない人生だからこそ、自分の気持ちに正直に、と思う。
歳を重ねてきた私には、とってもよくわかる気持ちの変化だったし、
それを、みんなに「最近考えが変わりました。」と公言する勇気、
羨ましいな、とメモをした。
簡単そうで難しいのが、不平不満のない今の生活からの脱却。
今までコツコツ築き上げてきた自分との葛藤もある。
邪魔しているのは、中途半端なプライドだということも分かっている。
あとは彼女のように、言い切ってしまうことなのかもなぁ。



2020年01月13日(月) ■
こうして普通の人間が壊れていくんだなぁ

昨年11月頃から、クレイマー対応に追われ、
警察を呼ぶような騒ぎが何度も繰り返されて、
冷静にしているつもりが、何度も大きな声を出してしまった。
こんなことのために、公務員の再任用を受けずに、
定年退職の道を選んだのではないのに・・と思うが、
周りの人たちは、楽しそうでいいねぇ、と言うばかりで、
誰一人、心が折れそうになる誹謗中傷には、無関心。
クレイマーに対して「いい加減にしろ!」という人もおらず、
「あんたも大変だねぇ」と言うのが関の山だ。
だからって、今更、それを問題にするつもりはない。
原因は、適切に対処できなかった自分の責任だから。
ただ「言葉は力だ」と言いづけてきた私が、
「言葉の暴力」に対して、なす術がないことが情けない。
まだ、ギリギリのところで、心は持ち堪えているが、
マイナスの言葉を受け続けると、体が受け付けなくなる。
たぶん、最近、人と話すことが億劫になっているし、
「映画」や「読書」する時間が楽しいと感じてきているので、
ちょっと呟いてみたくなっただけ。
こうして普通の人間が壊れていくんだなぁ。
この「気になる一言」も、そろそろ・・・・。



2020年01月12日(日) ■
エンパシーとは、誰かの靴を履いてみること

時々耳にする「シンパシー」と「エンパシー」。
その違いは、インターネットなどで調べれば、
多くの方が事細かに書いている。
「エンパシー」は「シンパシー」と同様に「共感」「共鳴」
「人の気持ちを理解する」という意味があり、
明らかに異なる点は、相手を気の毒に思う「同情」というニュアンスが
「エンパシー」にはあまり含まれていないこと。
「エンパシー」には「感情移入」という意味もあり「哲学」や「心理学」、
また自己の感情を表現する「美術学」の世界で用いられる言葉。
たとえば「共感が芽生える」「共感が湧く」という
ポジティブな状況においての熟語表現では「シンパシー」ではなく、
むしろ「エンパシー」の方が適切でしょう」とあったが、
実は、なかなかイメージできなかった。
そんな時、ラジオから流れてきた、読者投稿の定義、
「エンパシーとは、誰かの靴を履いてみること」が腑に落ちたので
慌ててメモをした。(笑)
この例えが正しいとは言えないかもしれないが、
誰の説明よりも分かりやすかった。
様子、雰囲気がイメージできるってことが、いいよなぁ。



2020年01月11日(土) ■
今こそ分かれ目、いざさらば

映画「ビルマの竪琴(1956)」(市川崑監督)から。
戦争前・戦争中・敗戦後の日本軍の様子を題材にした映画は、
いくつも観てきたが、小隊の統制のために「合唱」を活用する、
それだけでも信じられなかったが、戦時中のドロドロした描写は少なく、
妙に清々して気持ちで観終わった。
それだけ、音楽に力があることを物語っているとも言える。
特に、泥だらけで精神も疲れているはずの彼らが歌う「荒城の月」は、
主線を歌うだけでなく、しっかりハモっていて、驚いた。(汗)
井上小隊が、戦時中どれだけ規律が守られていたかを説明しなくても、
この一曲の合唱を耳にするだけで、一致団結が理解できるのは、
メモに値した。
主役の水島上等兵が、井上小隊を離れ、訳あってビルマ僧となり、
竪琴演奏を通じて、仲間の日本兵に向けて別れを告げるシーンは、
繰り返して観ても、胸が痛くなるほど切ない。
その光景を思い出させる曲は「仰げば尊し」。
私たち世代は、卒業式の定番ソングとして、何度も口にした名曲であり、
歌詞の最後となる「今こそ分かれ目、いざさらば」が、
日本へ帰還する日本兵の仲間と、ビルマに残る水島との別れと重なり、
その光景が目に焼き付いて離れない。
静かな戦争映画だったなぁ。

P.S.
画面に表示された「ビルマ語」(ミャンマー語かな?)
記号みたいで、ポケモンの「アンノーン」かと思った。(笑)



2020年01月10日(金) ■
じゃあ、馬鹿には胆嚢がないなんだね

年末に集まった、恒例の「仲良しグループ」忘年会。
いろいろな話題が飛び交ってメモもしたが、
一番印象的だったのは、健康や病気の話をしていた時だった。
「今年、胆嚢の手術をした」という話題になったので、
「数年前に、胆嚢と同じくらいの大きさに胆石が育ち、
自分も、胆嚢全摘手術をしたよ」と、病気自慢をして、
「先生に、胆嚢がなくなって大丈夫ですか?と尋ねたら、
「キリンもないから、平気だよ」と言われたことを披露した。
そしたら、獣医の友人は、笑いながら
「牛はあるけれど、馬と鹿も胆嚢がないよ」と付け足した。
さらに、誰かが追い討ちをかけるように、
「じゃあ、馬鹿には胆嚢がないなんだね」と確認し、
「だってよ・・」と私の方を見ながら大笑いした。
胆汁が出ないから、日常生活に支障があると思ったけれど、
何も影響がなかったこと。
手術も、腹腔鏡で体に負担がかからず、3日ほどで退院したこと。
だから、昔の保険は意味がなかった・・なんて話を、
先日紹介した、全員がパフェを食べながら、話し続けた。
今回は「耳鳴り」の話や、突発性難聴の話など、
耳に関する病気ネタが多かった気がするなぁ。
先生の「加齢が原因です」が一番、説得力があるようだけど。



2020年01月09日(木) ■
元気に下山

仕事の帰り、いつものように書店により、久しぶりに、
タイトルを読んだだけで買ってしまった、
書籍「元気に下山」(毎日を愉しむ48のヒント)
(五木寛之著・宝島社新書・239頁)。
9年前にも、同じことをした記憶があり、検索したら、
書籍「下山の思想」(五木寛之著・幻冬舎新書刊・223頁)で、
書店で目にして、珍しく立ち読みもせず(内容も確認せず)
買ったことを笑いながら、書いてあった。
今回は夕食の食卓で、母に「面白い本見つけたよ」と見せたら
「えっ、あなたのこと書いてあるの?」と驚いたので、
妻と一緒に、大笑いした。
そう言えば、私だけでなく、母も妻も娘も「下山」。
嫁に嫁いだ妹だって、親戚一同「下山」に反応するはず。(笑)
私の場合、もう一つのヒントをもらった。
それは、書籍「元気に下山」(柿田川を愉しむ48のヒント)
試行錯誤しそれでも悩んでいた、柿田川の魅力の伝え方、
まとめ方は、これだな、きっと。・・ラッキー。(笑)



2020年01月08日(水) ■
あなたには愛国心なのね。私には愛国主義だわ

映画「記者たち 衝撃と畏怖の真実」(ロブ・ライナー監督)から。
「イラク戦争の大義名分となった大量破壊兵器の存在に疑問を持ち、
真実を追い続けた記者たちの奮闘を描いた実録ドラマ」であるが
私は、小さな子供を持つ、ある家庭の会話が気になった。
「授業で米国の偉大さを勉強したって?」というシーンから始まる。
「どこが偉い?」と父親、「自由の国」と子供。
「いい答えだ」「いい子ね」と両親。ここまでは普通だけれど、
「学校で愛国主義教育とは・・」と母親が嘆き、
「今は愛国心が必要だろう?」と父親が反応するのだが、
それを受けた母親の返しの一言が、インパクトがあった。
「あなたには愛国心なのね。私には愛国主義だわ。
ユーゴスラビアもそうだった。おかげで国がバラバラだよ」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では、
「愛国心または愛国主義は、自分の国家に対し、愛着や忠誠を抱く心情」と
同意語のように扱われているが、やや違和感を覚えた。
うまく言えないが「愛国心とは、自然発生的に感じる感情」であり、
「愛国主義とは、その考え方を教育で植え付ける」イメージがある。
もし敢えてその違いを説明するのなら、
心の底から「誇れるかどうか」、そんな気がしている。
自分の住む国を愛しているからこそ、嘘で固められた政策に対して
反旗を翻す行為を黙ってみてられない、心境になる。
アメリカ人の「愛国心」と日本人の「愛国心」・・
どちらが良いということではなく、ちょっと違う気がして観終わった。



2020年01月07日(火) ■
未来を、どこまで楽しくできるか。

私が読み直したのは、正月に新聞紙面を飾る、
各社の一年の抱負とも思える、キャッチコピー。
今年、あっ、これいいな、とメモしたのは、
パナソニックの「面白い年になりそうだ。」と
トヨタの「トヨタイズム」と書かれた
「未来を、どこまで楽しくできるか。」だった。
社是、と言われると難しく感じられるが、
今年一年、こんなことを念頭に仕事をしよう、という
とてもわかりやすい表現だな、と思ったから。
とにかく、方向性があってるか、間違っているかは別として、
何をしたいのか、どんなものを目指していくのか、を、
社会に向けて、コミットするという意志が感じられる。
トヨタの「未来を、どこまで楽しくできるか。」は、
まさしく、大きなイベントを控えた日本という国を、
そして、自動運転が本格的になってきた自動車業界を、
足を引っ張り合うのではなく、共に歩んでいこうとする、
そのキーワードが「楽しい」だったからかもしれない。
もちろん「柿田川を、どこまで楽しくできるか。」が、
私の今年のテーマでもあることは言うまでもない。
楽しくなったそのあとは、パナソニックが目指す、
「面白い」のはずだから、この2社が気になったのかもなぁ。