初日 最新 目次 MAIL HOME


しもさんの「気になる一言」
しもさん
MAIL
HOME

My追加

2019年09月22日(日)
優勝の翌日「スポーツ報知・スポニチ・ニッカン」が届いた

昨晩、巷は「ラグビーW杯」で盛り上がっていたが、
やはり、私の場合、5年ぶりのジャイアンツ優勝で喜んだ。
日付が変わるまで、恒例のお祝いビール掛けや、
選手が生出演した番組を観ながら、ジャイアンツ愛に溢れ、
何度も東京ドームで一緒に観戦した横浜の親友に
「優勝おめでとう」とラインした。
翌日の早朝、地元紙の朝刊を楽しみに開くと、
思った以上に、優勝記事が小さくて、ややがっかり。(汗)
仕方ないから、インターネット記事を読もうかな・・と
思っていたら、横浜の彼から電話。
「今、お彼岸の墓参りで帰省しているから寄るよ」
そして暫くして現れた彼が手にしていたのは、なんと
「スポーツ報知・スポニチ・ニッカン」の新聞3紙。
おぉ、私が一番読みたかったスポーツ新聞。(笑)
もちろん、彼は今日も神宮球場に行くようで、
「じゃあね、今日も応援してくるよ・・」と言い残して、
去っていったが、それだけではない。
「ジャイアンツ愛」が功を奏して、私設応援団に入り、
機会があれば必ず、外野スタンドでラッパを吹いている。
そんなこともあって、テレビで野球中継を見るたびに、
真っ先に外野スタンドの彼を探す私。
今年は、日本シリーズ優勝まで突っ走って欲しいな、
体調にだけは気をつけて・・。



2019年09月21日(土)
朝の虹は、雨のサインです

先日の早朝、柿田川公園で、虹を見つけた。
これは、ラッキー、と思っていたら、
私の様子を、ラジオの向こうで見ていたかのように、
お天気キャスター(気象予報士)が、こう呟いた。
「朝の虹は、雨のサインです」
たぶん全国的に、虹を見た・・という人が多かったのか、
珍しいから、ついスマホで撮影して、#など付けて、
インスタへ投稿した人が多かったのか、その理由はわからない。
だけど、天候が荒れている証拠、その境目に虹が出る・・
だから、もうすぐ「雨」・・ということらしい。
最近、ラジオで天気予報を聞く機会が増えて、面白いのは、
県によって、何分割される地域の呼び名が違うということ。
静岡県は「西部・中部・東部・伊豆」だけれども、
福島県は「浜通り、中通り、会津」だったり、
青森県は「下北・津軽・三八上北」だったりして、興味深い。
山脈や生活圏によって分けられた、その県独自の地域名は、
それなりの理由があるのだろうし、
天候に差があるからこそ、分けて予報しているとも言える。
まさしく「風土」なんだよなぁ、と耳で実感した。



2019年09月20日(金)
どこでもよかったんだと思えるほど、今が心地いい。

映画「アリー スター誕生」(ブラッドリー・クーパー監督)から。
何度も映画化された物語なので、説明不要かもしれないが、
シンデレラ・ストーリーは、どんな形に変えても私は好きだ。
「プリティ・ウーマン」しかり、主人公よりも、
その才能を見出し、磨き上げていく男性の気持ちに、
どうしても目がいってしまうのは、私だけではないだろう。
世界的ロックスターが、自分の成功よりも、彼女の成功を喜び、
今こうしている自分が好きだ、と呟くシーンがある。
「例えば、海に入る。海を漂っていてある日、港を見つける。
数日泊まるつもりが、数ヶ月になり数年に、
最初目指した場所も忘れてる。
どこでもよかったんだと思えるほど、今が心地いい。
俺はそうだった、今が気に入ってる」
何気ない会話だったけど、歳を重ねてくると、ズシリと響いた。
そう、もう自分のことよりも、未来を見つめた若者に、
輝ける場所を準備する方が楽しくなってくる気持ちはわかる。
そして、そっとアドバイスを忘れない。
「これだけは言っておくよ」「何なの?」
「魂の底まで掘り下げなきゃ長続きしない。
歌は正直なものだ。嘘は見抜かれる。
取り繕えば、今はよくてもいつか客は離れてく、本当だ。
だから手放すな。
『なぜ』とか『いつまで』と心配せずに歌えばいい。ただ魂の歌を」
やはりカッコよかったなぁ。



2019年09月19日(木)
150年後、三枚橋城の跡地に、沼津城が築かれた

先日、訪れた「沼津明治史料館」の展示で、
あっ、やっぱりそうだよな、と思ったことがあったので、
今更恥ずかしいけれど、記録に残しておきたい。
沼津市には、戦国時代からお城がいくつかあり、
それも、武田軍の城だったり、北条軍の城だったり、
その配置を見ながら、戦さを想像するのは、意外と面白い。
それは、戦いを想像させる「将棋」ではなく、
陣地争いの「囲碁」の世界に近いらしい。
一番悩むのは、同じ城なのに年代によって、名前が変わること。
あれっ、この場所は「たしか、三枚橋城」だったよなぁ・・と
覚えていたら「150年後、三枚橋城の跡地に、沼津城が築かれた」
そんな記載を見つけて、ひとりで苦笑いすることもしばしば。
以前にも書いたけれど、世界史では、三国同盟は「日独伊」だけど、
日本史では「甲相駿」(甲斐・相模・駿河)だからなぁ。
その中でも、私の興味関心は、相手・敵側に寝返った理由など、
実際の戦いよりも、人の心の揺れの方。
この城の城主が寝返らなければ、時代は変わっていたかも、という、
「たられば」を想像することが楽しい。
歴史って、やっぱり面白いよなぁ。



2019年09月18日(水)
「秋」が短く、すぐ「冬」になる予報

毎日、歩いているから、なんとなくわかるけど、
突然涼しくなったわけではなく、徐々に変化している。
それはセミや虫の鳴き声とか、雲の様子などでもわかる。
日の出から日の入りの時刻も、短くなっているし、
公園の木々も、黄色く色づき始めた。
そういった意味では、もう「秋」は、とっくに来ていて、
肌感覚では、確実に「冬」に近づいている。(気がする)
私の季節感が麻痺しているかもしれないが、
今年は「冬」から「春」をあっという間に通り越して、
一気に「夏」が来たので「春」のポカポカを味わう間もなく、
なんだか、損した気分になっていたが、
今度は「秋」の涼しさを味わう間もなく、
「冬」に突入するのではないか、と心配している。
私は、気象予報士ではないが、実感として
「『秋』が短く、すぐ『冬』になる予報」を出したいな。



2019年09月17日(火)
100歳、歩行者はねる

帰宅後、自宅のPCを立ち上げ、Yahoo NEWSで目にした
トピックスが驚くことに
「100歳、歩行者はねる 気がついたら歩道に 新潟」
この見出しで一番最初に感じたのは「おいおい・・」だった。
さて、私は誰に対して「おいおい・・」と言いたくなったのか。
本人はもちろん、家族、周囲の知人友人ら、
そして、免許更新をしたのであれば、警察に対しても、
「おいおい・・」と言いたくなった。
命に別状がなかったから許されることではなく、
高齢者の事故が頻発に起きて、社会問題になっている中、
あまりに危機意識が足りない、と言うしかない。
車がないと生活ができないから・・
そろそろ免許返納しよう、させようと思っていた・・等、
多くの言い訳が考えられるが、今回ばかりは、呆れた。
もちろん、100歳でも元気なお年寄りは確かにいるけれど、
周りが力づくでも止めなかったことに、驚かされた。
もしかしたら、新潟一の元気な高齢者かもしれないが、
誰かを傷つける前に、止めて欲しかったな。
この人の100年間生きた証が、事故なんて寂しすぎる。



2019年09月16日(月)
ベストは「客観的データと主観的な感想の一致」

先日、静岡県内の「住みやすさ」ランキングが公表された。
評価に、AIを取り入れ、主観的な採点を極力取り除き、
客観的データを中心に採点するというものらしい。
今まで「住みよさ」「幸せ度」など、
いろいろなランキングがあるが、
そんなランキングに右往されるのではなく、
住んでいる人たちの「実感」が大切だといつも思う。
仮に、客観的データで上位にランク付けされたとして、
住んでる人たちが「うん、確かに」と感じているか、
「え〜っ」と感じてしまうかは、大きな違いがある気がする。
住んでる人たちが、そのランクインを「誇り」に思えるか、
全く感じられない・・と思うかは、主観的な感想だけど、
とても大切であると私は思う。
もちろん、客観的データと、主観的な感想が一致することが
ベストなんだろうけれど、ちょっと視点を変えて言い換えると、
客観的データと主観的な感想が、低いレベルでも一致するも、
まちづくりとしては、やりやすい。
一番厄介なのは、客観的データが上位、住民の実感は低い。
その乖離が大きければ大きいほど、不満が募ることになる。
あっ、一番ベストは、客観的データは低くても、
住民の住みやすさの実感が高いのがいいのかもなぁ。



2019年09月15日(日)
過去はブラックホールに似てる

映画「蜘蛛の巣を払う女」(フェデ・アルバレス監督)から。
メモを振り返ったら、ある少年が何度も口にする
「お母さんのところに戻りたい」というフレーズが
何回か書かれていたので、少々気になったが、
核攻撃のシステムプログラムを開く暗号文
「馬は平原で静かに立つ」「今年は雪が早い」も気になった。
しかも主人公とは別に、この事件の鍵を握る少年の存在が、
どうしても頭から離れなかった。
例えば、プログラムの開け方を知っている、ただ1人の少年が、
目の前で母親を殺され、意気消沈していると思われたところ、
怯えることなく、冷静にこう答えた。
「お父さんは言った。過去はブラックホールに似てる。
近づきすぎると、取り込まれて消えてしまう」と。
そして、最後に「僕は消えたくない」とまで。
これには驚いたけれど、この例えが妙に引っかかった。
あまり過去ばかりにこだわっていると、自分というものを見失う。
だから、母絵が亡くなっても、悲しんでばかりではダメだ。
自分を失くしたくなければ、前を向いて歩け」
・・そんな教訓にもとれた例えであったからだ。
そのフレーズの意味は、物語全体を通して感じられたし、
16年前に別れた双子の姉妹が、過去となって存在する展開に、
過去に近づきすぎると危ないな・・と頷いた。



2019年09月14日(土)
ごめ〜ん、スマホが壊れちゃたんだよ・・

スマホなし生活、5日目。
慣れてきたというより、違和感がなくなってきた。(笑)
ここ数日、私のスマホに電話しても連絡つかない人は、
必要があれば、自宅に電話してくるようになったし、
「ごめ〜ん、スマホが壊れちゃたんだよ・・」と言えば、
「しょうがねぇなぁ・・」と言いながらも許してくれる。
このまま、スマホやめちゃおうかな・・なんて、
半分冗談、半分本気で言ってみると、
お前らしいかも・・と、否定されないのが不思議。(汗)
そういえば2020年「東京オリ・パラ」開催に向けて、
インバウンド対応も含め、Wifi環境が整うと、
電話は本当に必要がなくなってくる気さえする。
ということは、電話加入がいらなくなる?と言うこと。
えっ・・と思うかもしれないが、
実際に、いろいろ工夫してみると、
無理だと思っていたことでも、出来ることが多い。
これって、あまり指摘する人がいないけれど、
本当に、外出先のWifi環境さえ整えば、生活が変わる。
この体験は、本当に大きな気付きを与えてくれた。
もうしばらく・・この貴重な体験を続けてみようかな。



2019年09月13日(金)
昔はどうしてたんだろう?

スマホなし生活、4日目。
周りの心配をよそに、本人はいたってヘッチャラ。(笑)
というよりも、今年3月に定年退職してから、
早急に連絡を取らなければならない用件が激減したからか、
携帯電話の必要性が、自分の中でグラついている。
それでも、なんとか理由をつけなくちゃ・・と考えたが、
Wifi環境(主に自宅と職場)で、電話かメールで連絡できれば、
そんなに困らないことも知っている。
そして、運転中に事故したら、警察や救急車、
保険屋さんに電話するときに必要だから、と理由をつけたが、
「えっ、それじゃ、昔はどうしてたの?」の質問に
パッと答えが思い出せなかった。
スマホは、あればとても便利だが、どうしても必要か?と
問われたら、それをひっくり返す答えが見つからない。
だって、以前はなくてもなんとかなっていたのだから。
だから「昔はどうしてたんだろう?」と考えることにした。
いまだに「携帯(スマホ)、いらないかも」と思ってしまう私、
誰か、どうしても必要な理由、教えて欲しい。