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| 2015年03月30日(月) ■ |
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| 人間が接ぎ木しないと増えていけません |
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書籍「旧暦で楽しむ日本の四季」(二十四節気と七十二候) (別冊宝島編集部編・宝島社刊・319頁)から。 四季では「春」二十四節気では「春分」、七十二候では「十一候」 (四節気「春分」の次候)にあたる、「桜始開」(さくらはじめてひらく)、 意味は「桜の花が咲き始める」。(2015年は3/26〜3/30) 全国で、どれだけの人がこの時、この色を待ち望み、 その風景を写真に撮り、周りの人に見せたくなるのだろうか。(笑) 桜の木の下は、デジカメ、スマホを上に向けた日本人で溢れている、 これもまた、日本の歳時記と言えそうだ。(実は、外国人もだが・・) 日本中、桜の話題でいっぱいの中、メモした話題をひとつ紹介したい。 「桜の多くはソメイヨシノです」と言いつつ 「その絶対多数のソメイヨシノですが、実は極めて繁殖能力が低いため、 人間が接ぎ木しないと増えていけません」と纏めている。 「ソメイヨシノ好きの人間と、その人間がいないと生きていけない ソメイヨシノの関係は面白いですね」とも・・。 それこそ日本人が長い歴史の中で培ってきた「日本文化」であろう。 人間がソメイヨシノを育て、育てられたソメイヨシノが、 自然を愛する人間を育て、疲れた人間を癒す役割を果たしている。 この事実知ってから「花見」をすると、また格別に愛おしくなるのは、 不思議な感覚であるが、是非、見るだけでなく、桜に触れて欲しい。 また新しい「花見」の楽しみ方が増えた気がするから・・。
P.S. 桜の開花は「稲作りを始める目安」とされていて、 桜の花の下で行われる宴会(花見)は「秋の実りの予祝行事」らしい。
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| 2015年03月29日(日) ■ |
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| 下山義夫会様御一行 |
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書こうかどうか迷ったけれど、インパクトがあり面白かったから、 記録・記念として、残しておこうと思う。 実は、先日開催された「わが課の平成26年度送別会」は、 伊豆の国市にある某ホテルにて、1泊のイベントだった。 仕事以外の企画・運営は、全ては課のスタッフ任せで、 私は当日の祝儀を出すだけ。(汗) 彼らには、こういった行事を通して「段取り力」を始めとした 仕事に活かせる力を身につけて欲しい、といつも思っている。 さて、今回も「飲んだ翌日、どこまで走れるか試してみようか」という 私の無謀な思いつきを「宴会翌日早朝ラン・朝風呂企画」として形にし、 一緒に付き合ってくれるなど、いろいろな企画が準備され大満足だった。 中でも一番驚いたのは「宿泊施設の入口」「各部屋の前」に書かれる 団体名が「下山義夫様御一行」だったこと。 もちろん、宴会会場入口にも、蛍光灯で照らされた看板に 「中宴会場・下山義夫会様」の文字がデカデカと・・。 偶然にも、同じ職場の別の課も同宿泊施設で「歓送迎会」だったから、 「○○役場○○課様御一行」の横に並んで書かれた、 「下山義夫会様御一行」で、恥ずかしさ、照れくささは倍増したが、 スタッフの粋な計らいのおかげで、いい想い出になった。(笑) 頼りないリーダーの私を、みんなで支え、盛り上げてくれた感じがする、 「〜会」の名称が妙に眩しく嬉しかったから、看板と並んで写真を撮った。 たぶん、こんな経験は、なかなか出来ないんだろうなぁ。(感謝)
P.S. 統一選挙を間近に控え、名前入りの看板が主要道路沿いに立てられるが、 ホテル内だけでも、こんなに恥ずかしいのに、自分の名前(氏名)が、 (県内・市内・町内の)目につくところに何カ所も貼り出されるなんて、 考えただけでも、私には出来ないことだな、と実感した。
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| 2015年03月28日(土) ■ |
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| ゴリラは、食べてるのは肉ではなく、ほぼ植物。 |
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映画「セイフ ヘイヴン」(ラッセ・ハルストレム監督)から。 その作品を思い出す「気になる一言」には選ばなかったが、 発想、視点でなるほど・・と感じた事を紹介したい。 その1つが「ゴリラは、地球上の動物の中で最強だよ。 食べてるのは肉ではなく、ほぼ植物」「体にいいわよね」。 私たちは「筋力」をつけるには「肉」を食べる、と覚えてきたし、 現実の会話でも、最近、肉を食べないから力が出ない、などと 言いながら、焼肉屋に繰り出すことがあるけれど、 この会話をメモしてから、ゴリラのあのもの凄いパワーは どこから生まれるのだろう・・そんな疑問を抱いた。 調べてみると、確かに「食性は植物食傾向の強い雑食で、 果実、植物の葉、昆虫などを食べる。 亜種マウンテンゴリラは季節によって果実なども食べ、 乾季に食物が少なくなると植物の葉、芽、樹皮、根などの 繊維質植物を食べる」とあった。 食性は確かめられたものの、ほぼ草食性のゴリラのパワーの源は、 正直、判らなかった。 ただ、肉好きだから力強く、野菜好きだから力がない、 そういう例えは当てはまらないということだけは理解できた。 よく考えれば、オリンピックの金メダルは、肉好きの国民だけが 獲得しているわけではないものなぁ。納得。
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| 2015年03月27日(金) ■ |
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| 好物ですか?、朝飯です。 |
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年度末を控え、歓送迎会のシーズンとなった。 わが課は異動対象者に配慮して、送別会と歓迎会は別。 もちろん、私の意向も同じ。 1年間、いろいろな難題・課題に対処してきたメンバーと、 これからの新しい1年を乗り切っていくメンバーでは、 話す内容も違うだろうし、両方一緒ではどっち付かずの宴席になり、 送られる人、歓迎される人とも楽しめないのでは?と考えている。 そんな訳で、今回は、宿泊付きの「送別会」。 みんなで過ごした1年間の想い出が蘇る、楽しい時間だった。 普段は若いスタッフたちと話す機会が少ないが、 こういう席では「無礼講」、プライベートな話も出来て大満足だった。 男だけの職場で盛り上がった話は、ここで紹介できないネタばかり。(笑) だから、今回の「送別会」を思い出すキーワードを残しておきたい。 「食べ物は何が好き?」とありきたりの質問をしたのに、 戻ってきた台詞は「好物ですか?、朝飯です」。 詳しく訊くと、おかずは、海苔でも卵でも納豆でもいいらしい。 お米大好きで、みんなで囲む「朝飯」の雰囲気が好きなんだろうな。 予想外の答えに笑いながらも、ちょっぴり頷いてしまった私がいる。 翌朝、スタッフ全員で食べた朝食の光景。 若い人たちの茶碗は、どれも、特大盛りで、ムシャムシャ食べている。 お鉢に用意した御飯では足りず、なんとお鉢をお替わりする始末。 本当に好きなんだなぁ、朝飯。好物と言い切る意味が理解できた。 歳を重ねると、若い人たちの食欲、見ているだけで楽しいな。
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| 2015年03月26日(木) ■ |
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| 私は誰だ? ジャン・バルジャンだ |
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映画「レ・ミゼラブル」(トム・フーパー監督)から。 有名作品のミュージカルを、さらに映画化となると、 評価が分かれるのではないだろうか。 戦いで死にそうになっても、リズムある台詞があり、 ラストシーン、死ぬ瞬間まで、メロディで台詞を口にする。 私には、やや違和感を感じてしまったのは残念だ。 しかし、だからこそミュージカルらしいシーンを紹介しておく。 「今、世界の色は、日々塗り替えられている」と呟き、 リズムに合わせて、革命に燃える若者が歌うシーン。 「レッド、怒れる民衆の血。ブラック、弾圧の過去。 レッド、新世界の夜明け。ブラック、長かった夜の終わり」 それに比べ「恋の虜に」なってしまった若者は、こう歌う。 「一瞬の光で、世界は変わると、 正しさが悪にみえて、悪が正しくみえるだろう」 「レッド、僕の燃える魂。ブラック、彼女のいないむなしさ。 レッド、希望の色。ブラック、絶望の色」 同じ色なのに、こんなにもイメージが違うのか、と 鑑賞後、メモを振り返り、思わず苦笑いした。 「私は誰だ? ジャン・バルジャンだ」 「私は誰だ? あなたはジャン・バルジャン」 常に、自問自答している主人公のジャン・バルジャンが、 強く印象に残った作品であった。
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| 2015年03月25日(水) ■ |
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| 「良い景観」とは「見たくないもの」が「見えない状態」 |
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今後のまちづくりでは「景観」という観点は外せない、 そう考えているが、実は「景観」は新しい視点ではない。 私が「清水町第三次総合計画」の策定に携わった頃、 そう20年以上前から「景観」の大切さは認識しているつもりだが、 先日、ある講習会の資料で、なるほど・・と感じる発想があった。 「良い景観」とは「見たいもの」が「見やすい状態」にあること。 言い換えれば「美しい景色」、これは、誰もがイメージできるし、 最近では書店でもコーナーが出来るような「絶景」をはじめ、 「ステキ」と思えるような、統一感を持った景色をどう見せるか、 その見せ方に配慮する、それが景観だと・・。 しかし、それだけでなく「良い景観」とは、 「見たくないもの」が「見にくい、見えない状態」にすること。 うまく隠す技術も、景観には欠かせないことを知った。 そういった何気ない配慮こそ「おもてなし」と感じるし、 「地方創生の賑わい創出に『景観の視点』を どれだけうまく取り込むかが、活性化成功の必須内容となる」という アドバイスには頷くものがあった。 一極集中が進む、生活に便利な東京よりも勝てるものがあるとしたら、 それは「景観」ではないだろうか。 もっともっと「景観」を勉強しなくてはならないな、たぶん。
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| 2015年03月24日(火) ■ |
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| 外で食べると・・見えなくなっていたものが姿を現す |
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書籍「東京ピクニッケ」 (プロジェ・ド・ランディ著・白夜書房刊・111頁)から。 「ピクニッケ」とは「ピクニックする」という動詞らしい。 とにかく楽しく、手元において何度でも読みたくなるほど、 私にとっては、お気に入りの本の仲間入りの1冊となった。 ハイキングというと、どこか遠くの山へでも出かけて、 森林浴ではないが、自然の中を歩いてリフレッシュする、 そんなイメージがあるが、ピクニッケは、趣が違う。 東京都内でも、私たちの周りの近くの公園でも、楽しめる。 これから「気になる一言」に何度も登場しそうな予感さえするが、 まずは、冒頭に書かれていたこのフレーズを紹介したい。 ピクニックの基本である「外で食べると」で始まり、 「日常のなかに埋没して、見えなくなっていたものが姿を現す」。 それは「目にしているもの、肌で感じる風、匂い、光は、 最高の調味料となってゴハンをおいしくしてくれる」と著者は言う。 私も、思わず「これだ!!」と声を挙げてしまうほど、頷いた。 それは「母親の作った手料理のお弁当」でなくてもいいし、 目的地で見つけた、地元のおいしい料理のテイクアウトで充分。 とにかく、お気に入りのものに囲まれて、外で食べる、 それだけで「ピクニッケ」なのだと私は実感した。 アイデアがいっぱい浮かんでくるのは、ワクワクするからだね。
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| 2015年03月23日(月) ■ |
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| お茶漬けにバターを入れるようなことはするな |
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先日紹介した沼津市出身の落語家「三遊亭橘也」の後援会会報から。 師匠・三遊亭圓橘さんからのアドバイスは、的を射ていた。 最近は有名な古典落語にも、さらっと現代ネタが挿入されたりし、 あれ?と思うこともあるが、そういうことか・・と納得した。 師匠は、真打間近の彼に、こう伝えたようだ。 「自分なりの工夫をする、変えていくのは良いが、 落語をぶち壊すようなことはするな、と。 バターを入れたら、もうお茶漬けではない。 入れるんなら、梅干しなんだ、と。」 ワンポイントでも自分らしさを演出する、その試みは良いが、 基本は伝統文化である「落語」であることを忘れるな、 奇をてらうことで、いくら観客に受けたとしても、 「落語」という域を超えたところの笑いではダメだ、ということ。 美味しければ(受ければ)何でもあり、という考え方は危険であり、 それは、いろいろな場面で判断の基準となり得る。 美味しいお茶漬けの追求は、梅干しやワサビなどの吟味であり、 バターなど、まったく異質なものを入れるといった試みではない。 生きている限り、変化を求めることは大切だが、 その変化は、違和感を感じるものであってはならない。 このアドバイス、仕事でもプライベートでも、活かせそうだ。
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| 2015年03月22日(日) ■ |
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| 原子力 郷土の発展 豊かな未来 |
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映画「がんばっぺ フラガール! フクシマに生きる。 彼女たちのいま」(小林正樹監督)から。 映画「フラガール」の舞台となった、 福島県いわき市のレジャー施設「スパリゾートハワイアンズ」。 (私たちの世代は「常磐ハワイアンセンター」の方が懐かしい) 震災後、復興に向けて頑張る「フラガール」を追った ドキュメントであるが、その一場面に映し出された 「双葉町入口の看板」まちづくりの標語が目に付いた。 大きな横看板の裏表に書かれたそのフレーズは、 「原子力 豊かな社会と まちづくり」 「原子力 郷土の発展 豊かな未来」 私は、まず最初にこの看板を壊してしまいたくなった。 原発事故が起きる前は、豊かな社会が与えられていたかもしれないが、 事故後は、郷土の発展も豊かな未来も、奪われてしまった。 「看板に偽りあり」そんなメッセージさえ、聞こえてきそうだ。 せっかく復興を目指したストーリーにも関わらず、 メモ魔の私にインパクトを与えたのは、原子力の標語。 被災された家のカレンダーは3月のままだったが、 双葉町の目指した町も、被災当時のままだった。
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| 2015年03月21日(土) ■ |
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| カワセミは、本当に「翡翠」(ヒスイ)だった |
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久しぶりに「カワセミ」を視た。 (見る、観る、とは違う、じっと「視る」を使いたい) 土曜恒例の早朝ランニング、沼津の門池公園でのこと。 柿田川公園でも何度かみかけだが、 遠くから望遠鏡か、カメラのズームを最大にして。(汗) それが、なんと今朝は、私のランニングコースのすぐ脇で、 青や緑色の鳥を見つけたので、もしかしたら、と走るのをやめ立ち止り、 注視したら、門池にいる小魚に狙いを付けている「カワセミ」だった。 その美しさに目を釘付けにされ、しばらく身動きができず、 じっと眺めていたら、突然、ホバーリングをしたかと思ったら、 ものすごい勢いで川面に顔を突っ込み、餌をゲット。 さらに、独特の青い羽を広げたかと思ったら、 次の瞬間、低空飛行で、私の目の前を横切り、飛び去った。 夢でも視ているのかと思うほどの、時間の流れがそこにあった。 きれいな水辺に住むということで、市町の「鳥」としている自治体は多いが、 果たして、どれだけの人が、本物の「カワセミ」を視たことがあるか、 考えさせられてしまった。 写真や映像では、カワセミの様子を目にすることがあっても、 本物を望遠鏡なしで目にする体験はなかなかできないからだ。 カワセミを「翡翠(ヒスイ)」と書き「渓流の宝石」と呼ばれる意味が、 実物の「カワセミ」を視て、納得させられたから、 「カワセミは、本当に『翡翠』(ヒスイ)だった」を残したい。 この被写体としての「カワセミ」を追いかけて、 水辺を渡り歩くウォッチャーがいるのも、わからなくない。 私が「ミニ皇居」と称して走っている「沼津・門池(かどいけ)公園」、 本当に、いい場所だよなぁ。
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