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しもさんの「気になる一言」
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2013年09月09日(月)
現地集合・現地解散のランチ会はやめて

最近、ボヤキと言うか「説教じじい」になってきた自分が怖い。
まぁ、歳を重ねてきたからか、私の発言に賛同してくれる人たちが、
増えて来た気がするのは、ただの錯覚だろうか。
今回は、奥様方のランチ会について。
しゃべり場を求めて、美味しいお店巡りをすることは応援したい。
また、静かに雰囲気の店内で、大騒ぎでおしゃべりするのも、
最近では我慢出来るけれど、彼女らにお願いがある。(笑)
先日、家族3人で楽しみに出かけたお店の駐車場は、満車状態。
それも、軽自動車や小型車中心で、女性に人気の店とすぐわかった。
これは、だいぶ待たされるなと覚悟して入店したら、
店内は意外と空いていたので、驚かされた。
その原因を探っていたら、1テーブルのお客が帰っただけで、
駐車場が一気に空いたので、推測できたことがある。
(あくまで私の仮説なので、根拠はありませんが・・)
郊外型の美味しいと評判のレストラン・食事処は、
どこかで待ち合わせてなんてことはせず、現地集合・現地解散。
そのお店の駐車場台数なんて気にせず、自分たちだけ座れればいい、
そんな感覚がある気がしてならない。
あとから遅れてくる友達のために、駐車場の確保までしている光景は、
「頼むから、そういうことは平日の昼間にお願いします」と言いたかった。
どこかで待ち合わせするとか、拾いながら乗り合わせて行くとか、
そういう配慮は感じられなかったのは残念である。
これも「マナー」の1つなんだけどなぁ、私としてしては。(汗)
だから今日の一言は「現地集合・現地解散のランチ会はやめて」



2013年09月08日(日)
7年後の自分に手紙を書こう

「2020・東京オリンピック」開催決定に、早朝から
日本中が喜んでいる中、この陰に隠れてしまった話題で書くのも考えたが、
それこそ、へそ曲がりと言われそうなので、素直にこの話題で。(笑)
1964年当時、幼稚園児だった私は、国道(現在は町道)で、
「日の丸」の小旗を片手に、聖火ランナーをみた記憶しか残っていない。
(なぜか「諏訪部先生」を「アベベ先生」と呼んだことは覚えているが・・)
その後50年近い歴史の中で、何度も何度も、繰り返し
「1964・東京オリンピック」の映像を目にしているので、
つい覚えている気がするが、意外と当時の記憶は曖昧と言える。
そんなこともあって、あまり専門的なことは書けないが、
今回の7年後の開催決定を受けて、私が一番最初に考えた事は、
「2020年(7年後)、私は、どこで、どんな生活環境で、
東京オリンピックを迎えているだろうか」ということだった。
「62歳」という年齢だから、当然「一線」は退いているだろうけれど、
「オリンピック」をキーワードに、まちづくりをしているかもしれないし、
相変わらず、選手のコメントなどを、老眼鏡の力を借りてメモをし、
「気になる一言」を書いているかもしれない。
今の生活のまま、7年後を迎えることはあり得ないだろうから、
加齢に伴う、その変化も楽しみながら、一日一日を過ごしていきたい。
今日という大切な日を、ただ大騒ぎするのではなく、
「7年後の自分に手紙を書こう」くらいの個人イベントはどうだろう。
私は、この喜びを忘れないうちに「拝啓 62の君へ」と題して
自分宛ての手紙を書こうと思っている。
開会式の日に開封する楽しみを、今から準備しておくのも悪くないから。



2013年09月07日(土)
彼らから叱られることさえ望みながら、日々を続ける。

映画「ツナグ」(平川雄一朗監督)から。
「死んだ人間と生きた人間を会わせる窓口、それがツナグです」
このワンフレーズで、物語は思い出せるから、これ以上は書かない。
ただ、生きている(生かされている)私たちにとって、
身近な存在であった死者とは、死後、どういう存在に変わるのか、
高校3年の時に父親が他界してから、ずっと考えてきたことだ。
その後も、大切な人の死を何度も経験し、その度に号泣した。
その答えが、ちょっとみつかった気がする。
「僕たちの世界では、何かをする時、
目にはみえない誰かにみられていると感じて、行動を決めることがある。
時には、あの人ならどうしただろうと。
彼らから叱られることさえ望みながら、日々を続ける。
きっと僕たちは、その人たちに支えられて、
生かされているんじゃないだろうか」
「神様がみている、お天道様がみている」よりも、より現実的であり、
それは、人間だけでなく、可愛がっていた動物でも同じ気がする。
人間、歳を重ねてくると、叱ってくれる人はいなくなるが、
死んだ人なら、いくつになっても叱ってくれるし励ましてくれる。
久しぶりに「死」を前向きに考えることが出来た作品である。
「こうやって、死んでからも会いたいと思ってくれる人がいるなんて、
私の人生、捨てたもんじゃなかったかもしれないわね」
「あの、会いたい、と思ってもらうと嬉しいものですか?」
「えぇ、とっても嬉しいわ」この会話が、一番心に残っている。

P.S.
作品の中で紹介されていた、ヘルマン・ホイヴェルス著
『人生の秋に』に掲載されている「最上のわざ」の一部。
もう「人生の秋」を過ごしている私、参考になりました。



2013年09月06日(金)
課長に恥をかかせるわけにはいかないでしょ

9月議会真っ最中、今日は、平成24年度の決算質疑。
年4回ある議会の中でも、3月の新年度予算の質疑と並んで、
私たち課長にとって、一番緊張する一日でもある。
本会議の発言は、永遠に議事録には残るから慎重になる。
またその様子はケーブルテレビやインターネットにも放映されるから、
あまりアタフタした姿はみっともないし、
質問に対する答弁に詰まり「暫時休憩」を議長に要請するのも、
これまた恥ずかしい、と思っている。
けれど今日ばかりは、ある議員の質問に対する資料が手元になく、
「今、質問に対する資料を待ち合わせていません」と答弁し、
のちほど報告させてもらうことで了承してもらった。(汗)
しかしその後しばらくしてから、私の手元に(そっとであるが)
先ほどの答弁に必要なデータが届いた。
私自身も諦めていた資料が届き、最終的には事なきを得たが、
本会議終了後「みんなのお陰て助かったよ」と礼を言ったら、
「課長に恥をかかせるわけにはいかないでしょ」と誰かが言った。
ここ数ヶ月、いろいろな事業に対して一緒に歩んできたスタッフに、
こう言われて、ちょっぴり涙腺が緩んだ。
彼らのためにも、もっともっと勉強して、どんな質問に対しても、
「待ってました」と答えられるようにならなくちゃ、と感じた
9月議会、真っ最中である。(汗)
この嬉しさ、関係者以外に伝わるだろうか・・。



2013年09月05日(木)
君、そのまま走り続けて

芸能人の関根勤さんが、人気爆発の新人を励ました台詞。
(私の残したメモには、そう書かれていたが、
新人芸能人が誰なのか、は記録がなく忘れてしまった)
突然、人気が出て、テレビでも引っ張りだこの新人の場合、
どうしても、調子に乗って、天狗になりがちであり、
周りの先輩たちは、ついつい嫉妬も含めて、
「いつまでもこの人気が続くと思うな」的な助言をするらしい。
しかし、芸能活動にもいつも余裕が感じられる、関根勤さんは
「君、そのまま走り続けて」と助言したそうだ。
声を掛けてもらった新人は、とても嬉しかったとその時を振り返る。
芸能界の大御所というよりも、身近な上司という感覚の
声の掛け方が爽やかに感じられたので、メモをした。
若いパワーで、いけるところまでいけ、というアドバイスは、
時には無謀にも取られるけれど、私はそれでいいと思う。
それこそ若さの特権であると思えるし、
疲れてきたな、と感じたら、手を差し伸べればいいのだから。
自分も、頑張っている後輩たちに向かって、
そんな言葉を掛けられるようになりたいな。



2013年09月04日(水)
思ったこと、なんでもそのまま口にするよねぇ。

書籍「空中庭園」(角田光代著・文春文庫刊・281頁)から。
集まったメモを整理していて気がついたこと。
作家・角田光代さんはたぶん意識していると思うが、
表現を変えて、同じような内容が何回か登場する。
「タカぴょんってさぁ、ほんと思ったこと、
なんでもそのまま口にするよねぇ」
「思ったことを思った瞬間に思ったそのままに口に出す、
わかりやすく順序だてたり、言いにくいことだから遠慮したり、
聞かせてはいけないことだがら言わずにいたり、
そういうフィルターの役目を果たす脳味噌の部分が
欠落しているのだ。だぶん、生まれつき」
「なんでもかんでも、脳味噌をつかわずに話して
楽になろうとしないでよ!」
どうやら、周りがどう考えるかなんて考えず、
誰かに話したという事実が自分を満足させる行為が、
気になって仕方がないようだ。
それは、老若男女に限らず・・といった様子。
ストーリーには、直接影響はないのだろうけれど、
これだけ登場するとやはり気になる、が私の本音。
う〜ん、これがどういう意味をもつのか、
もう一度、読んでみなくちゃダメかなぁ。(汗)



2013年09月03日(火)
「エレベーター調節中」ではなく「エレベーター調整中」

先日、講演をしていただいたの眼科の先生から
「老視」は「調整力の低下」ではなく「調節力の低下」よ。
こんな指摘を受けて、嬉しくなって調べてみた。
小説「舟を編む」(三浦しをん著)の主人公になった気分で・・。
辞書によると、
「調整」とは、ある基準に合わせて正しく整えること。
過不足などを正してつりあいのとれた状態にすること。
「調節」とは、ほどよく整えること。つりあいのとれた状態にすること。
「物事に手を加えて、適切で安定した状態にすること」という、
共通した意味が存在していることに気付いて、ますます面白くなった。
振り返ると、自分はあまり意識して使い分けをしていなかった気がする。
それなら英語にした方が、わかり易いだろう、と調べてみたが
「調節する」は〔規制する〕control; 〔規準・条件などに合わせて〕regulate;
〔機械などを〕adjust
「調整する」とは〔望ましい状態にする〕adjust;
〔一定のレベル・状態に保つ〕regulate 再調整する readjust
似たような単語が書かれていて、ますます、わからなくなってしまった。(汗)
しかし、先生は私の日記を読んで、咄嗟に違和感を感じたのだろう。
眼の働きとして、妥協点を見つけるような「調整」ではなく、
きっちりと焦点を合わせるといった「調節」が正しい、と。
ここまで調べてみて、私たちの感覚を持ち出すのもおかしいが、
エレベーターの点検作業中を示す立て札が、その悩みを解決してくれた。
「エレベーター調節中」と書かれていて、違和感を感じたら、たぶん正解。
必ず「エレベーター調整中」と書かれているはずだから。
今度、街でエレベーターの点検を見つけたら、報告願います。(笑)



2013年09月02日(月)
季節外れの風鈴ほど、悲しい音はないもの

映画「あなたへ」(降旗康男監督)から。
今回は、オーソドックスに気になる台詞を選んでみた。
作品冒頭、夫婦役の高倉健さんと田中裕子さんの会話。
「いい音だ」と、風鈴の音に感激する夫。
「でも、秋になったら忘れずにはずさなきゃね。
季節外れの風鈴ほど、悲しい音はないもの」と妻。
この会話が核となって、物語は展開する。
「いつもでも自分のことを思い出してくれるのは嬉しい、
だけど、時が来たら、私のことを忘れて、
あなたの人生を歩んでください」
そんなメッセージを伝え、妻は病気で死んでいった気がする。
ラストシーン間近に、夫が悟るシーンを発見して頷いた。
「女房にとって、自分はなんだったんだろうって、
そればっかり考えながらここまできました」と悩み続けたあと、
「あなたにはあなたの時間が流れてる、そう言いたかったんだと」
だから、墓に埋めずに「故郷の海へ散骨」という方法を、
「あなたへ」と書いた、夫宛てのはがきを残したに違いない。
全体には切ない物語だったが、夫婦とは?・・と考えさせられた、
静かだけど胸にしみた作品である。



2013年09月01日(日)
眉間を見ると、無理してるな、とわかる

「働く女性の会(ATG)」の9月例会だった。
講師は「木村眼科医院・木村裕子さん」
講演テーマは「アラフォー世代からの眼のエイジングケア」。
眼科の先生らしい視点で、私の今までの知識を覆させられた。
冒頭「どちらが良い眼でしょうか?」の問いがあり、
(A・・遠くがよく見える眼 B・・近くが楽に見える眼)
自信をもって(A)を選択したが、
講演終盤には、なるほど(B)だな、と思い直した。(笑)
「老視」とは「調節力の低下」を意味することも知ったし、
70歳になると、水晶体がなかなか膨らまないことも理解できた。
また「涙」の役割を知り「涙は優れもの」という名文句が、
私の耳に残った。
だから、眼にとって害になるものが眼に入ったときなど
「余程のことがない限り、眼は洗わない」方がいいらしい。
多くのメモから、迷った挙げ句、私が選んだのは、
スマホとか携帯電話の画面を見ている人たちの
「眉間を見ると、無理してるな、とわかる」。
年齢を重ねれば重ねるほど、近点は遠くなってくるから、
画面を凝視する緊張感、言い換えればムリして見ていることになる。
だから自然と「眉間にシワを寄せて」、疲れ目の原因となる。
「今は、近くのものを見ることが多いから・・」という説明に、
妙に納得してしまった私がいた。
小さい頃から、眼鏡をしている私にとって、55歳になって
「目的に応じた眼鏡の使用をする」という発想は新鮮だったし、
それこそが、冒頭の問いにあった「近くが楽に見える眼」、
言い換えれば、ストレスが溜まらない生活の仕方と言えそうだ。
「疲れ目よ、さようなら!!」は、眼のストレスを取り除くこと。
そのためには、眼の環境に悪い現実に眼を向けることかもなぁ。



2013年08月31日(土)
覚馬の発案、槇村の決済、明石の実行

NHK大河ドラマ「八重の桜」から。
オープニングの画面が変わったことまでメモして、
ここ数回を振り返り、気になる一言を選んでいるのだが、
なかなかタイムリーな話題がなく、ご無沙汰している。
だが、メモを整理したら、面白いフレーズにぶつかった。
京都のまちづくり(近代化)が、他の地域と比べて、
素早く上手くいった原因だと思えるフレーズ。
「覚馬の発案、槇村の決済、明石の実行」
八重の兄・薩摩の山本覚馬が発案(企画)し、
京都府知事の槇村が判断・決断を下し、
明石博高が、実行に移して形にしていく。
その役割分担は、見事なものだったと言える。
何でもかんでも1人の力でやろうとすると、
そこには大きな壁が立ちはだかり、頓挫してしまう。
しかし、この3人は自分の役割を認識し、
決して、異を唱えないところにあった気がする。
信頼し合っていた、と言っても過言ではない。
この後、いろいろあって決裂するけれど、
この当時の京都には、面白いネタがいっぱいだったな。
このフレーズ、自分の住むまちに当てはめてみてはどうだろう。