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| 2015年09月16日(水) ■ |
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| 少数意見をとりあげるべきか? |
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以前紹介した書籍「大放言」(百田尚樹著・新潮新書刊・239頁)から。 賛同したのは「少数意見をとりあげるべきか?」という内容。 「国会で『政党』として認められるのは、 所属議員の数が五人以上か、直近の国政選挙で 得票率が2パーセント以上ある政治団体という決まりがある。 つまり議員が四人以下で得票率が2パーセントに満たない場合は 政党として認められないのだ。 私はこれはまっとうな規則であると思う。」という部分。 「世の中には『少数意見を大切にしろ』という意見がある。 一見、非常にもっともな意見のように聞こえるが、 はたしてそうだろうか。 98パーセントが『納得できない』という意見は、 切り捨てていい意見だと思う」という彼の主張に頷いた。 「何度も言うが、これは少数意見の切り捨てではない。 五〇人に一人しか理解できない意見というものは、 本来は耳を傾ける意見ではない。 これはほとんどノイズと言えるものである」と書いている。 なんとまぁ、大胆に言い放ってくれるな、と拍手を送った。 一種のクレーマーに近い、声の大きな一市民の主張を、 「少数意見」と勘違いし、取り上げないためにも、 各種団体の会長や、選挙で選ばれた議員さんたちがいる。 私はそう考えているのだが、これも少数意見だろうか。(汗)
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| 2015年09月15日(火) ■ |
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| 女中はまともな職業だったし、嫁入り前の花嫁修業でもあった。 |
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映画「小さいおうち」(山田洋次監督)から。 ストーリーとは、あまり関係ないかもしれないが、 昭和初めの頃の「女中」という職業に興味を持ってしまった。 年老いた主人公・布宮タキ(倍賞千恵子さん)が孫に語る、 「女中」という職業に対する定義に頷いてしまった。 「昭和の初めの頃はね、東京のサラリーマンの家庭では、 女中さんがいるのは当たり前だったのよ。 近頃は、お手伝いさんなんて言い方をするけど、私の若い頃は、 女中はまともな職業だったし、嫁入り前の花嫁修業でもあった。 奴隷みたいに思われたら、かなわないよ」 最近では「花嫁修業」という言葉も死語となりつつあるが、 男性の「徴兵制度」がなくなったように、 女性の「花嫁修業」も時代の流れとともに、なくなった。 どちらも、若い年代の大切な一時期でないかと感じている。 特に「花嫁修業」となっていたという「女中」という役割は、 ある意味、有料の社会奉仕(ボランティア)をしながら、 家事全般に必要な知識・基礎技術を、住込みで覚えるシステム、 そう考えることが出来なくもない。 長い期間でなくても、家族以外の人たちと一緒に住むことで、 いろいろなことを覚えさせてもらえる体験は悪くない。 しかし、これも中年男性の古い視点かもしれないなぁ。
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| 2015年09月14日(月) ■ |
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| 誰かと響きあえたら、一瞬が永遠になんねん |
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映画「マエストロ!」(小林聖太郎監督)から。 私は楽器が弾けないから、五線譜に書かれた音符を読み、 その記号を「音」にしていく人たちには、 嫉妬というより、賞賛の言葉しか見つからない。 音楽は、人生にとって「あってもなくてもいい」ものではなく、 「必ずなくてはいけないもの」だと私は思っている。 作品の中でも「音楽ってせつないね。 今、確かにあったって思っても、次の瞬間には消えてしまう。 それでも、この世で一番美しいのは音楽だ、そうだろ?」という フレーズに代表されるように、音楽の素晴らしさは伝わった。 しかし、もっと素敵な言葉に出会った。 「わしら人間は誰でも死ぬ。必ず死ぬ。音と一緒で一瞬や。 せやけどな、誰かと響きあえたら、一瞬が永遠になんねん」。 1つひとつの音がいいのは勿論、大切だけれども、 その音が、違う楽器の音色と響きあったとき、もっと深みのある、 それでいて、なぜか心地よい音を耳にすることが出来る。 人生も同じ。1人で生きるのを否定はしない。 しかし、誰かと出会い、結ばれ、夫婦、家族となっていくことで、 みんなが鳴らしている音が調和した瞬間に味わう達成感は、 何事にも変え難いに違いない。 「マエストロ」と呼ばれる「指揮者」は、それを一番知っている。 だからこそ、多くの音が響きあうオーケストラを纏めあげ、 「自分の音づくり」に夢中になれるのだろうなぁ。
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| 2015年09月13日(日) ■ |
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| 「アルハンブラの想い出/F.タレガ」の緊張感 |
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昨日の午後から、音楽三昧の週末を過ごした。 土曜日午前中の「柿田川の外来種駆除」を終えたあと、 午後からは「伊賀あやさん(ヴァイオリン)&青木祐介さん(チェロ)」 (三島文化センター小ホール)で開かれた「第15回演奏会」。 もう15回になるのか、と思いながらも、たぶん最初の頃から 聴かせていただいているので、その成長ぶりが妙に嬉しい。 (なんとなくだけど、若い頃と違った音になった気がする・・)。 夜には、私たち中学校の同級生のみ(56歳〜57歳)で編成している 混声合唱団『風の会』の練習。(プロの方には失礼だけど(笑)) 今年は「若者たち」と「宇宙戦艦ヤマト」で町芸術祭に参加する。 下手ながらも、人の声がハモル楽しさ、快感を味わっている。 そして日曜日の今日は「オーボエ・ギター デュオコンサート」。 「古部賢一さん(オーボエ)&鈴木大介さん(ギター)」 (沼津文化センター小ホール)で開かれた演奏会に足を運んだ。 総括するつもりではないが、やはり「楽器の生音はいいなぁ」。 (先日の「ジャズ・コンサート」でも同じことを感じたっけ) CD・DVDでは感じられない、一体感(空気感)みたいなものが心地よい。 特に「鈴木大介さん(ギター)」の演奏した、ギターでは名曲中の名曲、 「アルハンブラの想い出/F.タレガ」の時は、会場内の空気が変わった。 誰もが知っている曲であるからこその「緊張感」みたいなもの。 聴衆者の私たちも、どんな小さな音も聞き逃すまい、とする静けさは、 演奏者にとっては、どう感じたのか、ちょっと知りたい気がする。 逆に弾き終えた後の彼のホッとした表情と会場が割れんばかり拍手が、 私の目に焼き付いて離れなかった。音楽三昧の週末記録として 「『アルハンブラの想い出/F.タレガ』の緊張感」を残しておきたい。 いつの日か、この曲をBGMに「柿田川」の映像を流したいな。
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| 2015年09月12日(土) ■ |
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| もしかしたら「オオカワヂシャ」(外来種)のおかげ? |
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週末の恒例となっている「柿田川ボランティア」。 今月までは、第2・第4土曜日の午前中、柿田川に入り、 可憐な白い花を咲かせる水中花「ミシマバイカモ」に 覆い被り繁茂する外来種「オオカワヂシャ」駆除に精を出す。 私が「柿田川の魅力のお裾分け」というコンセプトで 世界に向けて情報発信しようと心に決めた作業であるが、 よく考えたら、採っても採っても繁茂する外来種がいたから 「ミシマバイカモ」を護るという「大義名分」のもと、 毎月、正々堂々と「柿田川」に入ることができている。(汗) 作業中、手ですくって水を口に含むことも出来るし、 季節ごとに、鳥や昆虫、植物なども私の目の前を通り過ぎる。 作業後は、これまたお楽しみの「写真・動画」撮影も出来て、 1年半で数え切れないほどの枚数・本数が、PC内に貯まった。 これからは、外来種駆除作業を活動の基本にしながらも、 撮り貯めた素材を取捨選択しながら、絵はがきや写真集、 柿田川のプロモーションビデオの制作に取りかかりたい。 こんなことが出来るのも、定期的に柿田川に入ったおかげ。 「もしかしたら『オオカワヂシャ』(外来種)のおかげ?」って 呟きたくなるのも仕方ないな。 どんな場面でも悪役がいないと正義の味方は、つまんないから、 2週間後も、悪者退治のため「柿田川」に入らなきゃ。(笑)
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| 2015年09月11日(金) ■ |
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| 「インターネット回答」より「タッチパネル回答」 |
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今回の国勢調査から導入される「インターネット回答」。 昨日、我が家にも調査票が届いていたので、夕食後にさっそく 「操作ガイド」も見ずに(汗)、画面入力をしたが、 以前の調査項目にあった、家の面積などの項目もなく、 驚くほど簡単で、ちょっとあっけないほどだった。 この体験で調査員には「インターネット回答を勧めたら?」と 自信をもって指導できる。 調査員の中には、以前からお手伝いをされているが、 インターネットはやったことがないという高齢の女性も多い。 だからこそ、彼女らは、この便利で簡単な入力方法を、 自信をもって勧めることができないのでは?と感じた。 少なくともこういった調査員には、 事前にこの「インターネット回答」の体験をさせてあげれば、 もっと自信をもって勧められるのに・・と感じる。 また「インターネット専門の調査員」でもいれば、高齢者には いろいろな聞き取りながら、その場で入力をしてあげられるのに、 そんなことも思ったが、それは禁止されているらしい。 パソコンは苦手でも、電車の切符や銀行のキャッシュカードなど、 タッチパネルには抵抗がない人も多いのも事実。 「インターネット回答」と言うと、難しさで抵抗がある人でも、 「タッチパネル回答」と言えば、気軽にできる気がする。 だから「『インターネット回答』より『タッチパネル回答』」を 気になる一言に残そうと思う。 やることは同じ、ただ「難しそうか、簡単そうか」 イメージの問題なんだよなぁ、たぶん。
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| 2015年09月10日(木) ■ |
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| ビールはお魚に失礼ですよ |
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先週末のこと、以前一緒に働いた後輩たちとの楽しい宴だった。 突然「金曜日飲みませんか?」のメールが届き、 先着順をモットーにしている私の予定が空いていたので、 当然のように優先順位は1位、そのまま「了解」と返信した。 三島駅南口に各々仕事を終えて集合してから、入る店を探したが、 誰かが「肉より魚の美味しい店」とリクエストされた。 「居酒屋より小料理屋」を前提に探したが、なかなか思いつかない。 そういえば・・三島駅へ向かう途中に「魚料理」と書かれた看板が あったのを思い出し、その店に足を運んだ。 釣りを趣味としている彼らには、大満足のお店だったようで、 午後7時から11時まで、約4時間、魚づくしの料理を堪能した。 まずは「喉湿し」で生ビールだったけど、2杯目は「冷酒」にしようか、 もう一杯「生ビール」にしようか迷っていたら、こう言われた。 「ビールはお魚に失礼ですよ」 確かに、天然の地魚にビールは合わないな、と思っていたが、魚に まさか「ビールを飲みながら、私を食べるの?」と言われたみたいで、 可笑しくてたまらなかった。 「魚に失礼だから、ビールよりお酒」という発想は頷ける。 ドイツのソーセージにはビールがあっている、と言うより、 「ソーセージに失礼だから、お酒ではなくビールでしょ?」のように、 食材や風土に合う飲み物を、食べ物に敬意をはらいながら選択する。 そのアドバイスどおり、食材を活かす飲み物の役割があった。 ますます、和洋折衷の料理に合わせた飲み物が難しくなってきたなぁ。
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| 2015年09月09日(水) ■ |
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| 長雨で心配なのは「国勢調査」 |
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ここ数日続いている、秋の「長雨」。 露地野菜が取れなくなり、野菜の値段が上がる。 そんな話を食卓でしていたが、私の場合は・・ 「長雨で心配なのは『国勢調査』」 指導員の立場で考えると、調査員が苦労しそうだからだ。 9月6日〜9日までは「受持ち調査区の確認」だけど、 この雨の中、地図を見ながら確認するのは意外と大変そう。 さらに、9月10日〜12日は 「インターネット回答の利用案内の配布」時期であり、 今回から導入される新しいシステムの説明をしながら、 利用案内を配布する作業は、晴れていても大変そうなのに、 (地域によっては川の氾濫に注意しながら) この雨の中、調査区を回るのは、ちょっと危ない気もする。 自分の担当する6人の調査員は、大丈夫だろうか? そんなことばかり気になっている。 5年に一度の国勢調査も「基準日(10月1日)」を挟んで、 いろいろなことが指示されているから、 国勢調査の調査員のためにも、なんとか晴れて欲しいな。 週末予定していたイベント中止や、予定変更の周知が、 ネット上に溢れている。 この日のために、せっかく準備してきた彼らのためにも 「テルテル坊主」作らなきゃな。
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| 2015年09月08日(火) ■ |
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| 「重陽の節句」には「菊花酒」 |
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書籍「旧暦で楽しむ日本の四季」(二十四節気と七十二候) (別冊宝島編集部編・宝島社刊・319頁)から。 明日は九月九日。「重陽の節句」(別名「菊の節句」とも言う) 「平安時代の宮中では、邪気を祓い、長寿を願うために、 菊を浮かべた酒を飲む習慣がありました。 天武天皇が重陽の宴を開いたり、陽成天皇が菊花酒を公卿たちに 振る舞った記憶も残っています」と書かれていた。 ここで、その理由をヅラヅラと書き並べるつもりは無い。 私がこの「菊花酒」に注目したのは、単なる飲兵衛ではなく、 そんな季節を感じる風習を試しながら「重陽の節句」を、 知識としてでなく体験で感じて欲しい、そう思ったからだ。 四角い升(マス)にでも、お気に入りの「日本酒」を入れ、 菊の花弁を浮かべて、チビチビと飲むなんてことをしてみたい。 わが町の町花は「菊」だから、こんな楽しみ方でもして、 「町花普及」を試みるのは、怒られちゃうかな。(汗) ただ問題は、旧暦の「九月九日」だから、菊の花がない。(笑) 毎年、秋が深まる頃に開催されている「菊花展」に併せて、 霊力を持った不老長寿の花とされている「菊」を題材に 「菊花酒」も広めちゃうしかないな。
P.S. こういう話題は、前日に提供しなくちゃ意味がないものね。
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| 2015年09月07日(月) ■ |
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| 多くの表現者や作品を追い込んだ「言葉狩り」 |
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書籍「大放言」(百田尚樹著・新潮新書刊・239頁)から。 読み終えてメモを振り返ったら、私と同じ意見が多く、 打ち直すのを途中でやめたくらい、頷くことばかりだった。 もちろん、全てが正しいというつもりはないが、 私が共感したのは「『言葉狩り』の時代」という内容。 「いつの頃からか、日本人はその言葉の裏にある真意よりも、 表面上の言葉にだけ反応するようになった。 典型的なのが、昭和五十年代に起きた一連の言葉狩りである。 もともとは差別に抗議する団体が中心になって行なった運動が きっかけだったが、やがてそれは社会全体を飲み込み、 巨大な力となった。「その言い方は差別だ!」 「その表現は許さない!」とメディアや世論が大合唱して、 多くの表現者や作品を追い込んだ」という部分。 今や、言葉だけでなく、デザインにまで及んでいる。 私たちは、こうして多くの才能を潰してきていないだろうか。 見も知らぬ人にバッシングされた人は、反論すればするほど、 余計に「人格」を否定されるので、面倒くさくなってしまう。 もういいや、これ以上この件に関わるのはやめよう、となり、 すみませんでした、と認めて、今後一切関わらなくなる。 人の欠点を探しだし、誹謗中傷することで満足するなんて、 完全に自己満足の世界だと思う。出来ることなら止めて欲しい。
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