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しもさんの「気になる一言」
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2016年07月12日(火)
「なぜ山に登る?」「登らないのは罪だ」

映画「エベレスト 3D」(バルタザール・コルマウクル監督)から。
何度なく繰り返される「なぜ山(エベレスト)に登る?」の問い。
手垢のついた答え「そこに山があるからさ」ではつまらないな、と
感じていたところ、新しい定義が見つかった。
どんなにお金を持っていても、誰でも登れるというわけではないし、
それに見合う体力、精神力を持ちつつ、最後には「運」も必要だ。
それくらい「エベレスト」に登るということは、意味がある。
だから「なぜ山に登る?」の問いに「山に登れるからだ」という
シンプルな答えが心に残った。
しかし、それでは万人を納得させる定義ではないな、と思っていたら、
「あれほどの高みで、途方もない美しさを目撃できる」と呟いたあと、
「登らないのは罪だ」と言い切った登山家がいた。
「40年間、プロ登山家だけが挑み、4人に1人が死亡」という事実、
「人間の体はボーイング747の巡航高度では機能できない」という試練、
そして「決定権はいつも山が握っている」という条件などを考えても、
挑戦するに値する山なのだろう。
それを、神が与えてくれたチャンスと捉え「登らないのは罪だ」と
考えることが出来るほど、エベレストは神聖な山に違いない。
それにしても、登山家のプロたちって、意外と我侭だな、
決断の甘さが、他人を死に追いやることを知ってるはずなのに。



2016年07月11日(月)
「投票」に出かけ「白票」を投じるのも意思表示

この「気になる一言」では、あまり選挙・政治の話は触れないが、
歳を重ねてきて感じたことだけは、記録として残しておこうと思う。
たった1人の意見が、Twitter、FacebookなどのSNSを中心に、
もの凄い勢いで拡散されて、ひとつの潮流となってしまうことに、
私は危機感を覚えながら、今回の選挙を眺めていた。
当日の投票記載台で「支持政党なし」という政党があるのに知り、
笑うに笑うなかったり、若い世代に投票を促すためには、
各地であらゆる方法が展開された、そんな感じだ。
選挙の本来の目的である、
「首長や議員、団体の代表者や役員を選び出すこと」よりも、
投票率を上げることが目的となったり、
人気投票と変わらない動きに対して、私は違和感を覚えた。
もう何十年も真面目に続けてきた「投票」という行為が、
虚しくなるほど、様変わりした、と言っても過言ではない。
どう考えたって実現不可能な「公約」(マニフェスト)を掲げ、
理想論・雰囲気だけで、国民たちを洗脳しているようにもみえる。
各政党・各候補者の争点がみえないということは、
誰を選んでよいのか、判断する材料が少ないことに他ならない。
「選択肢が少ない」ということは「豊かでない」ということだ。
それでも誰か選ばなければならないから、と悩むのならば、
私たちのするべき行為は「投票」に出かけ「白票」を投じること。
それも、大切な意思表示と理解するべきだろう。
棄権や無効票とは違う「白票」という選択をした投票の重さは、
政権を任された政党、候補者が、感じてくれればいい。
ただ、今の開票結果では「白票」は「無効票」なんだよなぁ。



2016年07月10日(日)
最近は「男性的梅雨」ですね

先日、農業関係の会議で、冒頭、委員長が時候の挨拶をした。
「ようやく田植えが終わり、農家にとってはホッとした時期ですが、
玉ねぎやジャガイモの収穫と重なり、まだまだ忙しいですね」と
農家らしい歳時記だなぁ、と感心していた。
続いて、先月の大雨に触れながら「最近は、豪雨とか、強風とか、
梅雨と言っても『男性的梅雨』ですね」と付け加えた。
もちろん、この時期の「水不足」や「猛暑」も、同じである。
私たちの小さい頃の梅雨と言えば、霧のような「シトシト雨」が、
何日も何日も続く、田植えをしたばかりの苗に栄養を与えるように。
まるで、生まれたばかりの赤ちゃんに母乳を与える母親の感じの雨。
「女性的梅雨」という言葉は使わなかったけれど、イメージが湧く。
植えたばかりの苗には、激しい雨とか風は、成長を妨げるし、
そんな稲の試練は、大きく成長した秋頃(台風)が相応しい気がする。
これから梅雨が明ければ、青空の下で、グングン育つ稲が見られる。
人間の成長と重ね合わせ、愛情を注ぐ時期、試練を与える時期など、
稲の成長を見守っていきたい。
それにしても、本当にまだ、梅雨は明けてないのだろうか・・(汗)



2016年07月09日(土)
私が嫌いなのは、君たちを落ちこぼれにするシステムだ

映画「コーチ・カーター」(トーマス・カーター監督)から。
1つひとつのプレーを見る限り、俳優がバスケットを覚えたのではなく、
バスケットの選手が台詞を覚え俳優になった、といった方が正確だろう。
さて、気になる一言は、高校のバスケットチームコーチを引き受けた、
主人公・ケン・カーターの行動の支えとなっている考え方だ。
勉強もろくにせず、かといってプロの選手になるほど上手くない、
大学進学率より、刑務所へ送られる率の方が高い中途半端な高校生たち。
その現状と課題に目を向け、チームメンバーの将来を考えての発言、
「私が嫌いなのは、君たちを落ちこぼれにするシステムだ」
つい目先の成果に気をとられがちだが、それでは問題解決にならない。
このシステムを変えようと、選手たちに勉強することを強要し、
学業成績を伸ばすことで、大学へ進学させるシステムの確立に
孤軍奮闘する展開に、胸が熱くなり拍手を送った。
そして、とうとう既存の考え方を変えることに成功するが、
私は、彼の行動に反対した人たち、足を引っぱろうとした人たちの
その後の反応が気になって仕方がなかった。
大所高所から、物事を考える視点、参考になったなぁ。



2016年07月08日(金)
言葉を選ぶだけではダメ。適温で渡さないと

講師「増岡弘」氏
(「サザエさん」のマスオさん役でお馴染みの人気声優)
演題「一人ひとりがすばらしい。
サザエさん一家は幸福みつけの達人ぞろい」から。
話し始めに「あの人が『マスオか?』の増岡です」と、
軽いダジャレでスタートした講演は、発する言葉ではなく、
相手にちゃんと伝えることの大切さを気付かせていただいた。
外国人は「サザエさん」を日本語の教科書にしているという話で、
48年間続いている魅力を語ってくれたし、
不完全な人間が、不完全な言葉で、不完全なことを話すのだから
伝えたいことのわずか20%しか伝わっていないですよ、と話した。
言葉は、相手に渡して受け取ってもらい、初めて用を足す、
だからこそ「言葉を選ぶだけではダメ。適温で渡さないと」と、
水と同じように、言葉にも温度があることも教えてくれた。
「ありがとう」も同じで、この言葉を口にすればいいのではなく、
「それを伝える前の心配り」が一番大切だとも・・。
さすが、言葉を大切にしている番組だけあって、
声優さんたちも、その考えが染みついている感じがしたなぁ。

P.S.「サザエさん」一家の様子をテレビで観た若い人たちは、
「日本の未来像」だと思っているらしい、という話は、ウケた(笑)。



2016年07月07日(木)
一生の不覚、私としたことが・・あたたたた

お世話になった先輩のお母さんが他界した報を受けて、
準備万端で、お通夜に参列した。(つもりだった)
・・・が、事件は、この時に起きた。(汗)
日中暑かったからと、自宅でシャワーを浴びて身を清めて・・とか
通夜に参列できない人たちの香典を預かったり、
丁寧に香典袋に名前を書きながら、通夜の時間を待った。
しかし、家を出る寸前に、知人から電話があり、
「通夜・葬儀に行けそうもないから、香典を立て替えて欲しい」、
そんな連絡を受けて、香典袋を追加して宛名を書き
自分の御霊前に入れた香典を、立て替えを依頼された人の袋に移した、
そこまでは、たしかに覚えている。
しかし、空になった自分の香典を包んだ記憶がない。
読経が始まったが、気になったので、席を立って受付にその旨を伝えた。
自分で香典を入れた記憶がない。もしかしたら、空かもしれない、と
正直に伝えたところ、やはり空だった。
その時、やばっ、やっちまった・・と感じながら、
心の叫びは「一生の不覚、私としたことが・・あたたたた」だった。
「一生の不覚」とは「人生において、
これ以上ないであろう失敗や油断をすることなど」を意味する語。
「私としたことが」は「この私ともあろうものが」という意味で
「不始末や失敗をしたとき,自らの行為を意外」として発する語。
まさかお通夜で「すみません、やっばり空でした」と言われるなんて、
私としては考えられないことだったので、記録に残したい。
2度としてはいけないことではなく、1度だってしてはいけないこと。
うっかりなのか、ボケなのか、自分でもわからないけれど、
立て替えを頼まれた方の香典袋じゃなくてよかったなぁ。
私なら「しもさんならやりそう」とか、話のネタで済むからね。
(すみません、こんなに落ち着かないお通夜は初めてでした。(涙))



2016年07月06日(水)
あなたのポケットに入りたい

先日、異業種・異性・異年齢の情報交換会(単なる飲み会)で、
若かった頃の話で盛り上がった。
その一つが「交換日記」。
そう言えば、私も「文通」や「交換日記」したなぁ、と
傍でニコニコ(ニヤニヤ)しながら耳をダンボにしていたら、
当時の交換日記を見つけた、という話に展開した。
何十年も前、それも思春期に書いた文章は、
見てみたいような、恥かしくて見られない・・そんな気分。
私は、どんな事を書いていたんだろう?なんて思い出そうと、
必死に記憶を遡ってみたが、まったく思い出せない。(汗)
当時の交換日記を見つけた女性が、その一端を恥かしそうに
披露してくれた。
「ねぇねぇ、なんてい書いてあったと思う?」と前置きして、
「『あなたのポケットに入りたい』だよ」。
「手を繋いだら洗わない・・」そんな乙女心だったらしい。
もちろん、その場にいた仲間たちは、大爆笑だったが、
私もそんな事書いていたかもなぁ・・と、一人で照れた。
とっくに忘れていた「交換日記」が蘇り、
最後はどちらが持っていたのか、どんな終わり方をしたのか、
そんなことが気になってしまった出来事。
いいなぁ、若いって・・と思いながら、これを書いている。



2016年07月05日(火)
久しぶりに、名前発見しました。なんだか嬉しい

「新聞の投稿欄を楽しみにしていますよ・・」
すれ違う知人に、そう声を掛けられることが多い。
インターネットが普及する前、自分の意見を伝える手段は
新聞投稿欄だった。
初めての掲載は、1995年(平成7年)1月10日(火) 毎日新聞、
それから20年。
掲載された時の周りの反応が嬉しくて、投稿を続けてきた。
しかし、本人はそんな気持ちがなくても、町の宣伝ですか?と
嫌味を言われたこともある。
そんな暇があったら、もっと仕事しろ、と言われたことも。
さらに、コンピュータの整備が進み、自分の意見を書き込むと、
すぐ反応が返ってくるインターネットの魅力に負けて、
書き続ける環境を電子媒体にシフトしてから、投稿回数も減った。
また立場上、書けないことも増えてきた気がしてきたのも事実。
だが歳を重ね、最近ではそんなことも気にならなくなってきた。
先日、道端でばったり会った高齢者から、
「知り合いの名が投稿欄に掲載されることが嬉しいから、
これからも続けてね」と励まされて、久しぶりに投稿してみた。
本日、仕事とはまったく関係ない話題で、地元紙に掲載され、
朝早くから、スマホにメールが届いた。
「久しぶりに、名前発見しました。なんだか嬉しい」と。
投稿も誰かの役に立っているんだなぁ、よかった、ホッ。



2016年07月04日(月)
ちゃんと食べるには、ちゃんと作る

映画「はなちゃんのみそ汁」(阿久根知昭監督)から。
乳がんの再発で33歳の若さで他界した、
広末涼子さん演じる母親・千恵さんが、
「娘が一人でも、強く逞しく生きていけるように、
一人できちんと生きていけるように、
その手助けだけは、してあげたい」という願いで始めた、
料理や家事の大切さを伝授する。
当時4歳の娘「はなちゃん」は、それをちゃんと理解して、
父親と2人になってしまっても、みそ汁を作り続ける姿は、
実在する話として、道徳の教科書にも取り上げられている。
4歳の子に、これからの生き方をどうやって教えるのだろう、
そんな不安を持ちながら観ていたが、母親が娘に教えたことは、
鰹節を削ったり、味噌の作り方だけではなく、
食・生き方に対する基本的な考え方を、徹底的に教え込んだ。
その根底に流れている考え方が
「ちゃんと食べるには、ちゃんと作る。
食べることも、作ることも、いい加減にせん」だった。
「しっかり食べなさい」とともに「しっかり作りなさい」と
教えた母親は、なかなかいないからこそ、私たちの心を打った。
体にいい食材を自分の目で選んで、料理を作る。
それこそが、本当の意味の「食育」なんだろうなぁ。



2016年07月03日(日)
私、初めて川の水を飲みました

あまりテレビを見ない私だが、たぶんマッサージチェアーに座り、
何気なく見ていた「旅サラダ」という番組だったと思う。
(すみません、放送局も・放送日も覚えていない)
たしか、女性のレポーターが、
「オーストラリア秘境の島 タスマニア」を訪れ、
何時間も歩いた後、現地のガイドに勧められて、
川の水を口にしたシーン。
彼女は「おいしい・・」と呟いた後、
「私、初めて川の水を飲みました」と、驚嘆の声を挙げた。
(川の水って、そのまま飲めるんですね、と言いたげだった(汗))
実は、そのシーンが妙に違和感を覚え、メモをした。
月に一度の「柿田川外来種駆除作業」をしていると、
水分補給に、川の水を手ですくい、口を漱ぐ。
もちろん、時と場合によっては「飲む」のが常だから、
「川の水が飲める」ということに、今まで驚いたことはない。
ただ時間が経過して考えると、私たちの方が普通ではなく、
川の水を疑いもなく、ゴックンと飲み込むなんて信じられない、
そう言われても仕方がない気がした。
それだけ、小さい頃から富士の恵みを受けていたってこと。
改めて、柿田川が近くにある豊かさを実感した番組である。