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しもさんの「気になる一言」
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2019年01月06日(日)
非核化へ猪突猛進を願いたいものの・・

新年になって、多くの方のSNS投稿や、新聞等に掲載される
有識者の新年の抱負を読んでいて気になることがある。
「イノシシ年」に引っかけて、今年は「猪突猛進でいきます」等、
この熟語を、いい意味で使っている人が多いということ。
たぶん「何かに向かって突き進む」というイメージが先行し、
考えるだけではなく、一歩でも進むんだ、
そんなことを伝えたいのだろうと思われるが、
私の知識の中では「猪突猛進」は、悪い意味で使われる(はず)。
「後先を考えず」「周りの迷惑を顧みず」激しく進むこと。
だから、地元新聞の一面、コラム欄で
「非核化へ猪突猛進を願いたいものの・・」という表現を見つけ時、
えっ?、どういう意味で使っているのだろうか、とメモをした。
新聞のコラム欄は、その新聞の顔にも相当するコーナーだからこそ、
読者の私も、できるだけ丁寧に読むことにしているが、
今回の「猪突猛進」の使い方には、やはり異論を唱えたいところ。
言葉は歴史によって、その意味を変えることもあるから否定はしない。
けれど、やっぱり使い方が違くないかな・・が私の本音である。



2019年01月05日(土)
母ちゃんが疲れちゃいますから、それが一番困る

映画「モリのいる場所」(沖田修一監督)から。
30年以上も、自分の家の敷地から出ないという、
伝説の画家・熊谷守一とその妻の生活を描いた作品であるが、
どうして、そんな気持ちになれるのか、とメモしていたら、
面白い台詞にぶつかった。
文化勲章を受けて欲しい、と電話連絡があった時、
受話器を持っている妻に「いい」とボソッと言いながら
「そんなもん貰ったら人がいっぱい来ちゃうよ」と付け加えた。
妻も「それもそうやね、いらないそうです、はい」とあっさり。
さらに、もっと広い土地に移ったらどうかと誘う人にも、
「私、ここにいます。この庭は私には広すぎます、ここで充分。
それに、そんなことになったら、
また母ちゃんが疲れちゃいますから、それが一番困る」
とにかく、愛する妻と一緒に、のんびり過ごすことが望みで、
あまり有名になって、多くの人が訪れることになり、
大切にしてきた今の生活が変わることが一番困ってしまう、
そういうことなのかな、と思ってメモをした。
監督が伝えたかったことは、守一の好きな言葉「無一物」。
禅語「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)」の一節、
「無一物」とは何も存在しないということであるが、
何ものにも執着しない境地に達することができると、
大いなる世界が開ける、という意味らしい。
「何もないからこそ、そこに豊かさを見出せる」ってこと。
静かだけど、素敵な作品だったなぁ。



2019年01月04日(金)
平成最後の年に送り出す、日本通史の決定版!

数年前までは、年末年始の長期休暇を使い、
そんな時しか読めない、長編小説に夢中だった。
しかし「十二国記シリーズ(小野不由美著)」に出会ってからは、
毎年のように、好きな作品・巻から読める手軽さから
時間を見つけては、読んでいた。
が、今年は久しぶりに、読みたい!!と思った書籍を見つけた。
書籍「日本国記」(百田尚樹著・幻冬社刊・509頁)
まだ途中であるが、さすが・・というしかない考察で、
読者の私をグイグイと引きずり込んでくれている。
今は、本屋で手にした時のことを思い出し、
本の帯に書かれたキャチコピーを紹介した。
大きな見出しは「私たちは何者なのか・・。」
さらに「神話とともに誕生し、万世一系の天皇を中心に、
独自の発展を遂げてきた、私たちの国・日本。
本書は、2000年以上にわたる国民の歴史と
激動にみちた国家の変遷を「一本の線」でつないだ、
壮大なる叙情詩である!」と書かれている。
そして、私を惹きつけたキャッチコピーが
「当代一のストーリーテラーが、平成最後の年に送り出す、
日本通史の決定版!」
久しぶりに、半身浴しながらの長風呂になりそうだ。



2019年01月03日(木)
しもさんの「2018年(平成30年)の成果指数」(公表)

新年を元気よくスタートするのもよいが、
やはり、一生に1度しか経験出来ない「2018年」を、
最後まで一所懸命生き切ること、それが私のモットー。
そこで、例年のように、自分の成績表として報告している
(今日もまた、ここまでは毎年同じ内容です。(汗))
「しもさんの2018年(平成30年)の成果指数」公表したい。
万歩計(目標365万歩)・4,278,002歩。(平均11,721歩/1日)
読書・17冊、映画・67作品、講演会・15回、コンサート等・9回、
美術館・10館、献血・0回、新聞投稿(掲載)・0回。(投稿せず)
こうして振り返ると、仕事と飲み会が多くて(笑)、
知的活動に、あまり時間が割けなかったことは一目瞭然。(汗)
家族旅行も行けなかったし、献血も新聞投稿も0なんて。
ただ、公務員生活最後の1年としては、まだ3ヶ月を残しているが
想い出に残る1年だった、と胸を張って言える。
さて、今年(2019年)はどんな成果が残せるかな。



2019年01月02日(水)
平成31年の書き初めは「心機一転」

数年前から書き始めた「書き初め」。
上手、下手に関係なく、今年はどんな年にしたいか、
どんな気持ちで1年を過ごしたいか、なんて考えながら
その想いを、筆文字にしているのだが・・。(汗)
平成25年「日日是好日」、平成26年「自分に厳しく他人に甘く」
平成27年「刺激しあう」、平成28年「柿田川三昧」
平成29年「一所懸命」、平成30年「自分事化」
と年頭の行動宣言みたいなつもりで書き続けてきた。
(ここまでは、毎年同じ内容です、ごめんなさい、手抜きで(汗))
そして、平成31年の書き初めは「心機一転」。
そのまんまじゃんと言われそうだが、それが今の気持ち。
意味は「何かをきっかけにして、気持ちがすっかり変わること」
そう、定年退職が、そのきっかけは言うまでもない。
「期待」と同じ大きさだけ「不安」もある、という話を
以前紹介したが、まさしくその心境そのもの。
退職が近づくにつれ、何かが変わりそうだ、という期待と共に、
本当に大丈夫だろうか?という不安も大きくなってきた。
それを吹き飛ばすのは「自分」しかないことも知っている。
まずは、気持ちを新しくして、一つのことに集中すること、
私の場合「新気一点」かな。(笑)



2019年01月01日(火)
「2018の熟語」・・「引き継ぎ」に決定

12年前から、年末恒例の世相を表す「漢字1字」に対抗して、
プライベートながら、1年を表す「熟語」を考えている。
元旦に、大晦日まで使いきった、昨年の手帳を開きながら書き出した、
2018年・月別の熟語は
1月・我慢 (テンション上がらず力を溜める1ヶ月)
2月・後始末 (立ち止まる発言の後処理)
3月・引き継ぎ (えっ? まさかの人事異動)
4月・柿田川大学(準備室) (生涯学習課1年のテーマ)
5月・同級生女子 (個展開催、国語授業)
6月・まちづくり懇談会  (う〜ん・・コメントなし)
7月・インスタ映え (始めて見たけれど・・)
8月・猛暑の中の10000歩超え (とにかく暑かった。でも歩いた)
9月・9月議会クリア (今年最大の壁を超えた感じ)
10月・大悟法の柿田川40首 (思い出に残る40首)
11月・アユの産卵 (10年振りの鮎大群遡上で観察)
12月・ジョギング開始(町駅伝に向けて昼間もジョギング)

選考委員長(私自身)の弁

2018年、春までは「柿田川ビジターセンター」立ち止る発言で、
テンション上がらず、後始末に追われた。
それでも気持ちを切り替えて、産業振興・観光振興に力を注ぎ、
定年退職までの1年間、頑張ろうと思ったていた矢先、
まさかの、生涯学習課へ「人事異動」。これには正直驚いた。
しかし「これでもか」と続く、町制施行55周年記念事業は、
私の最後の仕事として相応しい、と考え直し、スタート。
今では、予想以上の手ごたえと、達成感・満足感が残っている。
まだまだ続く記念事業、3月まで突っ走って引き継ぎだな。
だからこそ、1年間を代表する熟語、として残したい。
さて「2019年」を代表する熟語は何だろうな、楽しみである。



2018年12月31日(月)
大晦日は、慌ただしくて好きじゃない

あまりマイナス的なことは書かないようにしているけど、
毎年、大晦日になると感じることなので、
今年は敢えて書こう、と思う。
私の周りだけかも知れないけれど、みんなイライラしている。
(それも、私だけがそう感じているのかも知れないけれど・・)
街中では、けっこう乱暴な運転をする人が増える。
無駄なクラクションを鳴らしたり、無理矢理、割り込みしたり。
急ぎたいのは分かるけれど、歩いている側から見るととても怖い。
近くへ灯油を買いに行けば、高齢のおじいさん同士が、
「私が先だ」「いや、俺のが早くから並んでいた」と大喧嘩。
どちらでもいいから、早くしてくれ・・と、こちらもイライラ。
レジでは、84円を全部一円硬貨で支払っているオバさんに、
いい加減にしてくれ・・と後ろに並んでいたお客が声を出した。
普段なら我慢できることが我慢出来ない、そんな慌ただしさがイヤ。
やはり、2日間続けて書いた、年末年始の過ごし方が私は好きだな。
自分の一年(2018年)を振り返るのは、明日になりそうだ。
「大晦日は、慌ただしくて好きじゃない」を残しておこうっと。

P.S. 
私の中では恒例になっている
「大晦日の夕陽に向かって手を合わせ、今年他界した人を偲ぶ」
今年は12人。
親戚、職場の先輩、お世話になった人、一緒に活動した人など、
身近な人が多く亡くなった。
あらためて「ありがとうございました」そして「お疲れ様でした」
(空全体を覆う黒い雲の下、沈む夕陽の場所だけポッカリ赤く染まってた)



2018年12月30日(日)
しくみは変化させ『いま』暮らしやすいように考えていく

昨日紹介した、生活研究家・阿部絢子さんの提案は、
目から鱗の気付きを与えてくれる。
なるほどなぁ・・と思ったのは、
「すべてに全力で取り組むのは無理だから、
自分の年代に応じて『何を大事にするか』の優先順位をつけて
やっていけばいいと思います。
人は年をとるにつれて行動も暮らし方も変わっていきます。
しくみは変化させ『いま』暮らしやすいように考えていくと
いいのではないでしょうか」という考え方。
たしかに、私の小さい頃と同じような正月の過ごし方は
時代にマッチしていない。
それなのに、正月はこうあるべきだ、というイメージ先行で
慌ただしく過ぎていくから、ゆっくり休めない。
彼女の提案のように「お正月にゆっくりと、
夫婦や家族や友人たちと『今年の暮らしぶりはどうしようか』と
語りあってみませんか」を実践してみようかな。



2018年12月29日(土)
大掃除もおせちも年賀状もやめた

ある新聞のコーナー記事。
「くらし彩々 年末年始をどうすごす?」
生活研究家・阿部絢子さんの提案が、私の目を惹いた。
「世間や風習は気にしない」を基本に、
「『すべての汚れを年末に掃除する』という考え方は負担に感じるだけ。
何より、真冬に大掃除をすること自体が不合理です。
油汚れは、気温が高く汚れが落ちやすい夏に掃除するのが最適です」
生活研究家らしい視点が、腑に落ちた。
おせち料理も「無理して手作りしなくていいと思います。
普段食べないような上等のお肉やお寿司を買ってきて、
ちょっと豪華に盛りつける」などの提案も新鮮だった。
年賀状も「相手との関係によって付き合いの形は違うから」と
前置きをして「『この人にはこういう時に』と考えて、
自分の気持ちを素直に表わそうと思っています」と言い、
「自分は落ち着いた頃に寒中見舞いを出す」と書いていた。
私は、年賀状のかわりに、誕生日お祝いメールに切り替えた。
それにしても、心地よい「年末年始」の過ごし方、に大賛成である。
と言いつつ、今年も大掃除はするけれど。(汗)



2018年12月28日(金)
ダメだよ、葉っぱの上は、滑りやすいから

毎日の通勤路となっている、柿田川公園。
落葉樹が多い園内は、今の季節、枯れ葉だらけ。
掃いても掃いても、毎日のように枯れ葉が増え続けるので、
いっそのこと、掃くのをやめて、
枯れ葉だらけの庭園として有名にしちゃいますか?と、
維持管理しているシルバーさんに笑いながら伝えたところ、
けっこう真面目な顔して叱られてしまった。(汗)
「ダメだよ、葉っぱの上は、滑りやすいから」
たしかに、滑りやすさは歩いていてもわかる。
雨が降って濡れると、それもまた滑りやすい。
だから来園者の安全のためにも、枯れ葉掃除は必要ですよ、
そう言われた気がして、頭が下がった。
常緑樹は常緑樹の良さがあるけれど、
季節によって、季節が感じられる落葉樹も悪くない。
枯れ葉を1カ所に集めて、枯れ葉プール作っちゃおうかな。